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慰安婦強制連行はなかった 河野談話の放置は許されない

2011年09月29日 13時10分39秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

大師堂 経慰氏の著書。

大師堂氏は大正6年、朝鮮に生まれ昭和16年、京都帝国大学経済学部卒業。同17年朝鮮総督府に入る。同18年、江原道地方課長。同20年、朝鮮総督府事務官。(農商局)同21年、引揚後商工省(通商産業省、現経産省)経済企画庁に勤務。同34年、広島通商産業局商工部長で退官。同年、日本合成ゴム(株)に入社し、取締役、常務、専務等を歴任。同59年退社される。 
論文として「朝鮮人慰安婦『強制連行』の虚構はこうしてつくられた」がある。

平成11年2月発刊の本書。図書館では「書庫」に入つてゐました。 今なぜ本書か。

南朝鮮で日本大使館前に「従軍慰安婦」の碑かなにかを建てるらしい。そして民主党の外務大臣、玄葉氏が「解決ずみ」と「珍しく」拒否したものの、嘘つき民族半島南はまた慰安婦問題を持ち出してきた。

それはなぜか?

平成5年8月、宮沢内閣で官房長官を務めてゐた河野洋平氏が「いわゆる従軍慰安婦に関する調査結果」を発表したときの談話に由来すると言へやう。

この談話の立案、作成の責任者の一人、元官房副長官・石原信雄氏は「強制連行の資料はなかつたが、韓国の慰安婦16名の証言が決め手になつた」と語り、「当時、彼女たちの名誉が回復されるということで、強制制を認めたんです。国家賠償の前提のとしての話だったら、通常の裁判同様厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求めます。あれは両国関係の配慮してそうしたわけです」と語つてゐる。(P3-4)

物凄く、短絡的で「政治の影響」を考慮しない軽率な対応である。この「配慮の談話」が平成10年4月山口地裁下関支部が下した、「国家賠償要求訴訟」に関する判決に影響し、海外の新聞でも「50年も問題を放置した」として日本が悪になり、教科書には「証拠がないはずの慰安婦強制連行」が載つてゐるわけだ。

ではなぜ、この「慰安婦強制連行」の問題が出てきたのか。

これは日本側で一部マスゴミ(朝日新聞)が根拠もないことを無責任に報じ、韓国マスゴミがこれに応じる形で拡大し、その間、日本政府がこれまた無責任で拙劣な対応をしたため(P17)である。

その代表的なものが著作では吉田清治氏「私の戦争犯罪-朝鮮人の強制連行」であり、新聞では朝日新聞の平成4年1月11日付の記事である。朝日は「慰安所、軍関与を示す資料発見、政府見解ゆらぐ」という大きな見出しをつけて報じ、続けて「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と報じたのである。(P17)

吉田清治氏「私の戦争犯罪-朝鮮人の強制連行」は「第一話 侵略戦争と朝鮮人狩り」「第二話 光州の男子強制連行」、「第三話 済州島の慰安婦狩り」という、付属資料を含めて180頁あまりの本である。

この本は韓国で翻訳出版され(中略)済州島新聞の許永善記者、郷土史家の金奉玉氏はこの本について追跡調査をした。また、平成4年秦郁彦教授が済州島に赴き、現地の関係者から生きた証言を得てまとめられた詳細な調査報告を得、この本の内容が虚偽であることが明らかになつた。(後に本人も週刊誌の取材に対し創作したことを認めてゐる)

例えば、吉田氏が城山浦の貝ボタン甲状で15,6人の女性を徴用したという記述に関連して城山里に居住する当時85歳の女性チョン・オクタンさんは「250あまりの家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時そのようなことはなかった」と証言した。(済州新聞 許永善署名記事)

郷土史家 金奉玉氏は「吉田著の日本語版が出た1983年から何年かの間追跡調査の結果事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨してゐる。

さらに秦教授は城山浦の老人倶楽部で貝ボタン工場の元組合員など5人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認し済民新聞の文化部長に移っている許永善女史に「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と言われて答に窮したとのことである。(P22,秦郁彦著「昭和史の謎を追う 下」引用)(P21-23)

大師堂氏も疑問を呈してをられるが、朝日新聞の「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」は何を根拠に書いたのであらうか? また挺身隊と慰安婦は全く別物であることが確認されてをり、「挺身隊の名を使つて慰安婦として強制連行した」といふのは間違ひである。朝日新聞はどんな資料を根拠としてこの記事を書いたのか明確にすべきだ。

ちなみに、朝日新聞は戦時中に「朝鮮人の日本への密航」「自由意志で居住」等を報じてをり当時の状況についてはよくご存じのはずなので、「強制連行」がいつ行なはれたのか当時の自分たちの記事を用いてでも明らかにすべきだ。

この問題については、日韓両政府が「調査」を行なつてゐるといふことで、そのまとめがP39-54に記述されてゐる。日本政府は「強制徴用」の裏づけになる資料を発見することが出来なかつたが、調査の方法としては外務省や防衛省の図書館など古い資料の調査に専念するだけで、秦教授や許記者のやうに現地に渡つて当時を知つてゐるひとたちに実情を聞く作業をした形跡がない。  (P40)

韓国政府の調査は日本国内でも問題を指摘されている一部日本人の著書から引用sて「・・・と思われる」という形でまとめられてをり、自国の人たちに当時の事情を聞き証言を素に調査報告をまとめる手法ではない。引用されてゐる著書は千田夏光「従軍慰安婦」および元慰安婦本人の証言であるが、証言の真偽についての調査、確認を当時生きた元郡庁等の職員や元警察官などの証言を得ていない。その他にも前述の吉田清治著からの引用がなされている(P45)

本書では、河野談話発表に関して政府の調査報告書を読み合わせた産経新聞のコラム「産経抄」を紹介してゐる。(P66-68) 
政府調査報告書『 』によれば
「1944年米軍戦争情報局資料の記述として『1942年5月、日本人の業者が朝鮮半島に赴き、東南アジアにおける「軍慰安業務」のためとして女性を募集した。高収入、家族の借金返済の好機、軽労働の宣伝に応じ多くの女性が応募した。ビルマにいる間、彼女等は将兵とスポーツをして興じたりピクニックや娯楽、夕食会に参加した。彼女等は蓄音機を持っており、町に買い物を出ることを許されていた。日本兵士には結婚を申し込むケースが多く、現実に結婚に至ったケースもあった。』以上はビルマのミートキーナで20人の朝鮮人慰安婦と2人の慰安所経営者を米軍が尋問した結果とされる。強制連行や強制的な状況の下で痛ましいもの」は資料に見当たらないにも関わらず、それを「歴史の事実」と断定する根拠はなにか」 の指摘どおりである。

アメリカ議会は、慰安婦問題に関して日本の首相に謝罪しろといふ議論を行なつたが
アメリカ軍は進駐後、時をおかずに慰安施設を設けることを日本当局に要請し、8月27日には早くも東京・大森にその台一号が設置された(P73)らしい。 

その他、ソ連軍の満洲侵攻時の婦女暴行、日本に進駐したアメリカ軍、ベトナム戦に参加した韓国軍はだうであつたかと指摘さてゐるが、大師堂氏が指摘するやうに「戦争と性」の問題があり、そこに「相手の意思をを無視した強制性があつたか」が問題なのだと思ふ。

「強制性」の証拠がないのに「あつたかのやうな」談話を発表し、その嘘が大きな悪影響を及ぼしてゐるのである。しかもこの問題は当の韓国人が疑問を持ち、現地で調査を行なひ「なぜこんな嘘を吐くのか」とまで思ふことなのである。

大変、をかしい。

大師堂氏が主張されてゐる以下を支持する、といふか絶対にやつてもらひたい。 
1.「河野談話の取消」
2.教科書(中学、高校)における関係記述の是正
3.「女性のためにアジア平和国民基金」が平成7年8月15日の国内各紙に掲載した広告文の中にある、「10代の少女までも含む多くの女性を強制的に慰安婦として群に従わせた」の部分は誤りであったことの公式発表
4.韓国の教科書に記されているという、「女性までも挺身隊という名で引いていあkれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった」の記述の訂正を公式に申しいれること。
5.先に「保留中(Take note)という扱いになつたと報じられたクマラスワミ報告やマクドガル報告の内容が誤りであることを正式に国連に申し入れること

河野氏だけでなく、政治家官僚は、自分たちの言動がいかに大きな影響をもたらすか自覚してもらひたい。



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