清水 勇男氏の著書。
清水氏は元東京地検特捜部検事であられ、1995年検事正を最後に退官され現在は蒲田公証役場の公証人としてご活躍されてをります。
清水氏の検事任官時代手がけられた事件は数多くありますが、本書では代表的な事件として
「ロッキード事件」「千葉大チフス菌事件」が取り上げられてをります。
本書は、清水氏が東京法令出版「捜査研究」に連載されてゐたものを元にされてゐます。
第一章では、犯罪の数々がざつと紹介されてゐますが、興味深く読んだのは
第二章「調書の切れ端から」でせうか。
被疑者を取り調べ、供述調書を作成するのですが近年「検察の暴走」「証言の強要」等横暴と
される「自供」の取り方がマスコミに取り上げられてゐます。実際、強要され自白してしまひ冤罪が判明した事件もありますので、不適切な取り調べを行なふ検察官がゐることは事実なのでせう。
しかし、検察官全員がさのやうな不適切な取り調べを行なつてゐるわけではなく。。。
清水氏の著書からは、「検察の暴走」を否定する「本来の検察」の姿も見えます。
また、「基本的人権」「適法手段」をいふ言葉を持ち出して検察の捜査のあり方を批判する立場にも言及されてゐますが(P75、またマスコミは好んでこのやうな発言を取り上げ繰り返し放送する)この一文も国民が考えるべきところです。
上記に関連して、「裁判に時間が掛かりすぎる」ことに弁護側の態度の問題も記述されてゐます。(P303-304)
かういふ問題もあるのか・・・ と思ひました。
何度か書いてゐますが、やはりマスコミの「一辺倒放送(報道とは言へないであらう)」は参考程度にしておかふと思ひました。
本書のなかで「上司と衝突」した場面が出てくる。(P157-166)
どこの職場にも、立場に関係なく「変な人」がゐるがさういふのが上司の立場であると大変仕事に支障が出る。
特に「検察庁」や「裁判所」「警察」など人の運命を左右する立場の仕事で「現場に浮かび上がつた事柄」に基づいて導かれた意見・考察を自分の範囲内の感覚だけで否定されたら、冤罪を生んだり有罪を見逃すことになる。
起きた事に対し、批判するのは簡単だが・・・・・
P203以降 「証拠の最大の復讐」に書かれてゐることは、検察や警察だけに当てはまることではなくすべての人に当てはまることだと思ふ。
「まっすぐの心で正しく物事を見ること、加えてひたむきに努力すること、それが検事でも誰でも、一番必要なことであるように思われる」(P205-206)