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魔女っ子くろちゃんの映画鑑賞記録

映画大好き!わがまま管理人の私的な映画鑑賞記録です。名作・凡作関係なく、好き好き度★★★★★が最高。

奥さまは魔女

2006年10月24日 | 
★★☆
監督:ノーラ・エフロン
主演:ニコール・キッドマン、ウィル・フェレル、マイケル・ケイン
2005年 アメリカ

 ジャックは喜劇役者。でも最新作が大コケして、評判はすこぶる悪い。マネージャーと売り込みに必死だ。
そんな彼の次回作はTVドラマで有名な「奥様は魔女」のリメイク。18番、お鼻をぴくぴく動かせるサマンサ役を探し回っていたが、ある日図書館でぴったりの女性を見つける。それがイザベル。・・しかし彼女は真実の恋に憧れる、本物の魔女だった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 リメイクではなかったんですね。なんだか中途半端でどうなんだろう。ひいき目に見れば、ニコールのファッションがかわいく、マイケル・ケインの缶詰が笑えたけど、はてそれだけだったような。

 ニコールは相変わらず美人さんだが、こんなかわいらしい役はどうなんだろう。顔のきつさがどうにも気になって、これがメグ・ライアンだったらまた違った感じだったんだろうとか思ってしまう。
 
 シャーリー・マックレーンも一体何だったんだろうな役どころ。ホントになんでこの映画作ったんだろう。

オープン・ウォーター

2006年07月23日 | 
★★★
監督:クリス・ケンティス
主演:ブランチャード・ライアン、ダニエル・トラヴィス、エステル・ラウ
2003年 アメリカ

 スーザンとダニエル夫妻は互いの仕事が折り合いがつかず、計画してから7ヶ月目でやっと休暇を取ることが出来た。キャリア・ウーマンのスーザンはパソコンを持ち込み、仕事に心を残しダニエルに諭される。
 ボートまで外洋に出て、ダイビングのツアーを楽しむ二人。しかしあろうことか全員の帰船を確認しないまま、ボートは二人を置き去りにしたままツアーを終え、帰ってしまった。
 果てしなく広い海の真ん中に取り残されてしまった二人。疲労と共に二人を狙う鮫たちへの恐怖・・・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 実話であるとのクレジットが出るが、正確にはこの悲惨な遭難から想像したフィクションであろう。結局救いのない結末に肩すかしを食うかも知れないが、水死だけは勘弁願いたいと思う身には、この状況はこの上ない恐怖。
 何よりも恐ろしいのは鮫ではなくて、自分は助かるのか否かの不安。もしかしたら死ぬしかないのではないかという恐怖。「死」自体はそんなに恐いモノではない。耐え難いのは「死ぬかもしれない」と怯えつづける「死に至るまでの絶望的な時間」。
 いっそひと思いに鮫にばくんと喰われた方がどんなにか楽だろうか。
 皮肉なことに、死を覚悟した時の方がその顔は潔く平穏で、もしかしたら助けが来るかもしれないと一縷の望みを持っていた時の方が狂いそうなほどの恐怖に支配されている。

 よく山で遭難したとか、海で遭難したとかニュースで聞くが、あっさりその死を耳にすることの裏に、かような「死」までの恐怖が存在することを改めて見せつけられた気がする。
 映画的に面白かったとかどうか以前に、「死」はそんなにやさしく訪れてはくれないという事実を。

 ちなみに背が立ちそうなところでもスキン・ダイビングで溺れそうになった私は、どんなに素晴らしい楽園が待っていようとも、ぜ~~~ったいこんなボートになんか乗って沖に出ようとは思わない。映像や水族館だけでいいです。

オゾン短編集

2006年06月26日 | 
★★★☆
監督;フランソワーズ・オゾン

<海をみる>
 夫の不在中、一人で幼い子供と休暇を過ごしている主婦。そこにバックパッカーの女がやって来て、庭先に滞在することを願い出る。その威圧的な態度は、お願いというよりいてやるという印象を与えかなり不快である。そしてその関係は(自分と子供だけ)という心細さも手伝って、次第に本当に「いてください」という関係になり、二人の女の立場が逆転していくあたりから恐くなっていくのだ。
 あの衝撃的な結末は、はじめから想像ができた。オゾン監督のすごさは、最初バックパッカーの女に感じた不快感が、次第にに人に依存し自分を持たない主婦へ移行していく演出だろう。映画が進むうちに、私の目線は完全にバックパッカーに映り、主婦を軽蔑し、嫌悪さえ感じていた。

<サマードレス>
 ゲイの恋人がいるが、女性にも興味がないわけではない。そんな青年と浜辺で出会った女性との蜜月。その後に青年はまた恋人と情事を繰り返す。男性~女性との性で揺れる一人の男性をすご~くさっぱり明るく描いた映画。本命は男性なんだろうが、ゲイの性を越えた浮気・・てことなんだろうか。

<アクション・ヴェリテ>
 まだ幼さの残る4人の少年・少女たちが性的なゲームに興じている。行動か告白か、どちらかを先に告げて言われた通りのことをしなければならないのだ。彼らの多くはアクションを選び、キスをさせられ、仕返しの気持ちも加わって、その要求はどんどんエスカレートしていく。しかしみんなが凍り付いた瞬間。そこでこのゲームはまちがいなく終わっただろう。
 性の現実が、遊び心でのそれ以上の進入を拒むはずだから。
 別な意味で恐い映画だ。

<小さな死>
 幼い頃に聞いた父の一言によって、自分は異端児、愛されていない人間だと思いこんで生きてきた男。彼は男性との行為中の恍惚の表情をカメラに納めていた。自分は醜い。写真はそれをまざまざと教えてくれているはずだ。
 ・・・・この主人公かかなり屈折している。屈折しているが故に、知る機会があったであろう真実に背を向けて、父の臨終を迎えてしまう。しかし愛されていたという事実は、やはり一枚の写真によって彼に伝えられ、その心を解きほぐすのだった。
 いささか偏執的で繊細な心を持った男の話は、映画的には面白い。実際子供がこんなだったら困りものだが、言葉には気をつけた方が良さそうだ。

<ベッドシーン>
 男と女、男と男、様々なベッドシーンでの模様が展開される。笑えるエピソードあり、ちょっと恐いのもあり。
 不潔なくせに、自分はきれいと信じて疑わない男はやはり勘弁願いたい・・かな(^^;)

男と女

2006年06月16日 | 
★★★★
監督:クロード・ルルーシュ
主演:アヌーク・エーメ、ジャン・ルイ・トランティニアン
1966年 フランス

 夫を事故でなくしたアンヌは、娘をドービルの寄宿舎にあずけてパリで独り暮しをしていた。レーサーのジャン・ルイも一人息子を同じ寄宿舎にあずけていた。
 ある日曜日、娘の面会に長引いたアンヌは帰りの汽車に乗り遅れてしまう。そこに居合わせたジャン・ルイはアンヌを車で家パリまで送った。ジャン・ルイの妻は、レーサーの彼が事故死したと勘違いして自殺してしまったのだ。
 ジャン・ルイは美しいアンヌが忘れられず、レースの準備で忙しかったが誘いの電話をかけた。やはりジャン・ルイのことが気にかかっていたアンヌは承知し、次の二と曜日互いの子供を連れて二人はデートする。お互いの気持ちを隠せず、アンヌはレース前のジャン・ルイに「愛している」と電報を打つ。
 ドービルの浜辺で再会し、その後二人は愛を確かめ合う。しかしその時、アンヌの脳裏には亡き夫の面影が・・・。
 気まずいまま、アンヌは汽車で、ジャン・ルイは車でパリへ向かう。このまま終わってしまうのかもしれない。しかしあきらめきれないジャン・ルイは、乗換駅でアンヌを待つ。ジャン・ルイの姿を見つけたアンヌは一目散にその胸に飛び込むのだった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ずいぶん昔の映画なので古くささは免れないが、見終わった後何度もシーンを思い出したくなり、美しい映像のワンショットがたいそうな宝物に感じ、素直に「映画を見た!」という気にさせてくれる。ヨーロッパ映画独特の雰囲気もあるのだが、こんな映画に最近はお目にかかれない気がする。なんの説明もなくても、映像美と音楽。感性だけでこんなにもステキな映画ができるのだということを思い出させてくれた。
 フランシス・レイの楽曲は有名すぎるほど有名だが、この頃の映画音楽はそれがなくては成り立たないほど、重要なファクターであったのだ。最近はエンドクレジットにのみ印象的な楽曲が流れることが多いけれど、それは映画音楽とは言えないんじゃないかとずっと思っていた。レイの音楽はこの映画の半分を担っているといっても過言ではない。

 アヌーク・エーメのアンニュイな美しさ。これほど個性的でかつ完全な美人を最近は見ない。神秘性の欠如というか、どんなに美人でもどこか「普通の人」なのだ。私が男だったら、きっと声なんかかけられないだろう。本来は男優に目がいくのに、この映画ではアヌーク・エーメはだけを見ていた。ジャン・ルイ・トランティニアンは霞んでしまった。いい女はいい男よりも魅力的である。

狼の挽歌

2006年02月03日 | 
★★★★
監督:
主演:チャールズ・ブロンソン、ジル・アイランド、テリー・サバラス
1970年 イタリア

 フロリダで愛人バネッサとクルージングを楽しんだ後、一匹狼の殺しやジェフは何者かの車に執拗な追撃を受ける。目の前に立ちはだかった車から出てきたレーサーは無言でジェフを撃ち、バネッサと共に立ち去った。彼は以前ジェフにおじ殺しを依頼してきた客だった。一命を取り留め拘留されたジェフだが、正当防衛が認められ釈放される。
 レーサーとバネッサの復讐のため、彼らの居所を探し出す。レーサーをレース中に事故死させたジェフ。ところが彼女はあの件はレーサーの嫉妬によるものだと釈明した。二人でマイアミに向かおうとした時、何者かから届けられたレーサー殺しの証拠写真。ジェフはマイアミ行きを取りやめ、送りつけた男ウェーバーに会ったが、なんとバネッサは彼の妻だった・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 のっけから唐突にくり広げられるカー・チェイス。一匹狼の殺しやと対する組織の対立かと思いきや、愛する女に裏切られては復縁の繰り返し。すかした映画と思わせておいて、たかだか一人の女に固執し振り回され続けた、女で身を滅ぼした殺し屋の物語。
 しかしこれがかっこいいのだ。騙されても騙されても、惚れた弱みで何度も許してしまうジェフ。きっと恋には無縁で、初めて心底惚れた女だったんだろうという臭さが、相手が実生活でも愛妻のジルとあっては妙に納得。この二人はベスト・カップルだな。
 画面上ではクールを通すジェフ。ジェフに惹かれながらも愛よりはお金、地位と割りきる女。(そりゃあ、最後のパートナーがあの弁護士ではしょぼすぎる)この女を自分のモノにするには殺すしかない。女も「いっそ殺して」とその身を委ねる、あまりにも美しすぎるエレベーターの狙撃シーン。それで最後があれだもの、く~~~、久々にこれでもかっていうくっさい(いい意味で)ドラマに酔いしれた爽快感。音楽もあのモリコーネ♪印象深い旋律。

オリバー!

2006年01月26日 | 
★★★
監督:キャロル・リード
主演:マーク・レスター、ジャック・ワイルド、オリバー・リード
1968年 イギリス

 救民院で生まれ育ったオリバーは、おかゆのおかわりを嘆願したことで売りに出されてしまった。オリバーを買ったのは葬儀屋だったが、そこでケンカをしたことで地下室に閉じこめられ、脱出した果てにたどり着いたのはロンドン。
 見るもの全て目新しいオリバーに声をかけてきたのはスリのドジャー。身寄りのない彼を元締めのフェイギンに紹介してくれた。寝る場所と仲間を得たオリバーだったが、スリの仕事にドジャーに付いて行った先でスリの実行犯に間違えられる。しかし被害者の紳士はえん罪と分かった後、オリバーを自分の屋敷に住まわせてくれた。
 困ったのはオリバーにしゃべられるとやばいフェイギンたち。特にビル・サイクスは執拗にオリバーを連れ戻そうと、いやがる恋人のナンシーを脅す。
 使いに出たオリバーを誘拐したビルは、強盗の手伝いをさせるが失敗する。一方、ビルを愛しながらもオリバーにとっての幸せを思うナンシーはビルを裏切り、紳士のもとにオリバーを返そうと画策する。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 オリバー・ツイストとマーク・レスター、キャロル・リードの名は知っていても、観賞するのは初めて。しかもミュージカル映画だったとは。聞けば耳に記憶ある楽曲もちらほら、「ウンパッパ~♪」は息子が学校で習っていたらしく、口ずさむのでこれまたびつくり。
 
 今回ポランスキーも手がけたが、過去何度かリメイクされている「オリバー・ツイスト」、その料理の仕方で違った顔を見せるのだろうか?本作品はミュージカルとしてその楽曲や群舞シーンは素晴らしいものの、ストーリー的にはさしたる魅力を感じなかった。肝心の主役「オリバー」の影があまりにも薄かったせいだろう。
 ただ運命に身を任せ、されるがままのオリバー。実は富豪の親戚だった・・という幸せも棚からぼた餅。なんら自己主張もせず、生命力極度に低そうなのは演じるマーク・レスターのキャラだから?(でもこの時のマークは非常にかわゆい!「小さな恋のメロディ」では、もう育ちすぎ)唄う声も弱々しく、これじゃあ守ってやらずばなるまい、と男性さえ惑わすお稚児さんタイプ。

 故に主役は彼ではなく、フェイギンをはじめとするロンドンのスラムの闇で、ゴキブリのごとく生息する人間たちだろう。中でも悪い男の色気全開のオリバー・リードが印象的。あまりにもあっけない最後もお似合いの小悪党だが、きっと彼の生い立ちを想像するに、オリバーみたいな毛並みの良さは(結果論だが)鼻持ちならなかったに違いない。
 悪党を愛して殺されるナンシーも哀れ。


オズの魔法使い

2005年12月22日 | 
★★★★
監督:ヴィクター・フレミング
主演:ジョディ・ガーランド、バート・ラー、ジャック・ヘイリー
1939年 アメリカ

 ドロシーは、カンザスの農場で叔父、叔母、農場の使用人たちと共に暮らしていた。「虹の彼方にある素晴らしい世界」を夢見る少女だった。
 ある日、ペットのトトが地主に噛みついたとして、処分されそうな危機に。トトと一緒に家出をしたドロシーは逃げ遅れ、巨大な竜巻に飛ばされてしまう。家ごと飛ばされたどり着いたのは「オズの国」という不思議な世界。 そこで知り合った「脳みそのないかかし、「心のないブリキの木こり、「勇気のないライオンとともにそれぞれの希望を叶えてもらうために、エメラルドの都に住むという、オズの魔法使いをたずねて旅が始まった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 不朽の名作と言われる映画がワンコインで購入できるとは、(特典などなくても)なんともありがたい。
「ザッツ・エンタテイメント」を見てから気になりだし、最近ロバート・サブタのポップアップ絵本(洋書版)を購入したこともあり、内容確認の意味もあっての観賞。
 
 少女と心のないブリキのきこり、脳のないかかし、勇気のないライオン等、キャラ的には有名なわりに「はて、オズの魔法使いってどんな魔法使いだったっけ?」と肝心の種あかしがいつも曖昧だった。内容はミュージカルにふさわしくシンプルで教訓的なもの。でも不思議と押しつけがましさは感じない。

 随分と古い映画であるのに、古くささを感じないのも不朽の名作たる所以だろうか。デジタル処理してあるとはいえ、人工着色料を髣髴とさせるポップキャンディのような色彩は楽しい。オズでの世界は古き良きディズニー映画そのままの世界だ。(ディズニーがアニメ化してもおかしくない題材だったのに、手をつけなかったのはこの映画が存在していたからだろうか?)

 本当に欲しいもの、必要なものはすでに持っている。ただそれに目をむけていないだけ・・・・。有名な「虹の彼方に」がそれに気がつかなかった頃のドロシーの憧れだったとは知らなかった。


オーシャン・オブ・ファイアー 

2005年09月06日 | 
★★★☆
監督 ジョー・ジョンストン 
出演 ヴィゴー・モーテンセン、オマー・シャリフ、サイード・タグマウイ
2004年 アメリカ 

 19世紀末、野生の混血種マスタング、ヒダルゴを相棒に数々のレースを総なめにしていたフランク。しかしある時自分が伝えた伝令が元で目の前でスー族が騎兵隊に虐殺されてしまう。フランクもまたスー族との混血児だった。
 虐殺事件がトラウマになったフランクは酒浸り、騎兵隊ショーを無気力にこなす日々を送る。しかしひょんなことから千年以上も続く、アラビア半島横断4800キロレースに出場することになった。フランクの目的は多額の賞金。マスタングを保護するためにどうしても必要なお金だった。
 しかし呪われた砂漠を走る「オーシャン・オブ・ファイアー」はもともと高貴な血をひく純血種だけが出場を許されたもの。例外的に参加を認められたアメリカのカウボーイ、フランクは相棒ヒダルゴと共に死のレースに挑んでいく。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 「オーシャン・オブ・ファイアー」なんてたいそうな邦題がついているが、原題は「ヒダルゴ」こちらの方が、こぢんまりしてよろしい。砂漠のレースは確かに迫力はあるが、これはフランクと愛馬ヒダルゴの、互いに混血種というマイノリティー同士の話なのだ。ちょっと色気を出して「アラビアのロレンス」あたりも意識して、壮大な冒険劇にしてみました、な部分もあったが、はみ出し者の男同士(おそらく)の関係は結構そそられる。また、お馬さんながらこのヒダルゴ、上手すぎ。

 アラブ人とアメリカ人の対比も描かれていたのがこのご時世らしいというか、オマー・シャリフが温和そうなおじいさんになっていて、別な意味で泣けた。実は騎兵隊好きなおちゃめな笑顔も。
 あと冒頭に登場したT・トーマス・ハウエルにも・・・・。

 生物学的には純血より雑種の方がはるかに強い。宗教や国や性別などのあらゆる隔たりを越えてめでたしめでたしではあったが、相棒ヒダルゴを野に返すラストには涙。ヴィゴー・モーテンセン、期待を裏切らない格好良さ。
 

女はみんな生きている 

2005年05月28日 | 
★★★☆
監督 コリーヌ・セロー 
出演 ヴァンサン・ランドン、カトリーヌ・フロ、ラシダ・ブラクニ
2002年 フランス

 平凡な主婦エレーヌは夫ポールと暮らしているが、この夫は遙々自分を訪ねてきた母親に会おうともしないとんでもない男。めんどうなことは全てエレーヌ任せだ。
 一人息子はろくに大学に行きもせず、彼女といちゃつく毎日。
 ある日二人はパーティに向かう途中、男たちに追われ逃げまどう女に出会うが、めんどうなことに巻きこまれたくない夫は女を見捨てその場から立ち去ってしまう。
 目の前で男たちに暴行を受ける女が気になったエレーヌは、彼女が運ばれた病院を突き止め瀕死の重傷を負った女を献身的に介護する。
 奇跡的に一命を取り留めた女はやがてエレーヌに心を開き、数奇な自分の人生を語るのだった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 男どもはどいつもこいつも自己中でふがいなく愚かで、たくましく生きていくのは女ばかり。あまりにも男たちのだめっぷりが徹底しているので小気味良い。
 監督は女性なのか・・なるほど。

 謎の娼婦ノエミが暴漢(?)に襲われたところを見て見ぬふりをしたエレーヌとポール。ポールは知ったこっちゃない態度だが、ノエミの容態が気になったエレーヌは病院を探し、生死をさまよっている彼女の看護を買って出る。
 後半ノエミの過去が明かされていくのだが、彼女の半生がちょっとドラマティック過ぎるのがすっきりしない。私はむしろさらっとした前半部分が好き。自身の母親をついないがしろにしてしまう男たち。(ポールとその息子)二股かけた彼女同士が仲良くなってしまって「あれ~?」な息子など、あるある~な描写がさすがおフランス的。
 
 コミカルな前半部分に比べて後半はやや重く、ノエミがポールと息子二人を虜にしてしまうエピソードもいらない気がした。そういう男のばかさ加減ってのはちょっと違うかな。魅力的な(私にはさほどとは思えないが)ノエミがモーションをかければ簡単に恋に落ちてしまうバカさではなくて、自分に精一杯で身近な大切なものにをついないがしろにしてしまう愚かさ、に共感できたので。

 最後の持って行き方がなるほど女性監督、ちょっと爪が甘い~なんて思ってしまったのが残念。

オペラの怪人(1925年版) 

2005年02月22日 | 
★★★☆
監督 ルバート・ジュリアン 
出演 ロン・チャニー、メアリー・フィルビン、ノーマン・ケリー
1925年 アメリカ

 「オペラ座の怪人」としては、初めての映画化。トーキー作品なので、当然クリスティーヌの歌声も聞けない。ミュージカル要素がゼロであるということは、描かれるのは怪人の悲劇のみ。そういう意味ではミュージカル版よりも原作に忠実なのかも知れない。

 この恐ろしく醜い怪人はそれ故に誰からも愛されることも理解されることもなく、最後は民衆のリンチに合い河に投げ捨てられてしまう。
 唯一望んだクリスティーヌの愛は、ものの見事に彼女自身によって打ち砕かれる。この愚かで残酷な女性は、その正体を知った瞬間から怪人を忌み嫌う。ひとかけらの同情も感じないのだ。そしてこれこそがウェバー版「オペラ座の怪人」では描けなかった怪人の悲劇である。
 この作品があって初めて私の「怪人」は完結した思い。

 現代版「怪人」では音楽を堪能し、物語はこちらで納得、という感じだろうか。

 影の演出(当然モノクロ)などは、古めかしく暗い分、地下やオペラ座の怪しい感じがよくでていた。当初怪人は姿を現さずその影のみが見え隠れする。想像をかき立ててうまい。
 どちらがいいとか悪いとかではなくて、現代版と比較するのも面白いと思う。この映画の怪人はとても「音楽の神様」には見えないけれど、私にとっての怪人はこっちかな。

オータム・イン・ニューヨーク 

2005年02月10日 | 

監督 ジョアン・チェン 
出演 ウィノナ・ライダー、リチャード・ギア、アンソニー・ラバグリア
2000年 アメリカ

 NYのセントラルパークでレストランを経営するプレイボーイ、ウィルは帽子デザイナーの卵シャーロットと出会う。
 親子ほど歳の離れた二人だが、二人は愛し合うようになる。だが一人の女を愛し続ける自信のないウィルと恋にまっすぐなシャーロットの関係は必ずしも順調ではなかった。
 実はシャーロットは神経芽種という不治の病にかかっていて、余命1年を宣告されていた・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

いやー、聞きしにまさるつまらなさだった。世間の評判はあまり気にしない方だが、これはその通り!の出来。同じ難病ものでも韓国ドラマの方が悲劇に徹底しているだけ、ひやかしで見るという手も残されている。しかしこの作品は全てが中途半端でなにを描きたかったんだかさっぱり分からない。
 脚本が悪いのか監督が悪いのか・・・・多分両方なんだろう。

 そもそもギア演ずるウィルという初老のプレイボーイが意味不明。安っぽさの塊。その世間的評価とは裏腹に、どうもギアの魅力がイマイチ理解できないでいたが、ううううむ、落ちるところまで落ちてしまいそう・・・・。せめてもっと仕事を選びましょう、と言いたい。
 このウィルに共感出来る人ってどれくらいいるのだろう?ウィルがあれこれ悩んでじたばたする姿を見て、「勝手にやってろ」と冷たく思ってしまったのは私だけだろうか?

 ウィノナはきれいはきれいだが、その後の凋落ぶりを思うと、やっぱり生彩を欠いている。「エイジ・オブ・イノセント」あたりがピークだったのかも。

 唯一、「ER 」のルイス先生をお見かけした時、ほっとしました。

オペラ座の怪人

2005年02月02日 | 
 ★★★★
監督 ジョエル・シューマカー 
出演 ジェラード・バトラー、エミー・ロッサム、パトリック・ウィルソン
2004年 アメリカ

 19世紀パリ。オペラ座では華やかな舞台がくり広げられる一方、オペラ座の主と呼ばれるファントムによる奇怪な事件に怯えていた。
 ある日プリマドンナ、カルロッタがリハーサル中に負傷。その代役に白羽の矢が当たったのはクリスティーヌというバレエダンサー。
 その類い希なる歌声で一躍喝采を浴びるクリスティーヌだが、彼女には幼い頃から「音楽の天使」と呼ぶ謎の師匠がいた。・・実は彼こそが「オペラ座の怪人」と呼ばれ恐れられている男だった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 舞台も原作も知らず、俳優もほとんど知らない中、前評判だけで久々の劇場観賞。オープニングを見逃したのが非常に残念だったが、結果的には大満足。劇場で見て良かった。音楽が実に素晴らしい。
 特に構成の素晴らしさとたたみかけるような音楽と怒濤のクライマックスは興奮した。(大音響で鳴り響くので体調の悪い時は遠慮したくなるかも)
 さすが有名な舞台だけあって、見たことないはずなのに曲はどれも知ったものばかり。(←あのオルガンのフレーズはこれだったのか~というほどの無知)「オペラ座の怪人」を大音量で聞くだけでも見る価値があると思う。

 セリフがほぼ全部歌なので、当初なぜこんな地味な配役なのだろうと疑問だったが、彼らのほとんどが吹き替えなしで歌っていると聞き納得。
 特にヒロインのエミー・ロッサムはとても当時17歳とは思えぬ歌声だ。その経歴を知ると、普通にただの女優として映画にでるのがもったいないと思う。ただ容姿的に私はピンとこなかったので、ひたすらその美しい声に感心、聞き惚れる。

 彼女に限らず、ビジュアル的には怪人も インパクトが薄かったのが残念。歌える俳優ということでのキャスティングだとは思うが。

 話としては、怪人がクリスティーヌに抱く恋心、そして怪人に惹かれる乙女心は理解できるのだが、ここに至るまでの長年のクリスティーヌと怪人の結びつきがイマイチ描写不足で、二人の深い魂の結びつきに説得力が弱い。
 怪人はどのようにクリスティーヌに音楽の指導をして、美声やセンスを与えたのか、彼女はなぜ怪人を「音楽の天使」と慕い続けたのか。その重要なポイントが言葉のみの説明だったので、ラスト怪人を振り切りラウルを選ぶクリスティーヌの心の痛みが伝わらない。単純に、怪人の醜い顔を見た→ショック→私を利用してたのね~!(←ひどい女)の図式。おまけに死をも覚悟した怪人に無情に指輪の返却。むむむむ、ただの哀れな男の話なのか・・。
 でも舞台の焼き直しなら仕方ない。しかもこれはミュージカル。ストーリーが重要ではないのだろう。

 ちなみに怪人のジェラード・バトラーはドラキュリア。マスク半分の顔はバンデラス似、ラテンの匂い。
 ラウル役のパトリックはどこかで見た顔だと思っていたら 「エンジェルス・イン・アメリカ」のウイリアム・ハート似の彼。ずいぶんイメージが違うものだ。
 エミー・ロッサムも旬の女優さんで、皆、実は活躍中の人たちであった。

(※以上、第一回観賞後の感想)

大人は判ってくれない 

2004年10月26日 | 
★★★★☆
監督 フランソワ・トリフォー
出演 ジャン・ピエール・レオ、ジャン・クロード・ブリアリ、(ジャンヌ・モロー)
1959年 フランス

 12歳のアントワーヌは毎日がイヤでたまらない。学校ではイヤな教師、家では口うるさい母親とうだつの上がらない父親。
 親友ルネと学校をさぼったアントワーヌが町で見たものは、見知らぬ男と抱き合う母の姿だった。翌日さぼった理由を母の死にしてしまったアントワーヌ。その嘘は直ぐにばれる。
 息子の反抗を憂えた母親はなんとか彼にとりなすが、アントワーヌの心は堅く閉ざされていた。
 やがて作文にバルザックの有名な文章を、丸写ししたことを教師から咎められたアントアーヌはルネと家出。お金に困ったためにルネの父親の会社からタイプライターを盗むが捕まり、少年審判所へ送られてしまう。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 トリフォー監督の映画デビュー作はやはり傑作だった!
 自らの分身ジャン・ピエール・レオ扮するアントワーヌ。どんな時でも泣かない彼が親に見放され、少年院に送られていく時に流す涙。その目に映るパリの街は楽しくもやさしくも美しくもない。アントワーヌにとってやさしく、自分を理解してしてくれる大人は皆無である。実の母、継父、教師、みんなが彼を疎ましく思っている。

 この映画は子供(アントワーヌ)の視点から全て描かれているようだ。大人は彼にとって、なんの愛情もかけてくれない冷酷な存在。好き勝手に態度を変え、自分たちの都合だけで子供に接する。大人の事情にはノー・タッチだ。あくまでもアントワーヌから見た大人たちの姿が描かれる。

  実際、大人なりのややこしい事情を理解する子供なんていやしないだろう。それは自分が大人になってみて初めて理解することである。
 アントワーヌのしでかす過ちも、最初はかわいい悪さがどんどんエスカレートしてしまうのも、子供なりの理由があってのこと、大人は知ろうとしないだけ。

  彼の目から見るパリもさぼっているときは刺激的で魅力的な楽しい街だが、家でしてうろつく夜のパリは心細く、輸送される時のパリは突き放したように冷たく映る。このあたりが見事だと思った。

 ヨーロッパ映画の貧しい階級を描いた映画にこのような子供と大人の関係を描いたモノが多い。(今はもう違うだろうが)教師=横暴、親=自分のことで手一杯、みたいな。その中で淡々と生きていく子供たち。

 身近な大人に自分の存在価値を認めてもらえない子供時代を送ったなら、ぐれてしまうのも無理からぬ事。しかしその後信頼できる大人に出会えたなら、己の生きる道を見いだすことができるだろう。この映画を捧げられたトリフォーにとって恩師、アンドレ・バサンのように。

オネーギンの恋文 

2004年08月16日 | 
★★★★
監督 マーサ・ファインズ
出演 レイフ・ファインズ、リブ・タイラー、トビー・スティーブン
1999年 イギリス

 1820年代のロシア、ペテルブルグ。伯父の遺産である地所を相続したオネーギンは、その田舎で過ごすことにした。
 当地で若き地主レンスキーと婚約者オルガ、オリガの姉タチヤーナと親しくなる。オネーギンに惹かれ彼に求愛するタチヤーナだが、愛に興味はないとばかりにそれを拒絶。しかも恋に熱くなるレンスキーをからかうかのようにオルガに接近し、彼女の浮気心を暴いて見せた。
 激怒するレンスキーはオネーギンに決闘を申し込む。たかがつまらない女のために決闘はよそうと説得するが、オネーギンはその銃によって唯一の親友を失う。
 失意のオネーギンは姿を消した。6年後再びペテルブルグに戻った彼は、今や人妻となった美しいタチヤーナに再会し、改めて彼女を愛していることに気がつき、その叶わぬ思いを手紙に綴るのだった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 伯父の遺産を相続し、しばし田舎生活をしてみるオネーギンはどこか世間や上流生活を小馬鹿にしたようなニヒリスト。なかなか的を得た視点や冷めた発言は魅力的ではあるが、真摯に人生を生きていない証。オネーギンは否定するが、都会の上流社会貴族以上に田舎の貴族たちをも見下げていたのは事実。
 たわいない友人への忠告、ちょっとしたちょっかいが友人を追いつめ、ついには決闘へと発展してしまう。「こんな馬鹿げたことはよそう、誤解だ」と和解を申し出るオネーギンの言葉に耳を傾ける余裕はウラジーミルにはなかった。

 事実はオネーギンの言ったとおり、オルガはくだらない女だった。しかし心から女性を愛したことのない彼には、たかが愚かな女のために理性を失い、人生を棒に振ってしまおうとする友人は理解できなかったに違いない。しかしウラジーミルを失った痛手はオネーギン自身も想像以上のショックな出来事だった。

 ウラジーミルの死はオネーギンを変えたと思う。かつてはスカシタ言い訳でその求愛を退けたタチヤーナに再会した時、最早プライドもなにもかも捨てて恋の殉教者になり果てたのは、なにも彼女が人の物になり、田舎娘から貴婦人へと変貌しただけではなかろう。

 タチヤーナは「遅すぎた」と言ったが、この6年の歳月がオネーギンには必要だったのだ。来ない手紙を凍えるテラスで待つオネーギンはみじめには違いないが、幸せそうにも見えた。

 その髪型はかんべんしてほしいレイフだが、細身の華奢なシルエットは美しい。リブもきれい。もっと退屈な映画かと心配していたが、予想以上に○

俺たちに明日はない 

2004年01月01日 | 
★★★★★
監督  アーサー・ペン
出演  フェイ・ダナウエイ、ウオーレン・ビューティ、ジーン・ハックマン
1967年 アメリカ

 アメリカ、大恐慌の時代。
感化院上がりの不良クライド・バロウは、ある日車を盗もうとしている所をウエイトレスをしているボニー・パーカーに見つかってしまう。意気投合した二人は次々に強盗などの犯罪を繰り返していた。途中C・Wという若者も加わり、次第に悪名をはせるが貧しいものから金を取ることはなかった。
 やがてクライドの兄夫婦と合流、張ろう・ギャングとして犯行を重ねていく5人。しかし神経質でヒステリックな兄嫁ブランチとボニーは折り合わず、ブランチのへまのためにクライドは初めて人を殺してしまい、限界に達したボニーは姿を消そうとする。
 必死で彼女の後を追うクライド。互いに求め合いながらも、実は性的不能者であったクライドはボニーをだくことが出来ない。
 
 彼らを追う保安官たちに襲撃され兄バックは重傷を負い、ブランチも捕まってしまった。彼女の口からC・Wの存在を知った保安官らは彼の父親と取引をする・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 子供の頃、本作と「明日に向かって撃て!」を同時に観て映画の虜になった思い入れ深い作品。以後「チャイナタウン」まで、フェイ・ダナウエイは大好きな女優NO.1であった。

 なんと言ってもその壮絶な伝説的なラスト・シーンが印象的。映画は犯罪に手を染めていく男と女の不器用な青春を描き、最後はばっさりと無言でその終止符を打ってしまう。
 仲間の親に売られ、恨みと執念で追いかける保安官の待ち伏せに会うボニーとクライド。ここから二人の体が弾丸に舞、崩れ落ちていくまで、一切よけいな説明、セリフが消える。
 鳥が異変を察しばたばたと飛び去り、何かおかしい。ボニーのアップ。(このときの表情が最高にきれい)
 スマートな演出とはこういうものだと未だに思う。子供心に衝撃的なラストであった。

 実はジーン・ハックマンが出ていたんだと気づくのはだいぶ後。後のダナウエイ出演の「アリゾナ・ドリーム」に確かC・W役のマイケル・J・ポラードも出ていて、これって「俺たちに明日はない」コンビだな、狙ったのかな?なんて思ったりしたが。
 
 1930年代のファッションも見所。この作品のダナウエイは最高に美しくてかっこいい。