静かな場所

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ピアノデュオ ドゥオール(藤井隆史&白水芳枝)リサイタルを聴きました(三重県文化会館)

2017年07月28日 21時15分57秒 | コンサート


総文レコーディング・アーティストシリーズ Vol.1

ピアノデュオ ドゥオール(藤井隆史&白水芳枝) リサイタル

 ~2台のピアノで奏でる真夏の“ゴルトベルク変奏曲”~


♯♯♯♯プログラム♯♯♯♯

J.S.バッハの作品

~4手連弾~
神の時は最上の時なり BWV106(クルターク編曲)

~2台ピアノ~
主よ、人の望みの喜びよ BWV147(マイラ・ヘス編曲)


休憩(15分)

ゴルトベルク変奏曲 BWV988(ラインベルガー編曲)


【アンコール曲】
ショパン(サミュエルソン編曲) / 子犬のワルツ
ショパン(グールド&シェフター編曲) / 幻想即興曲
サン=サーンス( ガーバン編曲による「動物の謝肉祭」より) / 「白鳥」
(ショパンは2台ピアノ、サン=サーンスは連弾)

2017.07.27(木)14:00開演

三重県文化会館大ホール



 真夏の昼間のゴルトベルク、ということで、これは寝落ち必至かと思われましたが、たしかに一時的に意識が飛びましたが、ほぼ「ちゃんと」聴くことができました。
 ドゥオールは、ここ三重県文化会館で3枚のCDを録音していて、そのうちの1枚「ゴルトベルク変奏曲」はレコ芸特選盤になっさたとのことでした。
 私が2台ピアノのリサイタルを聴くのは、1970年代後半のデュオ・クロムランク以来だと思います。

 さて、1曲目の「神の時は最上の時なり」は1分半か2分ほどの短い、しかし、祈りの気分に満ちた敬虔な曲でした。カンタータ106番中の、たぶん、コラールを編曲したものでしょう。
 これは連弾でした。
 拍手の間に白水さんが右側ピアノに移動し2曲目となりました。

「主よ、人の望みの喜びよ」

 これはおなじみですが、2台ピアノ版どころか実演で聴くのは初めてかも知れません。
 たいへん感動しました。
 2台用の編曲は、単に音が多くなる、響きが厚くなる、というだけでなく、「対話をするような」「場面(カメラワーク)が変わるような」効果があり、聴きなれた曲が立体感を持って奏でられるのが新鮮でした。
 この日、どの曲の演奏でも、そのように感じました。
 ところで、ヘスはこの曲のピアノ編曲を3種(ソロ、連弾、2台ピアノ)残しているのだそうです(演奏後のトークで言及)。
 彼女の、この曲への敬愛の強さの表れでしょうか。


 さて、短い曲を2曲聴かせてくれたところで15分間の休憩。
 その前にお二人のMCがありました。大変気持ちの良いトークでした。
 会場内では、次の曲が長いこと、途中で中断がないことなどが念入りにアナウンスされていました。




 「ゴルトベルク変奏曲」 


 これは俗称で、バッハ自身の残した標題は「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」ということです。
 この日は、それをヨーゼフ・ラインベルガーが2台のピアノ用に編曲したものを聴かせてもらいました。
 もちろん、聴くのは初めて。
 2台版どころか、そもそも「ゴルトベルク」の実演を聴くことが初めてでした。



 「ゴルトベルク変奏曲」 


 その冒頭の「アリア」だけは人前で弾いたことがあります。
 高校の音楽の授業では、毎年年度末にクラス内コンサートみたいなのをやっていました(やらされていました)が、たしか、2年生のときに、これを弾きました。
 ゆったりと譜面を見ながら、たどたどしく弾いた記憶があります(1975年2月頃)。
(「アンナ・マグダレーナの音楽帳」の楽譜で)



 「ゴルトベルク変奏曲」 


 長い間、ちょっと「とっつきが悪い」お付き合いの曲でした。
「フーガの技法」を高校入学前に聴いてしまったのに比べ、この曲のレコードを買ったのはずっとあと。
 社会人になってからではなかったか?
 たしか、グールドの旧録音でした。
 その後、「ゴルトベルク」と言えば、ずっとそれ1枚だけ。
で、あまり聴き返すこともなく時は流れ、CD時代にグールドの再録音を買って、その変貌に驚いたものの、そのCDは全曲1トラックという、まったく聴くのがメンドクサイ代物でしたので、これもたいして聴き返すことなく月日は過ぎました。

 今でこそ、グールド3種のほかに、6種くらい手元にありますが、そういう訳で、この曲に親しみを覚えるようになったのは、つい10年ほど前からでした。
 毎晩、寝落ち用にウォークマンでいろいろ聴いていますが、この曲の選曲率はかなり高いです。

 この曲、しかし本当に素晴らしい曲です。
 全曲通し聴きには(私の場合)「エイ、ヤッ」と気合が必要ですが、この曲を聴くということは、他のバッハ作品を聴く時以上に、音楽と対峙する、バッハと対峙する、という感覚が強くなります。
(そんな風に感じるのは私だけでしょうかね?)
 
 アリア2回と30の変奏、そのほとんどがト長調でありますが(3曲のみト短調)、聴き進むにつれてじわりじわりと羽根を広げていく、その楽曲の仕掛けみたいなものは聴く度に一つ一つ 気付かされながらも、まだまだ未発見の宝はいっぱい、という現状なのです。




 「ゴルトベルク変奏曲」 



 この日聴いた「2台版」には、先に書いたように、2台ならではの演出と書き足された音符によって、ディスクでは味わえなかった様々な「面白さ」がありました。
 例えば、冒頭のアリアは、最初、右側の白水さんから弾き始められ、リピート部分で左の藤井さんに受け継がれ・・・というような、私にも判るものだけでなく、ラインベルガーの書いた多様な仕掛けが(たぶん)見事に再現されていたのだと思います。
私は第6変奏あたりからしばらく睡魔に襲われましたが第9変奏の「カノンだよ、起きなさい!」に助けられました。
「3の倍数の変奏はカノンで書かれている」
「折り返しの第16変奏は序曲から始まり、いかにも『後半開始』という雰囲気」

など、既知の事柄も、実演では、より明確により説得力を持って迫ってきました。
 どういうわけか、私は、この曲の楽譜(ウィーン原典版;音楽之友社刊)を持ってて、たまに見ながら聴くこともあるのですが、後半に行くほどに難易度がムチャ高くなっているのには、いつも驚き慄いていました。
 しかし、こうやって実演に接して感じたのは、特に最後のいくつかの変奏は、高みに近づき、そして到達した者が観ることのできる壮大な景色みたいなものだということでした。
 デゥオールのお二人は、第16変奏の前に、ほんの少しだけ「間」を取っただけで、あとはほぼ連続で演奏されました。
 第30変奏の終結が、それまでとは明らかに違うリタルダンドで、空に吸い込まれるように美しく消えると、少しの空白を置いて冒頭のアリアが戻ってきました。
 ああ、このなんとも言えない感慨は、ディスク鑑賞では得られません。
 長い旅の終わりのような、山頂にて感じる特別な感情のような、また新たなスタートを切る前の安息のような・・・。


 アンコールはショパン。
 最初は「小犬のワルツ」。
 そして、
「最後に、もう1曲ショパンを・・・」
と言われて「幻想即興曲」。
 あの、おなじみのメロディが見事に二人の対話のように演奏されました。
 ショパンの曲を、あえて「2台版」で弾くことについてご本人たちが語られました。

 これでおしまいと思っていたら、藤井さんが何やらステージ奥に合図され、連弾用の椅子が運び込まれ、サン=サーンスの「白鳥」を弾かれました。
 これも美しかった。

 全体を通して感じたのは、お二人の「一心同体」とも思える程の呼吸の一致と、2台(連弾)による立体感の妙でした。
 2台のピアノによる演奏会は、ソロ・リサイタルとは全く違う、むしろ室内楽のコンサートに通じる緊張と融和がありました。


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