読書おぶろぐ

読んだ本の感想を書いてます

プーチニズム 報道されないロシアの現実

2011年06月25日 17時35分39秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

アンナ・ポリトコフスカヤ氏の著書。

ポリトコフスカヤ氏はロシア人ジャーナリストであり、モスクワの新聞「ノーヴァヤ・ガゼータ」紙評論員。1999年夏以来、チエチエンに通い戦地に暮らす市民の声を伝えてきた。「ロシアの失われた良心」と評され、その活動に対して国際的な賞が数多く贈られている。2004年、北オセチアの学校占拠事件の際、現地へ向かう機上で何者かに毒を盛られ意識不明の重態に陥った。回復後、執筆活動を再開するが、2006年自宅エレベータにて射殺される。

本書は2004年イギリスで出版された "Putin's Russia" (英語版)の全訳であり、その後にポリトコフスカヤ氏により執筆された北オセチア学校占拠事件の記事を冒頭に収録してゐる。ちなみに、この本はロシアでは出版されてゐない。

「はじめに」(P20-21) に書かれてゐるやうに、この本は「バラ色のメガネを通さずに見た素顔のプーチン」について書かれてゐる。プーチンについて、といふよりプーチンが「旧ソ連の秘密警察、KGB(国家保安委員会)出身の者として大統領に選ばれた後にもその素性を忘れないし、この特務機関の中佐然とした振る舞いをやめもせず、やたらに自由を求める同胞の弾圧にいまだに血道を上げ、相も変わらず自由を蹂躙しつづけている」やうすが書かれてゐる。

「バラ色の眼鏡」とは、なんといふ例へであらうか・・・・・ 

確かに、プーチンは「KGB出身」であるけれどもその政治の様相は、ゴルバチョフの「グラスースノスチ(情報公開)」の「自由」な「民主主義」的様相を携えてゐるやうなイメエジがある、いや、あつた・・・・本書を読むまでは。

ポリトコフスカヤ氏は、その点を十分に理解しプーチンがチエチエン戦争や北オセチア学校占拠事件で「政府が民衆にテロ行為を働いてゐるのにも関はらづ、アルカイーダのせいにしてロシアはテロと闘う国家なのだ」と問題をすり替え、隠蔽する手法を明らかにしてゐる。

上記の事件(戦争)だけでなく、軍の腐敗、司法の腐敗・・・とまるでスターリン時代に逆行したかのやうなロシアの現状を明らかにしてゐる。 ロシアで本書が出版されないのは、さうした「被害に遭つた人たち」「証言をくれた人たち」を守るためであらう。

P59-80に書かれてゐる、ソ連時代から現在に至る友人たちの生活のやうすで、原稿を確認した友人が「この本をロシア国内では出版しないでくれと頼んだ。『外国はどうなの?』『外国ならいいわ。この国がどれほど危険か知らせたほうがいいのよ』」(P80) が象徴的な言葉であらう。

本書を読んでゐて思つたのは、犠牲者が若者だと言ふことだ。 なので、ロシアには「母親の権利を守る会」といふ会があるらしい。 自分の子供がなぜ、どのやうに死んだのかが全く不明であり、遺体すらも返つてこない現状・・・・・・ 

司法の独立や報道規制など、「日本も同ぢやうなことがあるよな・・・」と思ひながら読んでゐた。 

とりあえづ、ロシアのテレビニュース映像はすべてプーチンの意にかなつたものとしてみることとする・・・ 


小説 電通

2011年06月22日 21時31分17秒 | 小説

大下 英治氏の作品。

大下氏は1944年広島生まれ、広島大学文学部卒業。大宅マスコミ塾第7期生であり、1970年「週刊文春」の記者となり、記者時代「小説 電通」を発表し作家としてデビユウされた。1983年週刊誌を離れ、作家として政財官界から経済、芸能、犯罪まで幅広ジヤンルで創作活動を続けてをられる。

本書は1981年書き下ろし単行本として刊行され、1984年文庫化されたものに加筆・修正して再出版したぶんか社発刊のものである。

時代が30年前のものがベエスなので、「赤電話」が出てきて携帯が出てこないのが面白ひ。

それはさてをき

よく、発刊できたな~と思つた。 何故なら、ほとんど実名が出てくるし、若干名称を変えてあつてもどこの社のことを言つてゐるかわかるし、なにしろ題名そのものが「小説」と銘打つてあつても「電通」と出てくるのだから、よくまあ本書の内容のやうに「差し止め」にならなかつたものだ・・・と感心する。

それくらい、電通にとつては差し止めたいのではと思へる事が書いてある。

そして、電通がいかにして「第一位」を得るためにあらゆる小細工をしてゐるのがよくわかつた。随分昔に、電通と仕事をするはめになつた人の「愚痴」を聞いたことがある。この人は外国人であつたので、この本に書かれてゐるやうな「仕事を得るための電通の裏事情」を知らづに、電通の対応に非常~な不満を持つてゐた。そして同時に、非常~に不思議がつてゐた。「なぜ電通と仕事をするのか、電通がいひと言ふのか」と。

そのときは、何も知らなかつたので「そんなに酷い担当者がゐるのか」と思つてゐたが、本書を読んで理由がよくわかつた。

また、電通が政界の人事にまで口出しする理由(出来る理由)もよくわかつた。

電通は、そんなに「世界一」と言ひたいのなら一度、丸裸になつて正々堂々と仕事を獲得してみてはだうか・・? と思ふ ・・・・・・ 


国防

2011年06月20日 17時40分56秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

石破 茂氏の著書。

本書は石破氏が第65代防衛庁(当時)長官を退任した後に書かれたもの。

石破氏は昭和32年鳥取県生まれ、慶応義塾大学卒業後三井銀行(現三井住友銀行)へ入行。1986年29歳で衆議院議員初当選、衆議院運輸常任委員長、農林水産総括政務次官、防衛庁副長官などを歴任し、2002年から2004年防衛庁長官を務める。

全体的に言つて、石破氏の考えは正しいと思ふ。石破氏のやうな考えで国策・防衛・外交その他を考えてくれないと、全く「国益」が得られない。 さう思ふ。

そして、本書を読むと「ますます際立つ」社民共産の「短絡的護憲思想」。

あれは、相手にするのも時間の無駄だと思つてゐるが、「嫌戦争」「国民を戦争から守る=愛国民」といふ耳障りの良い「まやかし」である。そのくせ、現実を全然見てないので実際にミサイルが発射されたときに「だう国民を守るのか」を実行出来ない。しかし、さういふ輩がオバカマスゴミと一緒になつて、大騒ぎし、いかにも国民を戦争から守る、憲法を守る等々の絵空事のみに先行し肝心の「国防」を実行する手段をまぢめに考えてゐない。ほんたうにミサイルが跳んで来た際にだう対処するのか、一度真剣に問ひただしたい。

自分たちは半島へ脱出する手段でも整えてゐるのか知らないが、「護憲」の名の下に大騒ぎしてゐる団体に振り回されるのは危険だ・・・としみぢみと思ふ。

そして、マスゴミ。前から思つてゐたが、この人たちはどこかのスパイであらう。 「知る権利」なる文言を武器に「知らせるべきでないこと」(サマワでの自衛隊の駐屯のやうす、図面など)を新聞に載せる必要は無いが、手の内を全世界に曝すやうなことを平気でしてゐるとは。しかも国の政策の邪魔をしてゐるとの自覚も無く、「スクープ」扱いとは。

以前から、マスゴミは「人の仕事の邪魔」をしてゐると感ぢてゐた。警察の捜査・外交・政治・・・・・・ 官僚に操られてゐる「機関」としてみれば「またおネタもらつたんだ」と思ふが(国税庁提供の資産隠しの資料が同日に一斉に各おにゅーすで流れたのがいい例)、「スクープ」なる名の下に大事な国の仕事を邪魔するのはいかがなものか・・・・

すべては国益を損なひ、国民に損失をもたらすことなのだと思ふがマスゴミはいつになつたら自分たちの愚かさがわかるのであらうか・・・? 

しかし、マスゴミの「役割」を頭に入れておにゅーすや新聞をみれば、「++氏を潰したい官僚(もしくは敵対する派閥)がゐるんだな」とか「今進めてゐる***件を潰したいんだな」と思へてくる。

なので、今増税がしつこく出てくるのは財務官僚が一生懸命工作してゐるのだと思ふ。

話がズレたが

石破氏が本書の中で指摘してゐる 「官僚は国民に責任を負はない」 

なので、政治家がもつと勉強して「官僚を上手く使ふ」ことが必要なのだらう。それが「政治主導」のはづなのだが、民主党があまりにもバカで素人でプライドだけが高いために、官僚に逆手を取られてしまつた・・・ のが現状なのだなぁと。

国防に関しても、今滞つてゐる災害復興に関しても問題となつてゐるベエスがおなぢだと思つた。 


暗殺国家ロシア 消されたジャーナリストを追う

2011年06月15日 12時06分49秒 | 社会・報道・警察・教育

福田ますみ氏の著書。

福田氏は1956年生まれ、立教大学社会学部を卒業後専門誌、編集プロダクション勤務を経てフリーになり、犯罪、ロシアなどをテーマに取材、執筆活動を行なつてをられる。2007年に『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』で第6回新潮ドキュメント賞を受賞。

本書は、ロシアで発刊してゐる「ノーバヤ・ガゼータ(新しい新聞の意)」を取り上げてゐる。この新聞社の記者5人(含契約記者)、弁護士1人が襲はれて死亡するといふ事件が起きてゐる。その理由は、この新聞社が政府の圧力にも動じない記事を発表してゐるからである。

ソ連が崩壊し、「民主主義」ロシアが誕生した。しかし、エリツィンは3日で終了したものの検閲を開始し、プーチンは憲法上違反にならないやり方でメディア規制を行なつてゐる。その規制はエリツィンよりも強力となつてゐる。 そのやうすが本書で「ノーバヤ・ガゼータ」を通して明らかになつてゐる。

BS NHKで海外ニュースとしてロシアのテレビが時々放送されてゐるが、テレビの規制は新聞よりもさらに厳しく、事実と違ふ内容も堂々と放送されてゐることがわかつた・・・ (本書で「ベスラン学校占拠事件」を取り上げ、そのときのメディアの対応が記されてゐる)

しかし ・・・・・・

読みながら度々思つてゐたのであるが。

日本のマスゴミも、あまり変はらないと思ふ。ロシアの場合は国の大統領やら首相やらが自ら指示し、規制の手段をあれこれ構じていくのであるが日本の場合は「記者クラブ」なる集団を作り、官公庁の一室に官公庁費用で「記者クラブ」室が出来てをりご不自由の無いやうに設備が整えられ、そして「おネタ」を下さる。

官公庁の意に反する記事内容が出ると、記者クラブに出入り禁止となり、「おネタ」がもらへない。それはつまり、他社が報道してゐることを自分のところだけ報道できないといふ悲劇を生み出す・・・・・・

果たして、マスゴミは政府批判・官公庁批判など出来ないのである・・・ これは形を変えた「規制」である。

ロシアの「ノーバヤ・ガゼータ」に当たる日本のメディアの立場はフリーランスの人であらう。

そんなことを思ひながら読んでゐた。なので、ロシアの国内事情・警察・検察の腐敗などが書かれてゐるのであるが・・・・

「日本もあまり変はらないぢやないか」といふ印象が抜けなかつた。かえつて、ノーバヤガゼータの人たちは命の危険を省みずに「事実」を追求してゐるのに、「第四の権力」と言ひながら全く監視役になつてない「マスゴミ」が非常に情けなく見えた。


インターネット文化の諸相 グローバリゼーションを生き抜く知的戦略

2011年06月14日 13時45分23秒 | 社会・報道・警察・教育

若林 一平氏の著書。 本書は若林氏が季刊「TRAFIC &BUSINESS」に連載寄稿した「Internet Road21」全24回分に加筆修正し、書き下ろしの最終章を追加してある。

若林氏は1941年生まれ、東京大学理学部卒・同大学院理学系研究科博士課程修了され、生活構造研究主任研究員などを経て、現在文教大学国際学部教授、日本国際文化学会常任理事であられる。専門は国際情報文化論。

正直、最初は面白かつたのだが第二部以降、一冊の本としての構成には不向きといふか、ワケわからなかつた。連載記事としては、「ネツトワーク時代の今を追う」として適切だと思ふが一冊の本に一部分として組み込むと、なんだか「章」としての構成とは思へなかつた。

それはともかく、インターネットが「冷戦時代の米ソの核戦略の一環」としてツウルとしてアメリカがはじめたものが民間に広まつてからの過去から現在までの「インターネットの歴史」を知るには良い書だと思ふ。

しかし、だうにも理解しがたい記述があつた。 海外のメディアサイトでサイト内に母国語だけでなく日本語訳もあることと比較して、日本のメディアサイトでは記事のほとんどが日本語対応のみであり、外国語があつても英語のみであることに苦言を呈されてゐたが、それこそ今や「翻訳ソフト」により瞬時に翻訳できるのであるから、わざわざそんな手間をかけなくてもいひのではないか・・・と思ふ。 本書の題名を考えると「釣」の仕掛けとして外国語翻訳記事をあれこれ用意してをくべきだと述べたいのだらうか? それにしては、日本語訳対応してゐるとして挙げられる海外メディアが朝鮮日報と人民日報だけなのはいかがなものかと・・・・

ちなみに、お仏蘭西新聞 「ル・モンド」イギリス新聞「インデペンデント」ドイツ新聞「ディ・ツァイト」のサイトを見たが、自国語だけのサイトでおふらんすもおどいつも外国語翻訳への窓口はなかつた。 個人的な意見を言へば、新聞など自国民に対して発行するものであるからなぜわざわざ外国語翻訳記事を出す必要があるのであらう? 

朝鮮日報と人民日報がお好きなのか知らんが、シンガポールでの公用語その他についての記述の後に、日本について「言語の問題は文化戦略の水準ではない」とあり「英語はもっぱらスキルとして認識されており、はっきりいってしまえば英語教育はどう考えても語学産業の利益にしか寄与していない。言語政策不在のもとでの英語重視は百害あって一利無し。小学校での英語必修など論外である。小学校で語学を学ぶのなら、この列島の文化の多様性を知るためにアイヌ語や韓国語を語学科目に入れるべきである」(P248)とある。

だう考えやうと個人の勝手であるが、この見解には首をかしげた。視点の違ひと言へばそれまでだが、英語が世界的に「公用語」とみなされてゐるのは現実である。国連ではおフランス語が必須だし、おフランス語はアフリカのほとんどで使用されてゐるし、中南米ではあの広い大陸のほとんどがスペイン語である。 小学校での英語必修の発想は、それこそ「グローバル」な場面で読み書きが出来るやうに、外国語に馴らすことを考えた結果のことであらう。 その外国語に世界的に公用語として使はれてゐる英語が選ばれただけだらう。

「日本の文化の多様性を知るために」なぜ外国語科目の授業が、しかもほとんど一部でしか使はれてゐない言語が小学校で必要なのか? さういふものは、一通りの勉学を終了し、専門課程へ進む知識を備えた段階で当人が選択できるやうにすればいひだけではないか? 小学校での英語必修の意図をこの人は履き違へてゐるやうだ。 かういふ人が大学教授などにゐるから、円周率を3とウソを教える「ゆとり教育」などワケわかんないことがまかり通つたのであらう。

そして、もふ一つ言ひたいことがある。「第二部 文化としての戦争 8 記憶と戦争 過去に学ばないという病」(P97-105)にBBCが戦争体験を募集したことについての記述がある。その一番最後のところに「この列島では過去を水に流す文化が、ファクトをひとつひとつ確認して蓄積し教訓化するという集団の知恵の成長を阻んでいるのではないか」とあつたが、「過去を水に流す」の意味を正しく理解してないと思ふ。

「過去を水に流す」のは過去に起きた事に関連して恨みつらみ、憎しみ悲しみといふ負の感情を流して、次に進むことを意味してゐると思ふ。それは、「自分に都合の悪いことを忘れて生きる」と言ふことではない。自分も負の感情を忘れるが、相手にも負の感情を抱かず前に進むための表現が「過去を水に流す」といふことだと思ふ。それがいつのまにか、「過去を水に流す文化」といふバカな言ひワケに使はれ、過去の過ちを検証し再発させないやうにすることを 否定するかのやうな表現の例へになつてゐる。大学教授といふ立場でありながら、こんな表現を用い、しかも過ちを「文化」として正さない姿勢を見せてゐるのが物凄く違和感を感ぢる・・・・

この人の出身大学が東大、鳩山も東大、某新聞の人生相談でワケわからない返答をしてゐる人も東大・・・・・・ (タレントや議員で東大も地頭が悪いのが多いが) 官僚もほとんどが東大・・・・・・

そしてなぜか、この立場の人たちは半島大陸が吐いてゐるウソに対して証拠を持つて毅然と立ち向かふことをしない。この人に至つては「韓国はもともと文化先進国という輝かしい歴史をもち」(P255)といふ見解のやうだが、いろいろネツトで見る「日本文化の模倣」は「文化先進国」のなし得るワザ(戦略)なのだらうか?

東大出身の人が教育や国策に関はると、ろくなことにならない理由がなんとなくわかつたやうな気がした・・・・・・のが本書の読後感であつた。