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魔女っ子くろちゃんの映画鑑賞記録

映画大好き!わがまま管理人の私的な映画鑑賞記録です。名作・凡作関係なく、好き好き度★★★★★が最高。

X-MEN:ファイナルディシジョン

2007年03月11日 | 
★★★
監督;ブレット・ラトナー
主演:ニュー・ジャックマン、ハル・ベリー、イアン・マッケラン
2006年 アメリカ

仲間を助けるためにアルカリ湖で犠牲になったジーン。
彼女を忘れられないサイクロップスは、その湖でジーンと再会する。だが、しかし・・・!
復活したジーンは教授が閉じこめていた危険なもう一人の人格だった。
教授をもしのぐパワーを秘めたジーンの別人格フェニックスはサイクロップスを
その手にかけてしまう。
折しもミュータントを普通の人間に戻るキュアという薬が開発された。
完全に反撥するマグニートー。
だがミュータントそれぞれの思いは違っていた・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

この映画、特にこの最終章には思い入れがあったのに
結果劇場公開を見逃してしまった・・。
個人的にすみませんという思いが強いけれど
映画としては前2作が意外と面白かっただけに、期待はずれでした。

やっぱり監督が替わってしまったせいでしょうか。
いろいろ詰め込んでおもちゃ箱ひっくりかえして
とっちらかったまま終わってしまった。

教授の最後もあっけない。
描き方に愛が感じられない。
前作までは丁寧にキャラが描かれ、映画に深みがあったのに
本作では登場人物たちは
大活劇の背景になってしまっている。
そして
みんなに愛されているジーンに・・・やはり魅力を感じないのが致命的かな。

カナダで見学したセットを確認するのは大変でした。
でもあの数秒のために、あんなにも大がかりなセットを
こつこつ時間をかけて作っている現場があるわけで
映画って(見えないところで)
途方もないお金と労力と時間がかかっているからして
良い作品に仕上げる監督らの責任は重大であると思いましたよ。


エミリー・ローズ

2006年09月07日 | 
★★★☆
監督:スコット・デリクソン
主演:ローラ・リニー、トム・ウィルキンソン、ジェニファー・カーペンター
2005年 アメリカ

 19才のエミリーは夢を貧しい田舎町に生まれ育ったが、夢を叶え大学に進学する。しかし一人残った寮で、彼女は姿のない何ものかに襲われる恐怖を体験する。その後精神不安定になり、病院に入院したエミリーはそこで(悪魔)に取り憑かれてしまうのだった。
 周囲はエミリーを精神障害として扱い、薬による治療を試みていたが症状は悪化する一方だった。悩んだエミリーの家族は教会区の神父ムーアに相談する。ムーアはエミリーを見て、悪魔に取り憑かれていることを理解し、家族や友人、医師立ち会いのもと悪魔払いの儀式を行うが失敗に終わる。しかしその後エミリーは儀式を拒否し、拒食と自虐症状により死亡してしまう。
 ムーア神父はエミリーの薬物治療をやめさせ、そのことが死を招いたとして過失致死によって裁かれることになった。教会側は失態を恐れ、ムーアに法廷で証言させないようにと敏腕弁護士エリン・ブルナーに弁護を依頼した。最初は名声と昇格目的でひきうけたエリンであったが、ムーア神父とエミリーの壮絶な闘いを知るうちに、心動かされていく。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 悪魔と人間の闘いの記録であるが、「エクソシスト」見たいなものを期待していると肩すかしを食う。これは19歳という若さで変死を遂げたエミリーを、病ではなく悪魔に取り憑かれたとして、誠心誠意を尽くし救おうとした神父と彼を弁護する女弁護士の話だ。
 映画の中心は裁判である。エミリーの事件を通して、出世や名声のために弁護をこなしていたエリンが、ムーア神父とエミリーの壮絶な闘いを知るうちに、本来の弁護士としての使命に目覚めていく姿がメインだ。エリンは言う。かつては悪人と分かっていても(仕事であれば)弁護していたと。しかし本来弁護すべきはどんな人間なのかという、原点に立ち戻るのである。
 ムーア神父のような人を有罪にしてはならない。エリンの魂が叫び出す。検事側の攻勢、悪魔の妨害(かもしれない)をも乗り越えて、信念で突き進むエリンの姿は胸を打つ。

 映画ではエミリーは悪魔に憑かれたように描いていたが、結局のところ現実問題は悪魔の有無は解明されていない。それも踏まえての有罪判決であったが、実質無罪の量刑はエリンの勝利といっていい。
 エミリー役のジェニファー怪演。

X-MEN2

2006年08月22日 | 
★★★☆
監督:ブライアン・シンガー
主演:ヒュー・ジャックマン、イアン・マッケラン、アラン・カミング
2003年 アメリカ

 マグニートとの闘いに勝ったプロフェサー率いるX-MEN。その後人間と共に共存できる日々を目指していた矢先、謎のミュータントーによる大統領暗殺未遂事件が起こる。この一件により、人類のミュータントーに対する偏見と嫌悪が再熱した。
 この気運を影で煽動していたのは、大富豪で元陸軍司令官のストライカー。彼はかつてミュータントを生体実験していた経歴があり、今だ過去の記憶を取り戻せないローガンの身体を作り替えたのも、実はストライカーであった。
 X-MENらはマグニートと協力し、共通の敵ストライカーに立ち向かう。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
 たとえ我が子であっても、ミュータントでは忌まわしいものなのか。自宅に帰ってきた兄を警察に密告する弟、冷ややかに見つめる両親、このエピソードはつらい。もう少し葛藤はないのだろうか。
 肉親からしてこの扱いであるから、敵視する人にとって、彼らは害虫以外の何ものでもない。ミュータントの撲滅を図るストライカー(でも手下はミュータント)。前作では敵味方のX-MENらとマグニートが手を組み、阻止する。でも志が違うのでやっぱり最後は別の道を行くのだけれど、第三作ではマグニートがどういう立ち位置にいるかが楽しみだ。
 予告を見ると、死んだはずのあジーンが登場し、なにやらローガンが愛をささやいているしで興味は尽きない。冒頭に登場したお騒がせなミュータントは次回も出るのであろうか?彼がアラン・カミングであることに全く気がつかず、ず~と最後まで別な人と勘違いしておりました。(^^;)

X-メン

2006年08月08日 | 
★★★
監督:ブライアン・シンガー
主演:ヒュー・ジャックマン、アンナ・パキン、イアン・マッケラン
2000年 アメリカ

  近未来。議会では突然変異によって誕生しているミュータントが危険な存在であるとして、「ミュータント登録法」が強行派のケリー議員によって推し進められていた。人間とミュータントの対立を恐れるチャールズ・エグゼビア教授は密かにミュータントを集めた学校を作り、彼らを保護・養成していた。
 ローグは自宅で恋人と過ごしていた時、異変に気づいた。恋人と口づけをかわすと、彼は生気を吸い取られ危篤状態になってしまった。自分がミュータントであると知ったローグは、移送された先で謎の男ローガン・ウルヴァインと出会う。彼もまた、再生能力をもつミュータントであった。
 行き場のないローグはローガンについていくが、移動の途中で何者かに襲われてしまう。襲った相手は人間を征服する野望を持つマグニート率いる組織のミュータントであった。襲われた二人を救ったのは、エグゼビア教授の下のあるX-MENというミュータント・チームのストームとサイクロプス。
 一匹オオカミであったローガンであったが、彼も又X-MENの一員として、マグニートたちと戦うことになる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 「X-MEN ファイナル・エディション」を観るに当たり、やはり全2作は抑えておかねば。

 アメコミものは当たりはずれが多いので正直気が重かったが、このシリーズは当たりのようだ。暗くなりがちなアメコミ・ヒーローであるが、このミュータントたちは人間から忌み嫌われ警戒される存在でありながら、うじうじと悩むことがない。いや大いに悩み、人間社会とは共存できないでいるのだが、次なるステップに向かって前向きなのだ。

 しかし迫害された過去(でもそれはミュータントというよりも、ユダヤ人として)を持つマグニートは、負の前向きさで人間に復讐しようとしている。同じミュータントでありながら、かつては盟友同士だったエグゼビアとマグニートの関係も複雑。マグニートにすればX-MEN、邪魔すんなよ。って感じなのであろう。
 マグニート役のマッケランがかわいらしくキュートで、ガンダルフよりもこっちの方が好みだ。

 コミックのX-MEN Tシャツを持ているが、役者もいい線いっていると思う。ただ、ちょっと・・・ローガンだけがイメージと違う感じなのだが(^^;)

エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事

2006年02月07日 | 
★★★☆
監督:マーティン・スコセッシ
主演:ダニエル・デイ・ルイス、ミシェル・ファイファー、ウィノナ・ライダー
1993年 アメリカ

 19世紀末のNY。若き弁護士のニューランド・アーチャーは、社交界の花メイ・ウェンランドと婚約していた。当時は1~2年の婚約期間を持つのが普通であったが、アーチャーはメイに結婚をせかしていた。
 メイの従姉妹でアーチャーとも幼なじみのエレンは、ヨーロッパの銘菓に嫁いだがその結婚生活はうまくゆかず、NYに戻ってきたが夫からよからぬ誹謗を受け、社交家のスキャンダルネタの的になっていた。
 離婚したいエレンだったが一族は復縁を希望し、その説得を託されたアーチャーは、彼女の飾らぬ素直な態度や生きる姿勢に惹かれやがて愛し合うようになる。
 しかし互いに夫と婚約者を持つ身の二人。エレンはNYを離れ、アーチャーはメイと結婚する。しかし偽りの生活に耐えられなくなったアーチャーはメイにエレンへの思いを告白しようとするが、すでに二人の関係に気づいていたメイはアーチャーとエレンに妊娠したことを告白、エレンはヨーロッパへ帰ってしまう。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 己の心のままに従えず道ならぬ恋に突き進めないのは仕方ないとして、エレンを愛しながらメイとの結婚を急ぐアーチャーの心理がどうにも理解できないのだが、それもダニエル・デイ・ルイスが演じればさもありなんと思ってしまうのは彼に備わる気品だろうか。思えば「スワンの恋」のアイアンズもまた優柔不断に身もだえる。狡猾な社交界は、繊細な育ちの良いおぼっちゃまには生きづらい。でもそんな「不幸な僕」に酔いしれる余裕が見せ所。
 つまり、苦悩する主人公にうっとりするのが正しい見方だから、そういう意味ではこの人選は正解。惜しむらくはエレン役のファイファー。「危険な関係」の時もそう思ったが、彼女はこういった身分高い婦人は似合わない。場末の酒場にいてこそ輝く花で、ファイファー贔屓な私でもウィノナ・ライダーの引き立て役にしか見えなかった。
 ウィノナは腹に一物もちながら(でも当然の感情であるが)それを決して表に出さず無垢を演じながら、最終的には思いのままの人生を送るしたたかなメイを好演。匂い立つような美しさにはうっとり。

 しかしながら真に不幸だったのは引き裂かれたアーチャーやエレンではなく、自分に心のない夫を引き留め、幸せな家族を演じていたメイではなかったかと思うのだ。
 NYを描き続けるスコセッシ。この映画で描きたかったNYの姿はなんなのか、まだ分からないでいる。

 アンティークな食器が好きなので、目の保養になりました。

 

エルビス・オン・ステージ

2006年01月14日 | 
★★★☆
監督:デニス・サンダース
主演:エルビス・プレスリー
1970年 アメリカ

 10年のブランクを経て(その間は主に映画で活躍)、ショーマンとして復活したエルビスの、リハーサルからラスベガスでのステージだけを淡々と納めている。その私生活とか、心の内を語ることはないが、彼の眼差し、つい口に出てしまう弱気な言葉に、エルビスの復活に対する怯えと緊張が見てとれる。

 この映画はリアルで観ることはなかった。まだまだ子供だったので、世の熱狂は感じてはいたものの、見たい!と思ったタイミングを逸し今に至る。さすがに今見る70年は古い。人びとのヘアースタイルやファッション、エルビスのもみあげにもびっくり。とはいえ当時の私はサントラの「この胸のときめきを」をしっかり買っていたのだから、いかにこの映画がセンセーショナルを巻き起こしていたのかがうかがい知れるというもの。

 男も女も惚れるエルビスの魅力は、そのステージが進むほどに体感。エルビスといえば誰でも思い浮かべるあのファッション。一度見ていて損はないだろう。

エターナル・サンシャイン

2005年12月02日 | 
★★★★☆
監督:ミシェル・ゴンドリー
主演:ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット、マーク・ラファロ、イライジャ・ウッド
2004年 アメリカ

 恋人同士だったジョエルとクレメンタイン。しかしバレンタインのプレゼントを渡しに行ったジョエルに、クレメンタインは全く無視。まるで初めて会う他人のような接し方だった。とまどうジョエルは家に送られてきたメッセージの存在を知った。そこには「彼女はあなたの記憶を消しました。今後彼女には近づかないように」と書かれていた。
 クレメンタインが自分の記憶を消したことにショックと怒りを覚えたジョエルは、自分も同様に彼女の記憶を消すことを決意。記憶消去を請け負う会社に出向き契約をする。
 記憶消去は夜寝ている間に行われた。彼女との想い出を呼び起こすたびに消去される記憶。想い出をたぐり寄せていくうちに、ジョエルは実行の中断を願うようになる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 中盤ぐらいまで訳が分からず混乱する、これは苦手なタイプの映画だったか・・・と思い見続けると最後にはすっきり、つじつまがあい、おまけにハッピーエンドだから、さわやかな余韻に浸れる・・・とはすんなりいかない不思議な映画だった。
  
 冒頭からジョエルの部屋が日本ぽい。ホームの風景もそれっぽい。ハンディカメラで撮影したような映像、動きがほんのすこーしだけスローに感じるのは気のせいだろうか。バックに流れる音楽、ここだけでちょっと変わった映画の予感。(悪い意味ではない)
 
 もしも相手から一方的に自分の記憶を消されたらどうする?ジョエルのように怒りを覚えて自分だけ影をひきずるのはしゃくだから、同じ事をジョエルのようにするだろうか。
 失恋に心痛めるのも悪くはない。経験上(?)辛くて苦しいのは一時のことだから、思いっきりみじめったらしくうじうじ泣くのもいいのかも。倦怠期にさしかかっていた二人は口げんかの果てにジョエルが家を出て、頭にきたクレメンタインは衝動的に彼の記憶を消してしまった。同じ事をしようとしたジョエル(似た者同士じゃん)の記憶の中で、彼女は鮮やかなオレンジの出で立ちで必死に叫ぶ。きっと、自分を消さないで、消したことを後悔していると。

 怪しくないジム・キャリーは実に良かった。こんな演技もできるのだと見直した。いやじゃなくなった。そして所々にジム・キャリーらしい顔がちらついて、ああ、やっぱり遊んでるな~と微笑ましくなった。
 ケイトは相変わらず存在感があって、うまくてきれい。
 イライジャ・ウッドは・・・・彼はこういう線で今後いくのだろうか。髭が足らないマーク・ラファロはこの彼はパス!だが、こんな情けない役もこなすとは。(楽しんでる?)キルスティン・ダンストは相変わらずこういうイヤな女性の役がうまい・・(というかこんな役ばかり)、彼女と医師のエピソードはいらなかったような気がするが、記憶を消したとしても、結局気持ちまでは消せないということなのかな。

 ひとつのきっかけをネタにして、丁寧にそして自由に繊細に作り上げた映画。感受性豊かという形容詞が似合う。

エーミールと探偵たち 

2005年05月09日 | 
★★★
監督 フランツィスカ・ブッフ 
出演 トビアス・レツラフ、アンニャ・ゾマヴィア、ユーゲン・フォーゲン
2001年 ドイツ
 
 両親が離婚して、父親と一緒に暮らしているエーミール。せっかく決まった父親の就職が、なんと事故による免許停止で危うくなってしまった。お金さえあればなんでも手に入るというベルリンへ向かうエーミールは、密かに偽証免許を調達しようとする。ところがまだまだ世間知らずな子ども。途中の列車の中で悪い男にまんまと騙され、全財産を盗られてしまった。1500マルク奪還にむけてエーミールの追跡が始まる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ケストナー原作の有名な児童文学が原作。でも名前は知ってても読んだことはなかった。同じ作者、時代も現代にしてラップをとりこむ作り方は「飛ぶ教室」と同じ。
ベルリンで偶然知り合った少女ポニー、そしてぞくぞく集まる彼女の仲間達。最後、町中の子どもたちが一丸となって集まってくるところが楽しい。それで悪党を追いつめご用!のあっさりした感じはさすが(?)児童文学ならではのほのぼのとした展開。
 全編微笑ましい。それが持ち味でもあり、物足りなさでもある。でも、子どもたちがかわいくって生き生きしているので良しとする。中でも IQの高さを誇るグスタフがお気に入り。彼と抜けているお母さんのやりとりがスキ。

 子どもが魅力的に描かれている分、大人たちが画一的な描かれ方になってしまうのが、子ども中心映画の常。
 お父さん、もっとしっかりしてね・・・。

エル・マリアッチ 

2005年04月05日 | 
★★★
監督 ロバート・ロドリゲス 
出演 カルロス・ガラルドー、ピーター・マルカレド、コニスエロ・ゴメス
1992年 米・メキシコ

 メキシコの小さな田舎町にギター一つを抱え仕事を探しに来たマリアッチ。彼は同じような格好をしたアズールという男に間違われてモーリシオらの一味に狙われてしまう。
 アズールは刑務所を脱獄し、彼を裏切り盗んだ金を独り占めしたモーリシオの手下を皆殺しにしていた。彼が黒い服を着て、マシンガンを隠したギターケースを持っていたことから、アズールの顔を知らない手下たちは、情報を頼りにマリアッチをアズールと勘違いしていた。
 身の危険を感じたマリアッチは偶然入った酒場でドミノという女に出会い匿ってもらうが、実はドミノはモーリシオの愛人だった。
 しかしマリアッチがアズールではないと知ったドミノは彼を庇い続けるが、ある日本物のアズールがドミノの店に現れ、自分のギターケースと間違えてマリアッチのものを持って帰ってしまう。
 マリアッチの手にはマシンガンの入ったアズールのギターケースが残ってしまった・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 以前観た「デスペラード」が本作の続編であったことを知った。
 7千ドルという超低予算、主演もスタッフが兼任するという自主制作ののりながら、これが面白い!映画って情熱とセンスと同胞がいれば作れるんだなと思い知らせてくれる映画だ。エル・マリアッチというのが歌手を意味することも初めて知った。

 バンデラスと比べるのもかわいそうだが、このマリアッチは本当にフツーの人。それだけに、おかしな誤解に巻き込まれてしまったオタオタ感もリアル。ただ、ヒロインには低予算といえどももうちょっと美人どころをおさえてほしかったが・・。

 「デスペラード」をこの後見たら、スターというのはやっぱり発するオーラが全然違うんだなと妙に感心してしまった。娯楽性では「デスペラード」、映画全体の出来でいったら「エル・マリアッチ」ってとこだろうか。

エレファント 

2005年02月16日 | 
★★★★
監督 ガス・ヴァン・サント 
出演 ジョン・ロビンソン、アレックス・フロスト、イーライ・マッコネル
2003年 アメリカ

 1999年、アメリカのコロンバイン高校で起きた高校生による銃乱射事件をモデルに作られた映画。同じ題材を扱ったマイケル・ムーアの「ボーリング・フォー・コロンバイン」がプロパガンダを背負ったドキュメンタリーであるのに対し、手法はドキュメント・タッチながら本作はフィクションである。(俳優たちも実名で描かれる)

 淡々と被害者・加害者の高校生の事件当日の日常を映し出す。背後から延々と背中を写すカメラが印象的。セリフもほとんどアドリブというように、この映画には明確なメッセージや主張はない。何人かが言葉を交わす、すれ違うひとつのシチュエーションが、それぞれの視点になって何度も現れる。映し出されるのは彼らの表面的な行動で、誰一人感情を露わにしない。かろうじて涙を流しガールフレンドにやさしくキスされるジョン、犯行結構直前にシャワーの中で「今日死ぬんだな。まだキスをしたことがないんだ」と言ってキスを交わし合う犯人の少年たちに、その胸の内が見てとれるくらいだろうか。しかし、淡々とカメラに収まるだけの一人一人に、確実に何かを抱え進行形の生を営んでいる事実が痛いほどのしかかってくるのは何故だろう。

 犯人の少年たちの動機も何も分からないまま。同じ題材を扱いながらこの事件を「銃社会」であるアメリカという国の責任、人々に不安を与えることで成り立つ政治のあり方への批判を声高々に訴えたムーア監督。しかしこの映画は彼の力説をたったワンシーンで伝えてしまったようだ。顔もわからない一少年が通販であんなに簡単にライフルを手にすることが出来る、アメリカという国・・。

 人が人を殺すのに明確な理由があるのならまだ救いがある。面白いことが始まる・・。凶行に走った理由など、本当のところぼくたちにも分からないと、生きていれば彼らは言っただろう。理由や原因を追求することはさほど重要ではないと、伝える現実は限りなく恐ろしい。 

エド・ウッド 

2004年11月17日 | 
★★★★★
監督  ティム・バートン
出演  ジョニー・デップ、マーティン・ランドー、ビル・マーレー
1994年 アメリカ

 30歳の映画監督エド・ウッドは貧しいながらも映画制作の夢に燃えていた。ある日性転換した男の話の映画化を小耳にはさみ、自ら売り込みに出かけるが変人扱いされて追い返されてしまう。
 その帰り道に往年の怪奇スター、ベラ・ルゴシと偶然知り合いになり、彼の主演を餌に映画制作を取り付け、オカマの友人らを集めて性転換した男の話「グレンとグレンダ」を撮り売り込むが誰も相手にしてくれなかった。
 金策に走り、プロレスラーやインチキ予言者らも加わって「原子と花嫁」という作品を撮るエド。しかしこの作品中、自身の女装癖をカミングアウトしたことによって恋人ドロレスから三行半をつきつけられる。そしてベラもまた麻薬中毒による病気が悪化。失意のエドを救ったのはキャシーという心優しい女性だった。彼女はエドの女装癖も受け入れてくれた。
 入院費用が払えず、やむなくベラを退院させ、「原子と花嫁」を完成させたが大ブーイングを浴びる。
 やがてベラが死去。彼が残したフィルムを使い、新たなパトロンのカモを見つけ史上最悪の映画と名高い「プラン9フロム・アウタースペース」に着手するエドであったが・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 映画にかける情熱は人一倍あるのに、悲しいかな才能に恵まれなかった不遇の人エド・ウッド。今日に至っても、彼の作品を評価するのはやはり変わった感覚の人々か、キッチュ好きな人々に違いない。そんな一人、バートンが愛情をたっぷり込めて作った映画である。

 天才と変人は紙一重。世間的には後者の扱いを受けたエドであるが、映画への熱い思いに共感する友人も多かった。
今や落ちぶれた過去の人、ベラ・ルゴシに惜しみない愛情と敬意を注ぐエド。必死で金策に走っては愚にもつかない駄作を撮り続ける彼に惜しみない友情を注ぐ友人たち。エドを取り巻く全てが愛に包まれている。
 挫折も、どこかほろ苦い笑いの要素も、なにもかもが温かく、バートンのエドに対する愛と敬意がストレートに溢れている。不遇だったことへの同情は微塵もない。
 エドとベラの関係がそのままバートンとエドにあてはまる。それぞれが真のヒーローであったのだろう。

 好きなものを好きなように撮る。愛するものを思い入れを込めて撮る。映画を本当に愛している映画人、バートンはやっぱり最高、大好き!

エアフォース・ワン  

2004年10月06日 | 
★☆
監督 ウォルフガング・ペーターゼン
出演 ハリソン・フォード、ゲイリー・オールドマン、グレン・クローズ 
1997年 アメリカ

 エアフォース・ワンとは言わずと知れたアメリカ合衆国大統領専用飛行機。
時の大統領ジェームズ・マーシャルを乗せたエアフォース・ワンが、記者を装ったイヴァンらのテロリストにハイジャックされてしまう・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 見ごとなまでにアメリカ万歳!が鼻についた映画。1997年の公開当時であればただの娯楽作品と受け取れたかも知れないが、今のご時世では腹が立つだけ。
 アメリカ至上主義も相手が宇宙人だったり、巨大隕石や大型彗星であればなんの問題もないが、国家間でこのご都合主義はいただけないというのが率直な感想。現実はもはや娯楽笑って済ませられない状況なので。

 登場人物の言動行動がことごとくアメリカが正しい、アメリカさえよければな発想。大統領の娘が語る「パパは立派、あなたはモンスター」発言も人間を国に喩えてみればどうだろう。大統領の、部下は見殺しにするが娘は見殺しにできない決断もしかり。大義名分など身内かわいいであっさり崩れてしまうものを公然と肯定されても・・・・・。(余談だが今見ている「24」もテロリストが身内かわいさに計画を明かしてしまっていた。当然と言えば当然。だが、信念をもってなにかをし遂げようとするものは守るべき家族をもったら志を全うできないのも事実だと思う。)

 などなど、非常に見ていてむかついてしまったのだが、後からはっと気づいた。これは娯楽作品なのだ、コメディなのだ。そう気づけば全て納得、腹立ちも収まる。
 なによりあり得ないハリソン大統領。訓練を受けたテロリストよりも数倍も強い。あの状況でも飛行機からは絶対に落ちない。ジャンボだっていざとなれば操縦可能。彼は大統領の仮面をかぶった特殊工作員かなにかに違いない。こんなスーパーマンならいっそヒーローマスクをかぶってみてはどうだろう?
 
 テロリスト、イヴァンのあんまりな最後もコメディ。裏切り者エージェント、(ザンダー・バークレイ♪)この人必要なんだろうか?とあきれる扱いと惨めな最後も笑える。
 何か有るたびにいちいち「やった~」と歓声をあげるアメリカ政府高官たち。微笑ましいほどにばかばかしい。マジに目くじらをたてる映画ではないのであった。(これは皮肉ではない。)

でもこの映画、好きか嫌いかと聞かれれば迷わず嫌いと言うでしょう。

ゲイリーがお目当て。ザンダーも確認したかった。ゲイリーは悪くないが、もうこの手の役はいいかな~。
かわいそうなのがザンダー・バークレー。中途半端にないがしろにされた扱い。まともなセリフがラストのあれだけじゃあ悲しすぎる。今はもう「24」でしっかり存在感を世間に示しているから、今後はこんな扱いは受けないと思うし、そう願いたい。 

他にもW.H.メイシーやグレン・クローズもがんばっている。結構おいしい俳優陣なのだが、やはりハリソンはミス・キャストだと思う。大統領って柄ではない。

エデンより彼方に 

2004年10月05日 | 
★★★
監督 トッド・ヘインズ
出演 ジュリアン・ムーア、デニス・クエイド、デニス・ヘイスバード
2002年 アメリカ

 1957年アメリカ、コネチカット州ハートフォードのブルジョワ家庭の主婦キャシーは誰もが羨み憧れるカリスマ的主婦。取材も受け、理想の家族を誇りとする女性だった。黒人問題にも理解を持つ聡明な女性であったキャシーの生活が夫フランクの性癖によってがらがらと崩れていく。
 実は同性愛者だったフランクはその思いを止めることができないでいた。しかしこれは病気だとカウンセリングを受けてはみるものが、非のうちどころのない完璧な妻の存在はかえって夫を精神的に追いつめていく。
 夫との溝は事が事だけに親友にも打ち明けられず、孤独に押しつぶされそうなキャシーの唯一の話相手は庭師のレイモンドであった。何度か会話するうちに次第に惹かれ合う二人だが、レイモンドは黒人。まだまだ人種差別が残っている時代。白人は白人で、黒人は黒人で互いに相手を受け入れない社会を作っていた。
 やがてフランクは男の恋人と共に生きる道を選び、キャシーの元を去る。キャシーはレイモンドを愛し始めている自分に気づきながらも世間の妨害に屈し、その恋をあきらめるのだった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 注目すべきなのは、色彩の美しさと、車やファッションなど50年代のクラシック・スタイル。特にファッションはまるでバービー人形を見ているかのようでうれしい。

 夫役のデニス・クエイドは見ない間に驚くほどおじさんになっていて、(よく昔のTVドラマに出てくるような)50年代の男性そのままな感じになっていた。
 レイモンド役にはタイムリーな「24」のパーマー大統領。「24」とは違った、インテリジェンスなこれまた聡明な黒人庭師を演じている。しかしまさに今「24」にはまっている最中なので、どうしても大統領とかぶってしまうのが難点だ。
 そして、本人には何も非がなく、申し分ない程の出来た妻なのだが、それ故相手にとっては重荷になってしまう女性をジュリアン・ムーアが見事に演じている。私が夫でもダメかもしれない。

 ストーリー的にはどうなのだろう。白人と黒人がすんなり結ばれないのは理解できるが、それよりももっと道義的に許されないと思われる夫の愛人との生活はあっさり叶ってしまうのがちょっと疑問に残る。

 憧れと賞賛は実は嫉妬や妬みの表裏一体。きれいな服の綻びは見逃さないということなのか、町中の非難はキャシーに向けられる。上流の世界は実にもろいうわべだけのもの、といってしまえばそれまでなのだが。
 キャッシーがあまりにもできすぎている女性なのに、世間の冷たい目にあっさりその恋をあきらめてしまう様は同情できなかった。所詮有閑マダムの気の迷いととられても致し方ないのでは?レイモンドもそのあたりを感じ取っていたのだろう。結局は悲劇のヒロインに酔いしれた女性の欺瞞の姿ととるのは意地が悪すぎる見方だろうか。

映画に愛をこめて アメリカの夜 

2004年08月28日 | 
★★★
監督 フランソワ・トリフォー
出演 ジャン・ピエール・レオ、ジャクリーン・ビセット、フランソワ・トリフォー
1973年 仏・伊

 映画監督フェランはパリで新作を撮っていた。主演のアルフォンスは撮影のスプリクト・ガールに夢中で、嫉妬に苛まれ撮影に身が入らないでいる。ヒロインのジュリーは神経衰弱を患ったときに治療にあたったかなり年上の医者と結婚したばかり。熟年俳優アレキサンドルの恋人はなんと若きブロンド男で、そのためか彼は以上にゴシップを警戒していた。
 様々なアクシデントが次から次に起こり撮影は難航していた。中でもアルフォンスが恋人の浮気に激怒、映画を降板すると言い出した。そしてジュリーはアルフォンスを説得に当たったが、行きがかり上一夜を共にしてしまい、夫との離婚を決意する。政審のバランスを失ったジュリーのために夫が駆けつけ、離婚話はたち消えた。
 しかし今度はアレキサンドルが恋人と共に自動車事故に遭い、死んでしまう。幸い主要な部分は撮り終えていたため、代役を起用して映画は事なきを得たが・・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
 映画制作の裏話を映画にした異色作。当時かなり評判がよかったので期待してみたが、やはり今見ると古さが気になってしまうのは否めない。
 同じく映画制作のトラブルを描いた「ロスト・イン・ラ・マンチャ」でも分かるように、撮影中数々のトラブルはつきもの。映画が大作化している今に比べるとこの映画の苦労話なんてかわいいほどたわいないものかもしれない。(男優さんの事故死はともかくとして)

 まだ映画を手作りしていた時代、最大のトラブルの素は人間である。スタッフから俳優から誰も彼もしっちゃかめっちゃか。特にアルフォンスの迷惑なことといったら、思わず「誰か殴ったれ!」な甘ったれぶり。演じるJ.P.レオーが「大人は判ってくれない」からは信じられないようなダサ男を演じている。(少年期の輝きは何処に・・・・)
 目を見張るほど美しいジャクリーン・ビセットはこの映画が一番きれいだったかも。危うい精神状態の中、必死で映画の完成に翻弄する姿がいじらしかった。そんな彼女が選んだ夫は、年は随分と離れているが納得の包容力の持ち主である。本当にこの若く危ういジュリーが可愛くて仕方ないのだろう。

 最初は違和感があったが、(どうみても泡にしか見えない雪も含めて)見終わってみればなんとも愛らしい一品。

永遠のマリア・カラス 

2004年03月07日 | 
★★★
監督 フランシスコ・ゼフィレッリ 
出演 ジェレミー・アイアンズ、ファニー・アルダン
2002年 英・仏・伊・スペイン

 パリのアパルトマンで隠居生活を送っていた伝説のオペラ歌手、マリア・カラスのもとに、カラス主演のオペラ映画の話がもちあがった。
 カラス全盛期の声(のテープ)を使い、今のカラスが演じる「カルメン」。最初は乗り気ではなかったカラスだが、友人のプロデューサー、ラリーの勧めもあり承諾する。
 演じるうちに、カルメンにのめり込んでいくカラス。だが、撮り進めていくうちに口パクで演じることをプライドが許さず、映画の公開を断念することをラリーに告げる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 マリア・カラスの友人でもあった監督の創作、ファンタジーであるというこの映画。思い入れはたっぷりだが、話はやはり無理がある。

声の出なくなったカラスにカルメンを演じさせ、声は口パクで往年の美声をかぶせるなんて、カラスという大歌手に対してこんな馬鹿にした企画はあり得ない。


 年老いてその美貌、ジュレミー・アイアンにほれぼれ。しかしなぜにホモ?
 からむ青年もチンケだし、カラスが感動したという絵も「どこが?」な出来で、こういうところは手を抜かずにきちんと描いて欲しい。

 シャネルを身にまといカラスを熱演するファニー・アルダン。その衣装が素晴らしい。素の部分では似ていたが、皮肉にもカルメンを演じる場面ではカラスは遠のいてしまった。

 だが永遠の歌姫、カラスの歌を劇場の大画面で聴けたことが素晴らしい。足元からぞくぞくっと鳥肌がたつような歌声。その歌声に体ごとすっぽりと包みこまれる。