またきれいな夕焼け。
はい、あしたもきっと暑い。
いただいたおはぎを食べたら元気でた。
やっぱり甘いものは最強。
きのうちらっと書いた「男女の怪」
「無思想の思想」というのはやっぱりおもしろい。
思想がないのではなく、思想を持たないという思想。
外国人の方のマンガエッセイにもあったような、
日本文化はたまねぎみたいにむいてもむいても芯が見つからない、みたいな。
河合隼雄さんの「中空の構造」というのともちょっと近いのかも。
で、思想は世間に干渉してはいけない、と。
イデオロギーを前面に押し出すとうまくいかないのは歴史が証明している。
思想と現実がずれたとき、思想を優先しても国はたちゆかないし、
現実にあわせて思想を曲げると、思想の信頼性が揺らぐ。
自民党には思想がない、っていうのも。
だから、野党の政策もあっさり取り込んでしまう。
憲法改正、っていうのは思想かもしれないけど、
現実にあわない思想である今の憲法を現実にあわせる、というところでは、
柔軟であるということも言えるのかな。
省庁が縦割り行政なのは「家」だからというのもおもしろい。
「家」のことは内々で処理しようとする。
だから、文書の改ざんみたいなことも起きてしまう。
中身がない、というか、核になるものがはっきりと存在しないのは、
強みでもあるけれど、弱みでもあって、
一度壊れたらもう取り返しがつかなくなったりしないのだろうか。
たぶん、それは言葉だったり、この国土そのもの。
前の戦争で自分を犠牲にした若い兵士たちは、
そういうものを守るために命を投げ出したのだろうと思う。
でも、それらが失われた時に、日本人は日本人でいられるんだろうか。
「日本沈没」ってもしかしてそういう話だったのかな。
やっぱりちゃんと読まないといけないかな。
あと、おもしろいなあと思ったのは、
男女の差を生物学的に考える、ということをしたくない人もいるらしいこと。
遠い未来、ビーカーの中に脳ミソだけが浮かんでいるような時代が来れば、
生物学的な性差というのはなくなるのかもしれないけれど、
やっぱり生きものとしての違いっていうのは無視していいものではないのかなあと思う。
今年の直木賞の候補には女性作家しか選ばれなかったけれど、
スポーツで性差を無視したらほとんどの種目で金メダルは男性しか獲れないだろうし。
同性であっても、体格の差で性格は違ってくるように思える。
さらに、ホルモンが性格を変えてしまうという説が出てきていることも考えると、
持っている臓器が違えば、脳に作用するホルモンも違うわけで、
考え方がちがってくるのはしかたないような。
もしかしてそういう考えの人にとっては人間はもうすでに、
ほかの生きものとは違う、格の違う存在、ということになっているのかも。