日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

アメリカで「児童虐待」犯になりかけた話

2006-08-27 11:45:41 | 海外旅行・海外生活
昨日のブログで述べたように、アメリカでは子供に対する親の保護義務の意識が高く、住民も目を光らしている。これは実は私の実感で、私がその非難の視線に射すくめら攻撃の矢面に立たされたことがあるのだ。

娘をスーパーで買い物カートから転倒させたことで、私は二度と幼い子供から目を離すことはしないと心に堅く誓った。それなのに、それなのに・・・・、なのである。

1967年3月に次男がYale-New Haven Hospitalで誕生し、その8月には一家五人が愛車Ford Falcon Futuraで東海岸から西海岸まで大陸横断して新しい赴任地Santa Barbaraに赴いた。それからまもなくの出来事である。

週末恒例の食料仕入れにスーパーに出かけた。買い物を済ませて食料品など満載したカートを押して車に戻りかけたら、何だか人の輪ができている。近づくにつれてそれが私の車を取り巻いていることが分かった。車の中から次男の激しい泣き声が洩れてくる。それが人を呼び寄せていたのだと思った。

その日、スーパーの駐車場に車を駐めても次男はすやすや気持ちよさそうに眠っている。買い物は30分ぐらいで終わるし、そのぐらいなら寝かせておいても大丈夫だろうと思い、換気のために少し窓ガラスを下げて車を離れた。秋に入っていたので車内温度が上がることはないと判断したからだ。

私は次男に「ああ、ごめんね」と云いながら抱き上げ、別に人の輪を気にしなかったが、途端に物凄い剣幕でその人達に詰め寄られたのである。赤ん坊だけを車に残して買い物をするなんて考えられない、あんたそれでも親か、と云うわけである。「探していたんだぞ。アナウンスを聞いたか」と云う人もいる。すこし穏和な人は、赤ん坊はよく盗られるから絶対にこんなことをしたらいけない、と諄々と説いてくれる。そのうちにパトカーがサイレンを鳴らしてやって来た。赤ん坊を車中にほったらかしているのは犯罪行為であるからと誰かが通報したのである。

次男が確かに私の子供であることを警官が確認し、それにこちらの決まりを知らなかった外国人であるという事情を考慮されて、二度とこういうことをしないようにと厳しく言い渡されて私は無事解放された。パトカーが去った後も何人かの人が残って、驚いただろうと慰めてくれる人もいた。寝ている子供を車に残しておくだけで「児童虐待」になるなんて夢にも思わなかったので、その慰めが有難かった。

児童虐待を禁止する法律は多くの州で定められているが、その児童虐待は次のような定義されている。

「The Law defines child abuse as: (1) Physical abuse, (2) Neglect, both general and severe, (3) Sexual abuse (4) and Emotional abuse.」

二番目にあるgeneral neglectが私のケースに相当することになる。

「An example of general neglect includes inadequate supervision, such as parents leaving their children unsupervised during the hours when the children are out of school.」なのであるから、赤ん坊を車の中に放置するなんて普通のアメリカ人には全く考えられないことなのである。

私は車のまわりに居た人を、最初はなんて物見高いんだろうとしか思わなかった。それはひとえに私の認識不足によるものであった。今のように携帯電話のない時代だから、誰かがわざわざスーパーの事務所に足を運び、親を呼び出すアナウンスを依頼し、そして警察に通報するという労をとってくれたのである。その親切に感謝すべきなのであった。私に状況が分かってくるにつれて、『異常』に気付いた人たちが、直ちに行動に移るコミュニティの健全さが私に深い感銘を与えることになったのである。

「親(保護者)の児童保護義務を徹底化すること。その義務を怠った親には罰則を科してまでも徹底すべきである」という私の主張のルーツがここにある。アメリカに比べてわが日本社会は余りにも親の児童保護義務に鈍感である。

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