goo blog サービス終了のお知らせ 

ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

日記: 死ぬことの「意義」(4) - キリスト教的感性

2008年12月11日 18時26分53秒 | Weblog
[個人史]: 日記 特質 気質 性質 特異:体質 思想 信条
※ 「ピンボケ」 急速拡大中。 「終焉」に向け 努力中 だが 「麻生ドロドロ政権」 効果でダウンできず。
シリーズ: 悪人担当「死に神」と呼ばれたい (笑々)


聖書では 自殺を禁じている事について 「前回記事」 で記したとおり、 人間は 「殺してはならない」 と強く戒められている。

だが、 決して間違えてはいけないのは、
信じない者に ”命乞い” をするのではなく、 「信じた者」 に戒めていることにある。

<聖書的歴史>
聖書を読むと、 アダムの子”アベル” に始まったように 神に愛されたり、 神に近い 『義なる者』 ほど 遠慮無く 殺されて居ることが判る。

さらにキリスト教なのに、
キリスト・イエス までが十字架に架けられて 墓に葬られてしまう始末だ。

その後も、 カソリック教会が誕生するまでの 数百年もの間、
イエスを信じたクリスチャンは ローマ人によって 殺され続けた歴史を持つ。

これでは、 子どもたちのヒーロー 「○○戦隊 △△レンジャー」 にはまるでほど遠いではないか..!

<死んでから ”ナンボ”>
実際は、 死んだ後は保証されない 「人間を拝する宗教」 とは異なり、

キリスト教的には 死んだ後にこそ 真の目的が 『発効』 する。
それだから、 死(死後の生き様) を恐れる感覚は 薄いことだろう。

死んで終らないからこそ、 『殺してはならない(& 自殺の禁止)』 と戒めるのである。

 (続)

関連記事
'09.01/14 日記: 死ぬことの「意義」(5)- 間際の走馬燈【1】
'08.11/27 日記: 死ぬことの「意義」(1)- 「死の恐れ」
'08.08/18 聖書から見る古代(14) 不死不滅


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。