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魔女っ子くろちゃんの映画鑑賞記録

映画大好き!わがまま管理人の私的な映画鑑賞記録です。名作・凡作関係なく、好き好き度★★★★★が最高。

さらば冬のかもめ

2006年09月21日 | 
★★★★
監督:ハル・アシュビー
主演:ジャック・ニコルソン、ランディ・クエイド、オーティス・ヤング
1973年 アメリカ

 アメリカ海軍の将校バダスキーとマルホールは、ある水兵をノーフォーク海軍基地から、ポーツマスの海軍刑務所まで護送する特別任務を受けた。気がのらない任務であったが、報酬はあるし時間の余裕もある。早めにすませて遊ぶことも可能だ。
 くだんの水兵はメドウズという18歳の若者。少々おつむの良くないメドウスの罪は、基地の慈善用募金箱から40ドルの窃盗未遂。この程度の罪で8年の刑を宣告されたことに二人は同情する。加えて純朴なメドウスに好感を持った二人は、刑務所に入る前に人並みに遊ばせてやろうと、バーで飲酒させたり、まだ女を知らないメドウスに筆下ろしまでさせてやる。
 その最後のいい思いが仇となり、俗世間への欲が芽生えたメドウスは、二人を裏切って脱走を図るが失敗する。力ずくでメドウスを捕まえたバダスキーらは、ポーツマス海軍刑務所に引き渡した。後味の悪い任務であった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 お偉方の都合で至極理不尽な量刑を言い渡された若い水兵に、気のいい二人の将校は同情する。まして盗癖はあるものの、すごく純ないい奴なのだ。何より世間の楽しみをまだまるで知らない。
 ニコルソン演じるバダスキーの品はないが、気のいい中年おやじがすごくいい。兄のように、父親のようにメドウスを心配し信頼する。彼の教える「いいこと」は法律的には「よからぬこと」ばかりなのだが、過酷なことで知られる海軍の刑務所生活を知っているだけに、情けをかけずにはいられないのだ。
 しかしその情けが仇になり、メドウスは俗世間の誘惑に目覚めてしまう。途中で出会った妖しげな日蓮宗信仰者たちとの出会いも良くなかった。(若きナンシー・アレンが!)気がいい奴でも、正義感ではないのでこのままメドウスを解放してやるわけにはいかない。
 心ならずも力ずくで護送する苦い任務となってしまったのだが、18歳からの8年間を刑務所で過ごすことになるメドウスが、その直前で知った「堕落への一歩」なる経験。それがどんなに素晴らしいものであるか、経験させてくれたバダスキーらの友情と共に思い知るであろう。少なくともあのまま世間や、人の情けも知らずに刑務所で重労働させられるということは、なんともこの気のいいだけの青年には残酷である。

 ありがちな最悪の事態に安易にいかなかったエピローグも(二人には後味悪いであろうが)、一種のさわやかさを感じることができる。

 冬のかもめ・・・水兵服っていうのはとても寒そうだ。冬の厳しさがメドウスの今後を暗示しているようで、心痛む。


サタデー・ナイト・フィーバー

2006年08月30日 | 
★★★
監督;ジン・バダム
主演;ジョン・トラボルタ、カレン・ゴーニー、バニー・ミラー
1977年 アメリカ

 ブルックリンで生まれ育ったトニーは、ペンキ屋で働く若者。裕福とは言えない家に育ち、今の仕事も薄給で冴えない。そんな彼が憂さ晴らしに熱中でいえいるのが、毎週土曜の夜に踊りに行くディスコである。踊りがうまいトニーは、ここではスターだ。女の子は誰でも彼と踊りたがった。
 ある夜、トニーは、ステファニーという踊りのうまい女性をディスコで見つけた。今度のディスコ大会でのパートナーはステファニーに決めたトニーは、なんとか頼み込んでOKをもらう。年上の女性ステファニーは、同じブルックリン出身でありながら、NYで働く上昇志向の強い女性だった。
 仲間との無意味なケンカの仕掛け合い、等。トニーは今の自分の生き方に疑問を持ち始める。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 トラボルタ、若い!細い!かっこいい!
まさにトラボルタのための映画。全てはあの有名な腰振りダンスシーンのある。意外とトラボルタ扮するトニーが地味で、話が真面目なのに驚いたが、トラボルタ=NO!ならもうそれでさようなら・・・てな感じだ。

 驚いたのが、トラボルタ以外どうでもいいような、特に女性陣のだささにはまいってしまう。ステファニーもあの踊りで、最高にかっこいい踊りと言われても・・・・。容姿もちっともかわいくないし、性格は上昇志向が鼻につくタイプ。トラボルタノ引き立て役とはいえ、あんまりじゃなだろうか。
 ディスコ大会の二人の踊りも、なんだかスローで迫力が無く盛り上がりに欠ける。あれではトニーでなくてもプエルトリコのペアーの勝ちでしょう。
 でも当時多くの人がトラボルタにしびれ、一世を風靡した。・・・時代を感じます。

ザ・コミットメンツ

2005年12月25日 | 
★★★★
監督:アラン・パーカー
主演:ロバート・アーキンズ、マイケル・アーニー、アンジェリン・ボール
1991年 アイルランド

 失業中のジミーは、仲間のデレク、アウトスパンらと共にソウル・バンドをやる事を計画。自らはマネージャーとして、メンバーを募集する。彼らの目指す音楽はずばりソウル・ミュージック。アイルランド、ダブリン育ちの彼らは″アイルランドはヨーロッパの黒人だ!″と豪語する。
 オーディションに応募して来たのは見当違いの変人ばかりだった。ジミーは何とか11人のメンバーを集め、″ザ・コミットメンツ″を結成する。しかしボーカルのデコはみんなの嫌われ者、中年トランペッター、ジョーイは女性に手が早く、3人の女性メンバーにもやがて不協和音が生まれトラブルが絶えない。ダブリンで人気者になったにもかかわらず、その内情はめちゃくちゃだった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ソウル・バンドとしてビックになることを夢見た若者(?)たちの青春群像劇。ほとんど無名の役者たちばかりだが、その音楽はなかなかかっこいい。アイリッシュがヨーロッパの黒人なのかどうなのかは分かりかねるが、迫害をうけるマイノリティとしての共通のソウルがあるのだろうか。 

 アラン・パーカーの演出は、特定の人物に肩入れすることなく、センチメンタルさとは無縁の一歩距離をおいた手法。
 どうしようもなくわがままでしっちゃかめっちゃかな若者たちが、それでも一つの夢を追いかけて突き進み、そして散っていった様を客観的に描きながら、その目は温かい・・・。そんなやさしさが伝わってくる愛すべき作品。

SAYURI

2005年12月12日 | 
★★★
監督:ロブ・マーシャル
主演:チャン・ツイィー、コン・リー、ミッシェル・ヨー、渡辺謙
2005年 アメリカ

 太平洋戦争前の日本。千代と姉の佐津は貧しさのため売られてしまった。千代は置屋に、佐津は売春宿へと離ればなれになってしまった姉妹。
 千代の置屋には売れっ子芸者「初桃」がいたが、彼女はわがままで気まぐれに千代をいじめていた。初桃のために下働きとしてこき使われていた千代はある日、橋のたもとで泣いているところを親切な紳士に慰められる。幼心に彼に恋をした千代。時を同じくして、初桃の商売敵「豆葉」が千代を自分の妹分にして花街一の芸者にしてみせると申し出た。
 もう一度かの男性(会長)に出会うことを夢に、千代は芸者になることを決意する。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 「ラストサムライ」で懲りていたので、ハリウッドの描く日本には全く期待はしていなかった。その通り「ラストサムライ」ほどではないにしても、彼らの言う「芸者道」は、それがなんたるかが分かっていない私でも、はっきり「違う」と断言できる。なぜってそれはやはり生まれついた血によるものだ。外人さんたちがよってたかって知恵だしあって料理してみたところで、到底描き出せるものではない。にもかかわらず、どうしてこうも未知の国「日本」を撮りたがるのだろう。そして堂々と「それが芸者というものである」と、普通の日本人だってよくわからないことを、よくもまあ断言するなあと有る意味おそれいっちゃったのであるが。
 
 目的がその映像美だったので、その点は満足だった。「それが日本か」ということにこだわらなければ、一流どころが結集した結果は出ている。映像の美しさに酔いしれながら、心は市川監督の「細雪」を思い出していた。
 通俗的な表現だが、ワビだのサビだの奥ゆかしさの美だの、これらを抜きにして日本を描くことはできない。(他にも義理とか人情とかもろもろあるが)ストーリー自体もあまりにも表面的で、日本人なら誰もこの原作を映画化しようなんて思わないだろう。
 でも、いいのだ。そんなこと承知で見たのだから。なぜ主役を含め、主要人物が日本人でなかったのかを残念がる声もあるが、この映画に日本人でなければならない必然性はない。見た目でいえば、ツイィーほど踊れて絵になる女優も、ミッシェル・ヨーほど華があってスクリーン映えする女優も思い当たらない。俳優だけ日本人にこだわって、中身がへんな映画よりもよっぽどましかも。

 それにしても勘弁してほしかったのが、英語と日本語の意味不明なチャンポン。おまけにたどたどしいツイィーの日本語だったりもするので、これなら吹き替え版で見るべきだったとひどく後悔した。なんか日本語とことどころ混ぜておけば、日本っぽい?とでも思ったのだろうか。誰か止める人はいなかったのだろうか。しかも千代の目はなぜ青い?彼女が「水」を表しているから?
 ああ~なんか書いてたらぼろぼろお粗末なところが沢山出てきて止まらない。それを承知で見たはずだったのに・・・。(苦笑)
 

サンダーバード 

2005年10月05日 | 
★★☆
監督:ジョナサン・フレイクス
主演:ビル・パクストン、ベン・キングズレー、アンソニー・エドワーズ
2004年 米・英

 国際救助隊サンダーバードは今日も世界で救助活動を行っていた。ロシアの油田爆発事故の映像を学校で見ていたアラン。彼は隊長ジェフの末息子だったが、まだ高校生のため隊員になることを許されていなかった。
 救助隊の外部メンバー、レディ・ベネロープのお迎えで久々にトレイシー・アイランドに戻ったアランたち。兄や父親たちと再会を満喫していたが、実はこのアイランドを乗っ取ろうとするフッド一味の魔の手が迫っていた。以前、ジェフに見殺しにされたと逆恨みするフッドはサンダーバードに汚名を着せようとしていたのだった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 人形版サンダーバードはその人形がとてもユニークだった。(よくサンダーバードのまねをして遊んだりした記憶が・・)
 はなからこれはあの人形版とは別物と覚悟はしていたのだが、主役が完全にアランら子どもたちで、肝心のサンダーバードがほとんど活躍しない。隊長を初め、隊員たちは遠く宇宙空間で救援を待つ始末。・・・これは「サンダーバード」の番外編。裏切られた~。

 オープニング・アニメにはにっこり。元祖サンダーバードを知らない子どもたちにはちょうどいいのかも?(にしても話にもう少しサンダーバードならではのオリジナル性が欲しかった気もするが。)

 

 

サイドウェイ 

2005年09月13日 | 
★★★☆
監督:アレクサーンダー・ペイン
出演:ポール・ジアマッティ、トーマス・ヘイデン・チャーチ、ヴァージニア・マドセン
2004年 米・ハンガリー
     
 マイルスは作家志望の中年国語教師で、離婚のショックから今だ立ち直れない。ジャックは元人気タレントで女たらし、一週間後に年貢を納めて結婚予定。正反対のキャラの二人は大学時代からの悪友。ジャックの結婚式を前に二人でゴルフとワイン・ツアーの旅に出る。
 男のサガ、とばかりに次々に女性を口説くジャックにうんざりするマイルスは別れた妻の再婚話にショックを受け、自信作の本も出版のめどが立たずにどんどんと落ち込んで、昔なじみの聡明な女性、マヤとの恋愛にも臆病になるのだが。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 サイドウェイとは人生の寄り道。違った意味でダメ男二人。性格や考え方は正反対なれど、中年にさしかかって自分を見失いかけている点では同じ。こんな焦燥感や絶望は男女問わず、誰でもかかる病であると思う。早くからかかってしまう人、老いてまで引きずってしまう人、重かったり、感じ方が軽かったり、その症状は様々。ただ自分がピークを過ぎたと感じた時、抗えない絶望感にどう対処したらいいのだろうか。
 救いの道が振り向けばそこにあると分かっていても、手をさしのべることを拒む自分がいる。一度失敗しているから、安易にマヤをくどけないマイルス。じれったくなるほど不器用で根暗な男だが、なんだかわかってしまう臆病さ。
 ワインの飲み頃を知っていても飲めなかったマイルスが、恋のピーク(飲み頃)を逃さなかったラストが、やっぱりと思いながらもうれしい。
 映画もくら~いマイルスと対照的な女好きのジャックの顛末記でバランスがとれて、やっぱりこの二人はいいコンビ。人妻に手を出したジャックが忘れた財布を、マイルスがしのびこんで取り返すくだりが笑えた。え~、映倫さんいいのぉ?・・・あまり見たくない図でしたが。 

ザ・リング2 

2005年08月05日 | 
★★
監督 中田秀夫 
出演 ナオミ・ワッツ、サイモン・ベーカー、デヴィッド・ドーフマン
2005年 アメリカ

 見た者を呪い殺す死のビデオテープから免れたレイチェルとエイダン親子は、逃れるように小さな田舎町へと移り住んだ。その地で平穏に過ごす二人だったが、ある怪死事件のニュースが再び悪夢の始まりとなった。その遺体にサマラに呪い殺された者特有の形相を確認したレイチェルは愕然とする。やがてサマラは、エイダンの肉体を狙い始める。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 帰国便の機内で観賞。飛行機では思いの外映画には集中できないので(エコノミーのせいかも)、この手の映画が暇つぶしにはちょうどいいのかも。
 ・・・・にしてもホラーは恐くてなんぼの世界。ストーリーを変えても「リング」はやはりあの日本版第一作がベストであって、作れば作るほど魅力を失うのは避けられない事実。もう貞子ネタで映画をこれ以上作っても無駄!・・・と痛感したつまらなさだった。
 ホントに全く恐くない。これなら「ほんこわ」の再現フィルムの方が数倍恐い。お金をかけて、仰々しくもったいつければつけるほど恐怖からは遠ざかるということ、きっと外人には理解できないだろうなあと思っていたら、なんと監督は中田氏であった・・・。
 
 エイダンがますます不気味になっていくのが救い。その顔はサマラよりコワイ。

ザッツ・エンタテイメント 

2005年06月29日 | 
★★★★
監督 ジャック・ヘイリー・Jr. 
出演 ジーン・ケリー、フレッド・アステア、フランク・シナトラ
1974年 アメリカ

 MGM創設50周年を記念して作った、黄金期のMGMミュージカル75本の名場面集のダイジェスト版。(某所よりコピペ)その珠玉のハイライトがたっぷり詰まった玉手箱のような映画。

 この時期のミュージカルは見たい見たいと思いながらなかなか食せずにいたのだが、こういうのを見せられてしまうと片っ端から観賞したくなる。映画が最も映画らしい、(舞台的な手法だが)夢を与えてくれる時代だった。お話はやんわり、ダンスと歌、豪華なセット、パフォーマンスがぐっと豪華なのが特徴。某氏のセリフではないけれど「いや~映画っていいですね~」という言葉が素直に口について出そう。

 この時代の女優さんは、きれいな顔してダンスはうまい。そして圧巻なのは、文句なしにほれぼれ~なアステアとジーン・ケリーのダンス!彼らを見るだけでも価値ある一品。
 「水着の女王」などはシルク・ド・ソレイユのはしり?とも思えるあっと驚くほど豪華なセット、こういうお金のかけ方なら納得。他にも珍しい(?)ゲーブルのダンスも拝めるし、こんなに見せてもらっていいの~な幸せ。

 できればアステアのダンスをもっともっと見ていたかったけど・・・・。

サウンド・オブ・サイレンス ★★

2004年11月10日 | 
監督 ゲイリー・フレダー
出演 マイケル・ダグラス、ショーン・ビーン、ブリタニー・マーフィー

 ショーン・ビーン目当てで観た。ショーン演じる悪者はあまりにもしょぼかった。彼に生粋の悪役は似合わない。
 マイケル・ダグラス老けたな~と思いながら結構途中まではハラハラどきどきしながら観ていたのに、終盤その存在価値がよく分からない女刑事が犯人をあっさり銃でやっつけ、そのままするするとめでたしなエンディングになってしまったのには唖然とした。なかなか最後まで引っ張っていくサスペンスっていうのは難しい。途中まではそこそこ楽しんでいたのに、終わってみれば「しょぼかった」という思いしか残らない。

 ショーンの一味でよく見る俳優が一人いたが、ま~ったく重要な役ではなくて不思議。女刑事もなんだったの?と思うくらい絡んでいなかった。娘役がどこかで見た子だったのが気になる。

ザ・ロイヤル・テネンバウムズ ★★

2004年10月20日 | 
監督 ウェス・アンダーソン
出演 ジーン・ハックマン、ベン・スティラー、アンジェリカ・ヒューストン

 自己チューな父親ロイヤル・テネンバウムズはある日妻に愛想を尽かされ、彼らの子供達3人はまれにみる天才ながらそれ故屈折した人生を送っている。余命6週間と偽って再び家族と共に暮らしたいと現れ、ばらばらになった心を取り戻したいと家族再生に翻弄するが全て空回り。しかし・・・・。

 豪華なキャスト、シニカルなキャラクターとこじゃれた演出、なのに面白くない、というのが正直な感想。きっと本で読んだ方が味わい深かったんではいかと思われた。
 ジーン・ハックマン、アンジェリカ・ヒューストンら大物が出演しているのに、彼らでなくても良かったのにというもったいなさが見ている間中つきまとう。妙につきはなしたような演出のせいで、家族の心がいかにロイヤルから離れてしまったのかがいまいち実感がなく、したがってテーマの家族再生もぴんとこなかった。3人の天才児たちは屈折した変人のようだったし、イーライの悩みもなんだかな。全てが分かりそうで分からない中途半端さだけが残ってしまった。
 
 もっとはめをはずしてみろ!と言いたいことは分かるけど、万引きっていうのはやっぱだめでしょう。

サハラに舞う羽根 ★★★

2004年08月24日 | 
監督 シェカール・カプール
出演 ヒース・レジャー、ケイト・ハドソン、ウエス・ベントレー

 スケールの大きな大作映画にありがちなストーリー展開の雑さは類に漏れず。でも全く期待していなかったので、そこそこに楽しめた。じみ~な役者ばかりだなと思っていたら主演のヒース・レジャーは中盤ひげを蓄えてからがぜん格好良くなった。好みのクリストファーソンにちょっと似(?)、ならばがぜん感情移入~!(とまではいかなかったけど) 
 そもそも、除隊した理由があいまいというか、納得できないから、卑怯者の羽根を親友ばかりか恋人にまで送られたというだけで、地獄の戦場に自ら赴くというのが誰しも解せないところであろう。軍隊を去った男と、友の救出のために命をかける男はそう簡単に同一化できない。そしてこの映画最大のカッコマン、男ハリーをどこまでも助けぬく謎の現地人。なぜにそこまで?という疑問は最後まで謎なのだ。神の思し召し、それで納得せよとはつらい。一つ、エピソードがほしいところ。
 この現地人のおかげでハリーは友人を助け、奇跡の生還を果たし、かつ失ったはずの恋人も戻ってくるという、話的には「ああ、そうですか」な甘い展開。それを救ったのはやはり壮大なサハラ砂漠と、お髭がむふっなヒースでありました。

さよなら子供たち ★★★★★

2004年01月06日 | 
監督 ルイ・マル 
出演 フランシーヌ・ラセット、ガスパール・マネッス

 ルイ・マルの自伝的映画。ナチ占領下のフランス。戦火を逃れてパリを離れある寺院の寄宿学校に疎開した12歳のジュリアン。(この子がすっごく良い。喩えるならばレイフ・ファインズの少年期を髣髴とさせる)そこに、ある日先生たちに庇われるように転校してきた少年たち3人。そのうちの一人ボネと名乗る少年とジュリアンの複雑な交流が描かれる。
 たとえ観客が自分ひとりでも(誰もこのテーマに興味を持たなくても)この映画を私は撮りたい!と言う監督のこれは告白せねばならない懺悔の映画なのかもしれない。

 ボネたち少年はゲシュタポから身を隠すユダヤの少年である。最後は密告によってやってきたゲシュタポに少年たちと匿った校長先生(神父)も連行されてしまう。その校長先生に子供たちが思わず「さようなら」と別れの言葉をかけたときに先生が返す言葉が「さよなら、子供たち」なのだ。
 
 思春期を迎えた少年たちだけの世界。街を歩く様子やじゃれあう姿は絵本{マドレーヌ」の少年版のような微笑ましさ。
 しかしまだまだ母親が恋しくて仕方ないジュリアンはいいとこのお坊ちゃまでありながら、その内面は結構したたかでどろどろしたなかなかのくせ者。わけありの転校生ボネに興味を持つが、彼はその秘密に関しては決して心を開かない。先生たちにはなにやら庇われているようだし、おまけにピアノも勉強もできる彼が内心憎らしい。親しくはなりたいが同時に煙ったくもある。
 
  ゲシュタポに連行されるボネを見送って初めて、自分の心にあった彼の不幸をどこかで願う気持ちがあったこと、その不幸は現実では死を意味するほどの深刻なモノであることを思い知るジュリアン。ボネたちの連行にジュリアンはなんら罪はない傍観者であったけれど、彼自身が心の奥にあった邪悪な気持ちを知っている。
 
 戦争が終わり40年以上たっても消えることのない悔恨の思いなのだ。

さすらいのカウボーイ 

2004年01月04日 | 
★★★★★
監督  ピーター・フォンダ
出演  ピーター・フォンダ、ウオーレン・オーツ
1971年 アメリカ

長い放浪の末、ハリーはカリフォルニアに行こうという仲間の誘いを断り、もう何年もほったらかしにしていた妻と子供の元へ帰ると彼らに告げる。若い盛りには一所に居続けることができないハリーであったが今は安らぎたい。それは妻への恋しさや望郷の念とも違う。しかし旅の途中、仲間の一人が殺され、カリフォルニア行きは中止になる。復讐で男を襲った後、ハリーとアーチはハリーの家へたどり着く。
 そこには出ていった夫をひややかに見つめる年上の妻がいた。器量も良くない、生活に疲れた妻。子供には父親は死んだと言ってあると、ハリーを拒否するが内心はうれしさを隠せない。
 「雇い人としてならいてもいい」と表面は突き放す妻。うれしさよりもまた捨てられる捨てられる不安の方が強い。
 買い出しに行った町で二人は妻のよからぬ噂を耳にする。あの女は雇い人とすぐに寝る女だと。問いつめる夫に妻は否定しない。一人が淋しい夜は雇い人と寝ることもあった。(そんな女にしたのは誰なのだ)ハリーには返す言葉もなかった。まさかとそのことを尋ねる 友人アーチにさえも、「あなたとだって寝れる」と嘘ぶくのだった。
 やがてアーチは妻が自分を邪魔に思っていることに気づき、西へ行くと二人の前から姿を消す。友との別れにとまどうハリー だが妻はまた訪れた夫との生活がうれしくて仕方ない。しかし状況はほどなく一変する。かつて友人の復讐に襲った一味にアーチが捉えられてしまった。ねらいはハリーの命。ハリーが行かなければアーチを殺すという伝言に、引き留める妻を振り払い、「友人を見殺しにはできない」と助けにむかうハリー。
 銃撃戦の末、相手もハリーも命を落とす。友の腕の中で息絶えたハリー。
 じっと夫の帰りを待つ妻の元に現れたのはアーチだった。ハリーに頼まれたわけではない。しかしアーチはハリーの代わりに今度は自分が雇い人として妻の元で働き、女もいつの日か彼を夫として迎えるのである。
「あなたとだって寝ることができる。」とかつてアーチに言ったように。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 幻の名作と誉れ高いこの映画が2002年にリバイバル公開されていたなんて全く知らなかった。知らずにずーっともう一度見たいとあこがれ続けていた。ひょんなことから検索したらそのDVDが発売されていることを知り、即買い、そして再会。
 これは西部劇であるがドンパチ派手で騒々しい痛快映画ではない。放浪に疲れたカウボーイが、捨てた妻のもとへ帰る話だ。さすらいに疲れたカウボーイ。この手の話にはめっぽう弱い。これと「男の出発」のカウボーイにメロメロになり、漫研時代にはカウボーイばかり(あとQUEENネタ)描いていた。くたびれた男たちの友情、弱音、くくく~。

 まるで動く芸術写真のような映像、言葉は極力少なく静かな静かな映画である。公開当時もその芸術性は充分評価されたが、「イージーライダー」のイメージを引きずり、映画はヒットしなかったという。おまけにTV放映版は映画会社の都合で監督ピーター・フォンダの意向とは裏腹な編集をされた。それだけに今回のディレクタズカット版は、真の「さすらいのカウボーイ」の誕生と言える。

 当初、この映画は男同士の友情の話だと思っていた。(実際ホモ色もチラリ)しかし特典映像のピーターのインタビューでこの映画の真の主役はこの妻であることを知る。10歳も年下の夫に捨てられた妻の静かな怒り、したたかさ。う~ん、分かりませんでした。私の興味はその映像美とピーターのスレンダーな魅力とあのウオーレン・オーツとの渋い男同士の友情、これに尽きた。 また本当のねらいなどどうでもいいほどこの二人が素晴らしい。

 映画は不親切なほど多くを語らないが、それ故に無限の想像力を駆り立てる。

ザ・フライ 

2004年01月03日 | 
★★★★★
監督 デビッド・クローネンバーグ 
出演 ジェフ・ゴールドブラム、ジーナ・デイビス

 1958年の「蠅男の恐怖」は未見だがそのリメイク。物質転換装置の開発に成功した科学者セス(ゴールドブラム)は自らテレポットに入る人体実験する。しかしそこに蠅が一匹紛れてしまったことから悲劇は始まるのだった。
 遺伝子レベルで蠅と合体してしまった セスは刻一刻と変異していく。最初は見た目には分からない。食べ物のの好みが変わったり、力が強くなったり俊敏になったり。やがてその変異は見た目にも明らかになる。その様子をグロと受け取るか、コメディと受け取るか。(ちなみに私は後者。笑えた)
 
 しかしこれは哀しい恋物語でもある。蠅と合体してしまったいわば、恋人はモンスター。面影もなく(そもそものゴールドブラムも人間離れしていたが)化け物となった恋人を果たして彼女(ジーナ・デイビス)は愛し続けるのであろうか?
 このままでは恋人を殺しかねない。彼女のためにもう一度テレポットに入るセス。結果、この世のものとは思えない姿になってしまった彼はわずかに残った人間の心で恋人に撃ち殺してくれるように頼むのだった。このラストは泣けた。あんな姿になってまでも中身は人間であるという悲しさ。

 クローネンバーグは好きな監督さん。独特な変質的世界を描きながら分かりやすいのがいい。波長が合うのだろう。