
3月14日朝日朝刊第一面の記事である。京都大学医学部付属病院で2006年3月に脳死肺移植をした30代女性を手術でのミスで死亡させたとして、3人の医師が業務上過失致死の疑いで京都地検に書類送検されたというのである。要点は以下の通り。

事故直後に外部の専門家も入れて京大病院に設けられた調査委員会は半年後に報告書をまとめ上げ、京大病院はこの報告書を公表、過失を認めて遺族に謝罪し、再発防止策を打ち出したとのことである。事故原因を調査して過失があった場合には率直にその非を認めて遺族に謝罪することは医師の職業倫理からしても最低限のつとめである。またその反省を再発防止策に具体化することも当然の義務である。ここまでは私も素直に理解できるが、医師3人が「業務上過失致死の疑い」で京都地検に書類送検されたというところに引っかかりを覚えた。
私が車でドライブをしていて、脇見運転で人をはねて死亡させたとする。この場合には一般的な交通事故としては私は業務上過失致死罪に問われることになるらしい。自分の楽しみでドライブをしているのが何故業務なのか、法律に疎い私には分からない。ところが医師の医療行為はまさに業務そのもの、その業務上の過失で患者を死亡させたから業務上過失致死罪に問われるというのは一見分かりやすい。しかし私なりに考えると腑に落ちないことが多い。病院も認める医療過誤で家族を亡くされたご遺族の心中はお察しするが、ここではそういう方々のもろもろの思いを封じ込めて話を進めることにする。
私が腑に落ちないというのは、「手術」に対して私なりの見方があるからである。
医療行為にはもともと実験的要素がある。実験的とは試しに行ってみることと受け取ればよいだろう。たとえば患部を切除する場合に、そこまで大きく切除する必要がないかもしれないが、念のためそこまで切るというのは、いわば試しに行っているのである。だから逆にどこまで切除範囲を狭められるかという試みもありうる。これが「実験」なのである。先端医療の領域では実験的な治療行為がますます重みを増してくる。だから元実験科学者の視点で眺めると「手術」は「人体実験」そのものなのである。そして「実験」の意味するところもなかなか多様で、新しい薬剤を使用するとか新しい手法を取り入れことも実験ならば、手術チームのスタッフの新しい組み合わせも実験なのである。
さらに手術には科学実験とは異なる特徴もある。術前の計画に従って手術を進めるものの、実際の所見に基づき、また状況変化から手術進行中に計画変更を迫られことがそれに当たる。科学実験ではあらかじめ決めた手順で一連の操作を行い、実験に区切りをつける。一区切りの実験の最中に計画変更を加えることはまずしない。この点で「人体実験」はより高度な実験であると言える。そしてこれが私の強調したいことなのであるが、手術も「実験」である以上、実験の宿命である失敗から完全に逃れることは出来ない。
実験を始めるにあたって誰も最初から失敗することを考えない。皆成功を目指す。しかし万全の準備を整えたとしても人間の営みである以上、思い違い、思い込みで思わぬ失敗をすることがある。しかしチャレンジする科学者は失敗を恐れない。失敗がノーベル賞を生み出したという話もあるくらいだからだ。失敗を成功の糧にするのである。
手術も(人体)実験である以上、頻度がきわめて低いとしても失敗は起こりうる。ただ人命がかかっているだけに手術に取りかかるまでに、科学実験を始める以上に安全性を十二分に検討し、万が一にも過失を犯さないよう慎重な準備のもとに手術を始めることだろう。京大病院における生体肝移植の創始期には、症例ごとに倫理委員会の審査が慎重に進められることを身近に見てきた。そこで承認されて始めて手術に取りかかることが出来たのである。しかしそれでも成功が100%保証されたものではない。科学実験では失敗したからと言って刑事罰を科せられことはない。それが「人体実験」であると言うだけで医療過誤が明らかになると医療従事者が刑法上の罪に問われる。科学実験と実験としての本質は変わらないのに、なぜこちらに司法が介入するのだろう。これがすんなりと分からない。
さらに手術チームの個々のスタッフの刑事責任が問われるのもこれまた不可解である。
臓器移植のような大がかりな手術の成否がチームプレーの成熟度に大きく依存していると思われる。京大病院のケースではチーム内の連係プレーのまずさが指摘されているが、これも「実験」としてあり得ることである。一方違う角度から眺めると、この手術も倫理委員会の承認を得たものではなかったのか。もしそうだとすると、この程度の習熟度の手術チームにゴーサインを出した倫理委員会の責任がまず問われるべきである。しかしその責任追及がないと言うことは、「手術」の実験的本質に対する倫理委員会の理解が、私の理解と共通しているからなのかも知れない。私は現在の倫理委員会の機能がどのように規定されているのかは知らないので、この問題にはこれ以上立ち入らないことにする。私は刑法の意義を常識程度にしか知らないが、その趣旨からすると犯罪性を問うべきではない手術の失敗を刑法で裁くこと、ましてや刑事罰の量刑算定につなげることに全くの違和感を覚える。
手術が人間の営みである以上、無謬と言うことはあり得ない。時には凡ミスが重なり人命を損なう場合もあるだろう。しかしこのことは医療という職業に従事するからこそ起こりうることで、医療事故、医療過誤に関しては客観性のある原因調査委員会が事柄の全容を明らかにすることで十分であろうと思う。故意の犯罪的意図が浮かび上がった場合のみこの委員会が司法機関に告訴すればよいのである。これはぜひ制度化すべきものであると私は思う。今回の「業務上過失致死の疑い」で京都地検への書類送検はどう考えても私には納得できない。上記の新聞記事も触れているが、検察の不起訴処分を良識として期待したい。