玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「私闘」という言葉

2008年05月26日 | 日々思うことなど
ひとつの言葉をめぐっていくつかのブログで論争が起きている。

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「私闘」宣言 - nagonaguの日記

「私闘」という言葉の意味について二つの意見がある。
ひとつは「多くの辞書に『個人的な恨みよる争い』に類した説明がある、これこそが正しい解釈だ」とするもの。
もうひとつは、「恨み以外の個人的理由による争いも『私闘』と呼んでいい、辞書の解釈は偏っている」とするもの。
私は後者の意見だ。「私闘」を「恨みによる争い」に限定するのは不自然としか思えない。

そう思うのには理由がある。
「私+○」という形の単語は多いが、ほぼすべてが漢字をそのまま開いて読めば理解できる。字面にない意味(「恨み」など)が含まれるのはたいへん特殊である。
具体的に例を挙げる。
「私+○」の単語は3種類に分けられる。「『私』を公・官・国などに入れ替えて反対語を作るもの」「入れ替えられないもの」そして「略語」だ。

■A 「私」を公・官・国などに入れ替えられるもの
  私費 <> 公費
  私服 <> 制服
  私益 <> 公益
  私有 <> 公有・共有
  私物 <> 官物
  私邸 <> 公邸
  私的 <> 公的
  私党 <> 公党
  私道 <> 公道・国道
  私憤 <> 公憤
  私法 <> 公法
  私立 <> 公立・国立

■B 入れ替えられないもの
  私案 
  私怨
  私刑
  私語
  私財
  私宅
  私利

以上の二種類はすべて「私+○」を「個人の○」「個人に関わる○」と読み替えて何の問題もない。
私費は個人の支払う費用であり、私案は個人的な考えであり、以下同様だ。

もうひとつ、略語としての「私+○」という系統がある。

■C 略語としての「私+○」
  私学 「私立学校」の略
  私大 「私立大学」の略
  私鉄 「私有鉄道」の略

こちらは「個人的な○」と解釈するとおかしなことになる。
私学は個人的な学校ではないし、私鉄は個人的な鉄道ではない。

それでは「私闘」という言葉はどうかといえば、その中のどれにも当てはまらないのである。
A群・B群のように素直に漢字を開いて「個人的なたたかい」と理解すれば辞書の説明と違ってしまう。
どこからか「恨み」を探してきてはめ込まなければならない。なんとも不自然だ。

C群のような略語だとしたらどうだろう。
私闘とは「私怨による闘争」の略であれば、「恨み」の出どころについて悩まずにすむ。
しかしそれも妙なのである。
私学・私大・私鉄はまず正式な呼び方があり、便宜として略語が作られた。
「私闘」の場合はその元となるべき正式な呼び方が見つからない。
仮にあるとすれば「私怨闘争」だろうが、私がこれまで見たことのない言葉だ。

はっきりした結論は出ないが、私の意見は変わらなかった。
「私+○」の形の単語は「個人的な○」「個人に関わる○」と理解するのが一般的であり、「私闘」だけを特別に「私怨によるたたかい」とする多くの辞書の説明にはかえって無理がある。「私怨闘争」の略語だとすれば納得できるが、そのような言葉は存在しない。


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23 コメント

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お邪魔します (pooh)
2008-05-26 23:17:53
歓迎されないのは承知しておりますが。

私怨かどうかは知りませんが、ぼくはたんぽぽさんの「私闘」と云う言葉を、「動機も成果も自分個人に帰属するもの」と読みました。つまるところそれは「勝敗と云う結果に向かうもの」と云うこととして捉えています。

それはそれでかまわないのです。ぼくはごく最初の時点でその私闘に与しないことを表明し、「好意的でない」との評価をいただきました。その後も直接の批判を行いました。そのあたりの当否は、読むひとが判断することです(まぁ結果は袋だたきですが、それは甘受すべきことでしょう)。

不思議なのは、彼女に対するその種の批判に、彼女に対して「好意的」な論者が露払いの如く登場して論陣を張り、その後で彼女が敷かれたレッドカーペットの上を登場してそれらの論陣に立脚した議論を展開する、と云う構図が成立してしまっていることです。

ぼくみたいに恒常的に罵倒され、軽侮されている論者はまぁそれでもなんとかなりますが、そうじゃない方はこの構図だけで潰れます。潰れた、と云うことは論が正当じゃなかった、覚悟が足りなかった、と云うことで片付き、それで終わりです。私闘は勝利、でしょう。

それでいいのなら、それでいい、と認識している方々だ、と理解して話は終わりなのですが。
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下衆の勘繰り (kojitaken)
2008-05-27 00:48:13
poohさんのコメント

> 不思議なのは、彼女に対するその種の批判に、彼女に対して「好意的」な論者が露払いの如く登場して論陣を張り、その後で彼女が敷かれたレッドカーペットの上を登場してそれらの論陣に立脚した議論を展開する、と云う構図が成立してしまっていることです。

こういうのを、「下衆の勘繰り」といいます。
こんなことを書く以上、poohさんには、具体例を示す必要があります。さもなければ単なる「印象批評」と言われても仕方ない。

この「水伝」騒動で、私は黒幕と称されたり、やはり一時「黒幕」と疑われたことのあるブログ「カナダde日本語」の管理人・美爾依さんの下僕と称されたりしましたが、今度はたんぽぽさんの取り巻きですか。

妄言もいい加減にしてほしいものです。

でたらめな前提に基づいて、

> ぼくみたいに恒常的に罵倒され、軽侮されている論者はまぁそれでもなんとかなりますが、そうじゃない方はこの構図だけで潰れます。潰れた、と云うことは論が正当じゃなかった、覚悟が足りなかった、と云うことで片付き、それで終わりです。私闘は勝利、でしょう。

などと書くのを、「悪質なデマゴギー」といいます。
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わかりません (玄倉川)
2008-05-27 01:10:19
>poohさん
「歓迎されないのは承知しておりますが。」
とんでもないことです。そういう言い方をなさるとpoohさんご自身が卑屈に見えてしまいます。
私は好意のもてない相手のために一生懸命の弁明はしません。

「彼女に対して「好意的」な論者」
その中に私が含まれるとしたら誤解です。
たんぽぽさんを取り上げた最初(「たんぽぽさんと斉藤さん」)からこれまでの記事・コメントを読んでいただければ、決して好意的なだけでないことがお分かりいただけるはずです。

「その後で彼女が敷かれたレッドカーペットの上を登場してそれらの論陣に立脚した議論を展開する」
たしかにこういう構図は見苦しいものです。他人があまり代弁しすぎないほうがいい、とは思います。
しかし、黒猫亭さんやapjさんの批判は「たんぽぽ批判」にのみとどまらず、「たんぽぽ周辺の『批判派』」にも及んでいます。それに反論するなというのは酷な話です。

「潰れた、と云うことは論が正当じゃなかった、覚悟が足りなかった、と云うことで片付き、それで終わりです。」
そういうことです。
それをお分かりの上でpoohさんはいったい何を主張なさるのでしょうか。
まさか愚痴ではありますまい。私は困惑するばかりです。

>kojitakenさん
poohさんは「接近戦」を好まない方ですから、なるべく穏やかにお願いします。
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poohさんへ追記 (玄倉川)
2008-05-27 01:40:51
>poohさん
追記します。
仮に誰かが「たんぽぽなんて大嫌いだ!あんなやつネットから消えてしまえ!」と叫んだとしても、「批判派」は「ふーん」で済ませると思います。
しかし、「たんぽぽは○○した」「○○と言った」という事実に関わることで気になる違いを見つけたら、どうしても一言いいたくなる人が出てきます。人事だから放っておけ、というのが大人の態度なのかもしれませんが。
さらに、「たんぽぽの取り巻きは○○だ」という批判がなされたら、自分がそのように見られている可能性を考えて「それはどういうことですか」とたずねたくなります。
ひとこと言ったり疑問をたずねたりすると議論が始まります。
私も「疑問点をたずねた」結果として黒猫亭氏との議論に引きずり込まれました。
くどいようですが、あれはまったく不本意なことでした。
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もう一度追記 (玄倉川)
2008-05-27 03:38:24
>poohさん
目が冴えてしまったのでもう一度追記します。

「つまるところそれは「勝敗と云う結果に向かうもの」と云うこととして捉えています。」
たんぽぽさんはどうか知りませんけれど、私は議論の勝敗にはこだわりません。
対立や矛盾を昇華できれば一番いいし、負けても自分の認識が広がれば「得をした」と思います。

「ぼくみたいに恒常的に罵倒され、軽侮されている論者はまぁそれでもなんとかなりますが」
こういう自嘲・卑下は格好よくありません。
「やくざなウェブログ」のほうがまだしも、です(こっちもあまり感心しませんが)。

「潰れます。潰れた」
潰れるとか潰れたというのはブログ閉鎖のことでしょうか。
私の知る限り「騒動」に関わったブログで閉鎖したのは水葉さんのところだけです。
「批判派」の一人としてブログ閉鎖を望まなかったし、もちろん喜んではいない、と確信しています。
それとも心が傷ついた、ということでしょうか。
論争に関わればたいていの場合どちらにも心の傷が残ります。
完全勝利したらしたで空しく、負ければ悔しくて眠れません。中途半端な決着はストレスの元です。
傷つきたくなければ論争に口出ししないのが一番です。
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失礼しました (pooh)
2008-05-27 06:22:42
> kojitakenさん

ぼくは「印象」について書いています。


> 玄倉川さん

> こういう自嘲・卑下は格好よくありません。

あぁ、失礼しました。
これは自嘲ではなくて、ぼくなりの現状置かれた状況の認識を書いたものです。このことと「自分の論を自分でどう認識しているか」は別の話です。

> 潰れるとか潰れたというのはブログ閉鎖のことでしょうか。

違います。
具体名を挙げておわかりいただけるかどうかわかりませんが、ぼくが直接関与することになった範囲では、oruteさんやssfsさんと云った「論者としての命脈を絶たれた」方のことをイメージしています。彼らは「潰された」ことによる(おそらくは感情的な)傷によって、事実上議論することも、他者に顧慮してもらえる論を張ることもできなくなってしまいました。彼らの姿を、ぼくは痛ましく感じます。


いずれにせよ、玄倉川さんやほかの方々のイノセンスを、ぼくは疑うものではありません。
失礼しました。
返信する
kojitakenさんへ (pooh)
2008-05-27 07:57:28
すみません。あまりにも雑な書き方だと自分でも思いますので、追記をご容赦ください。

まず、ぼくはkojitakenさんをたんぽぽさんの取り巻きとも黒幕とも思っていませんし、思ったこともありません(ほかの方々についても同様です。絶対にそのようなことはないはずだ、と当初から今に至るまで考えています)。自分のところのエントリを含め、ぼくがそのような書き方をしたことはいちどもないはずです。むしろ、そうではないはずの方々がそう云う印象を与えうる行動をとられているのが不思議だ、と云うことを述べています。
ただ、こう書いてもkojitakenさんにとっては肯んじ得ないだろうな、とも思いますし、ほかの方々も同様でしょう。

揚げ足を取るようで居心地が悪いのですが、ぼくの書いたことをそのようにkojitakenさんがとられたのは、ぼくの文章や発言のコンテクストが、そのように考えている、と云う「印象」を与えるものだったからだと思います。これはもちろんぼくの責任ですが、印象と云うものがそう云うバイアスを与えうるものである、と云う例でもあると思います。

ぼくが最初に書いたコメントにある「構図」は、そのような種類のものです。ぼくは最近のたんぽぽさんを直接批判したエントリを書く前に同様の構図を2箇所で目にしましたし、自分のところでも同様の構図になるのを見ました(試したわけではもちろんないのですが)。
ぼく自身はこの印象に基づいてなんらかの判断を(使いたくない言葉ですが)「批判派」の方々の論に対して下すことはしていません。最初に書いたように当初から考えているからです。ただ、この印象は判断へのバイアスを生じせしめうる、と思っています。

ぼくのところにいらしたかつさんにしろ、玄倉川さんにしろ、(表明する機会はありませんでしたが)ぼく個人は論者として以前より敬意を抱いていましたし、通常はこのような「印象」の部分にも充分な配慮をされている、と感じています。なので、不思議だ、と書いた次第です。
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言葉についての考察 (てんてけ)
2008-05-27 10:53:47
私財の対は公共財のような気がする。
>>「私闘」だけを特別に~
江戸時代なんか、私怨以外の個人的な闘いには、別の名前が付けられていたんじゃないかしら?
喧嘩の「助っ人」は、その人にとって私事だけど私闘とは言わないし。
と思ってATOKで「たたかい」を変換したら、
戦い=武力を用いて争う。勝敗を競う。戦争、戦闘、対戦
闘い=利害の対立する者が争う。病苦などに立ち向かう。闘争、闘病。
戦いは状態を表し、闘いは動機を暗示しているような。共闘というと思惑が一致してって感じだけど、同盟とか連合だと条約を交わして機械的、計画的という感じ。
あと、
>>~多くの辞書の説明にはかえって無理がある。
という指摘は、「単なる孫引き、手抜きなんじゃないか」という意味でなければ言語学者に無礼なんじゃないかしら。
返信する
私闘の用例 (くろ)
2008-05-27 15:39:18
はじめまして。ちょっと考えてみました。

「私闘」の用例を検索すると、高い確率で「私闘禁止令」に行き当たります。武士間の私闘を為政者が禁じた法令です。
(例)
1.惣無事令(そうぶじれい)→豊臣秀吉が出した法令で、大名間の私闘を禁じたもの。
2.武家諸法度(江戸時代)→諸国主ナラビニ領主等私ノ諍論致スベカラズ。平日須ク謹慎ヲ加フルベキナリ。モシ遅滞ニ及ブベキノ儀有ラバ、奉行所ニ達シソノ旨ヲ受クベキ事。
訳:大名は私闘をしてはならない。日頃から注意しておくこと。もし争いが起きた場合は奉行所に届け出て、その指示を仰ぐこと。

お上が介入しない武士間の争いを封じようとして生まれた「私闘禁止令」の「私闘」の概念に一種のマイナスイメージが付与されたとしてもおかしくないように思います。また私闘禁止令以外の用法が比較的少ないことから仇討ちなどを想起させる「恨み」を辞書的意味に付与したと考えることもできるのではないでしょうか?

ところで、ヤフーの辞書検索(大辞林)では「個人的な利害や恨みなどで争うこと。」とあり、恨みと利害が並立されていて、必ずしも「私闘」に「恨み」は付きものという説明ではないようです。闘いの原因はさまざまなので当たり前といえばそうなのですが。

たんぽぽさんの「私闘」は私闘禁止令とは何の関係もなく、個人的な闘いの意味で差し支えないと思われます。ただ、耳慣れない言葉ではあるので議論になったのでしょうね。

長文失礼しました。最後になりましたが玄倉川さん、お疲れ様です。ご無理なさいませんよう。 
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コメントありがとうございます (玄倉川)
2008-05-27 19:42:40
>poohさん
「oruteさんやssfsさん」
どちらの方も存じ上げません。

「ぼくは痛ましく感じます。」
poohさんは優しい人ですね。

>てんてけさん
「単なる孫引き、手抜きなんじゃないか」
実はそれを疑っています。

>くろさん
情報ありがとうございます。
権力者にとって厄介だから「私闘」が禁止され、言葉自体にも悪いイメージを持たされるようになった、とういうことでしょうか。「私闘」を忌むべきもののように見るのが封建意識の残滓だとしたら情けないことです。

最後に、kojitakenさんにひとつお願いがあります。
poohさんの反論に再反論したいかもしれませんが、どうかおやめください。
お互いに一撃ずつ、恨みっこなしということでここでレフェリーストップにします。
これ以上続けたければご自分のブログでお願いします。
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