私は農水省が推進する海外日本食レストラン認証を支持する。
カトラー氏の批判は性質の違うものを一緒くたにした乱暴な議論だと思う。
カトラー:katolerのマーケティング言論: 美しい国の日本文化礼賛とカワイイ革命
最初に超高層ビルを建てたのはアメリカだが、世界中で立てられている超高層ビルが「アメリカの模倣」「アメリカ文化の輸入」というわけではない。各国・各都市はそれぞれの必要によって超高層ビルを建てている。すでに超高層ビルはアメリカ固有の文化ではなく世界共通の概念である。そこまではいい。
だが、「日本料理」を「超高層ビル」のように無国籍の一般的概念だと言えるだろうか。
私には無理だ。なにしろ言葉そのものに「日本」が含まれているのだから。
「日本」は国の名前である(「漆器」の意味もある)。アジアの東端に浮かぶ島国で独自の文化と歴史を有し、人口の98.9%が日本人だ。いくつかの偶然と必然によって日本製品と日本文化は多くの国に伝えられおおむね好評を博している。結果として「日本」にはブランド価値が生じ、それは日本人すべてにとって財産といえる。
良くも悪くも「日本料理」のイメージは日本文化・日本人・日本という国に結びつかずにはいられない。
「アメリカ料理はまずい」という印象は「アメリカ人は大雑把で味音痴」という偏見となり、「フランス料理は繊細だ」という情報は「さすがフランス、文化的だ」という予断に繋がる。
その昔「トルコ風呂」がトルコ人青年の抗議を受けてソープランドに改名したのも「トルコの名を冠した売春施設」がトルコ共和国・トルコ人への偏見に結びつくことが明白だったからだ。賢明なトルコ風呂業者たちは「トルコ風呂はハマム(トルコ式蒸し風呂)を日本人好みにアレンジしたものだ、余計な口出ししやがってクールじゃないぞ!」などと開き直りはしなかった。
だから、ろくに修行もせず、それどころかまともな日本料理を食べたことがないような料理人が外国で「日本料理」の看板を掲げ客にいい加減なものを食わせているような情況は困るのである。
「セレブが好むヘルシーな料理という評判だから来てみたけど、日本料理っておいしくないね」
「生魚を使っているけど調理場も料理人も清潔感がない」
「でも値段だけは高級店なみ」
こんな印象を与える「日本料理店」の存在は日本への悪印象を生む。
外国で「日本料理」を名乗るなら日本人を納得させるか、せめて「それなりにがんばってるね」と思わせるレベルのものを出してほしい。
「カワイイ」を世界共通の一般的な概念として、それに対置させるなら「スシ」や「テリヤキ」だろう。
どちらも日本で生まれた調理法だがすでに多くの国で広く受け入れられアレンジされており、必ずしも日本文化とは直結しなくなっている。
このあいだ「回転スシ世界一周」という本を読んだが、今や世界のあちこちでことさら「日本」を主張せずヘルシーなファーストフードとしてスシを提供するスシ・ショップが流行しているらしい。そういう店にまで「日本文化」を押し付ける必要はないし、日本料理店認証制度を支持する人々(私もそのひとりだ)だってそんなおせっかいは望まないだろう。
まとめると、
カトラー氏の主張されるように「国民国家の枠組み」を超えた文化を作りたい人は自由にやればいいのである。多分そのほうがススんでいてお金だって儲かるのだろう。結構なことだ。だが、それなら看板に「日本料理」を謳う必要はない。堂々と日本「風」料理とかアジアン創作料理とか名乗ればよい。私のように国家の枠に縛られた頭の固い人間だってインチキのない創作料理にまで文句は言わない。
カトラー氏の批判は性質の違うものを一緒くたにした乱暴な議論だと思う。
カトラー:katolerのマーケティング言論: 美しい国の日本文化礼賛とカワイイ革命
日本のアニメ文化、カワイイ価値観の浸透は、日本政府が自国のソフト・パワー戦略の一環として仕掛けたものではなく、それ自体が、国境を超えて、共時的に同調者をネットワークしている、トランスナショナルな現象だからだ。「カワイイ」論については同意する。
こうして国境を超えてカワイイ文化が共有されていく状況を、このさい、あえて「カワイイ革命」が世界中で進行しているといいたい。
(中略)
カワイイ革命の震源地は、この日本である。アニメ漫画やゲームソフトが、海外で受け入れられていると見るや、これを日本のソフト・パワー、文化力を示すものであると言い出すお調子者たちがゾロゾロでてきた。日本発のアニメやゲームが世界のサブカルチャーの市場で存在感を増していることは喜ばしいことだが、そこに「日本文化」というレッテルが付けられたら、ゴスロリファッションの女の子たちもとたんに興ざめしてしまうだろう。アニメのキャラクターの知財権を守れというぐらいは、まだしも、こうした「日本文化礼賛」路線に乗って、海外における「日本料理」のブランド(?)を守れという主張を展開するアホな連中まで登場してきた。
たぶん、こうしたことを言い出している人々は、「美しい国」ということや、この国の「ソフト・パワー」ということを意識しているのだろう。しかし、「文化」を国民国家の枠組みの中で捉え、コントロールしようという発想は、どうしようもなく陳腐になってしまった。こんなことを考える輩は、カワイクないし、クールじゃないといわれるのが関の山だ。
- 江戸時代から現代まで続く高度な大衆文化の産物として、日本で最初に「カワイイ」という概念が生まれた
- 高度な大衆文化は世界中で発達しつつあり、「カワイイ」という概念が最初に日本で発生したのはあくまで偶然である
- だから「『カワイイ』は日本の文化だ」と主張すべきではない
最初に超高層ビルを建てたのはアメリカだが、世界中で立てられている超高層ビルが「アメリカの模倣」「アメリカ文化の輸入」というわけではない。各国・各都市はそれぞれの必要によって超高層ビルを建てている。すでに超高層ビルはアメリカ固有の文化ではなく世界共通の概念である。そこまではいい。
だが、「日本料理」を「超高層ビル」のように無国籍の一般的概念だと言えるだろうか。
私には無理だ。なにしろ言葉そのものに「日本」が含まれているのだから。
「日本」は国の名前である(「漆器」の意味もある)。アジアの東端に浮かぶ島国で独自の文化と歴史を有し、人口の98.9%が日本人だ。いくつかの偶然と必然によって日本製品と日本文化は多くの国に伝えられおおむね好評を博している。結果として「日本」にはブランド価値が生じ、それは日本人すべてにとって財産といえる。
良くも悪くも「日本料理」のイメージは日本文化・日本人・日本という国に結びつかずにはいられない。
「アメリカ料理はまずい」という印象は「アメリカ人は大雑把で味音痴」という偏見となり、「フランス料理は繊細だ」という情報は「さすがフランス、文化的だ」という予断に繋がる。
その昔「トルコ風呂」がトルコ人青年の抗議を受けてソープランドに改名したのも「トルコの名を冠した売春施設」がトルコ共和国・トルコ人への偏見に結びつくことが明白だったからだ。賢明なトルコ風呂業者たちは「トルコ風呂はハマム(トルコ式蒸し風呂)を日本人好みにアレンジしたものだ、余計な口出ししやがってクールじゃないぞ!」などと開き直りはしなかった。
だから、ろくに修行もせず、それどころかまともな日本料理を食べたことがないような料理人が外国で「日本料理」の看板を掲げ客にいい加減なものを食わせているような情況は困るのである。
「セレブが好むヘルシーな料理という評判だから来てみたけど、日本料理っておいしくないね」
「生魚を使っているけど調理場も料理人も清潔感がない」
「でも値段だけは高級店なみ」
こんな印象を与える「日本料理店」の存在は日本への悪印象を生む。
外国で「日本料理」を名乗るなら日本人を納得させるか、せめて「それなりにがんばってるね」と思わせるレベルのものを出してほしい。
「カワイイ」を世界共通の一般的な概念として、それに対置させるなら「スシ」や「テリヤキ」だろう。
どちらも日本で生まれた調理法だがすでに多くの国で広く受け入れられアレンジされており、必ずしも日本文化とは直結しなくなっている。
このあいだ「回転スシ世界一周」という本を読んだが、今や世界のあちこちでことさら「日本」を主張せずヘルシーなファーストフードとしてスシを提供するスシ・ショップが流行しているらしい。そういう店にまで「日本文化」を押し付ける必要はないし、日本料理店認証制度を支持する人々(私もそのひとりだ)だってそんなおせっかいは望まないだろう。
まとめると、
- 「カワイイ」「スシ」「テリヤキ」といった日本語発祥の言葉なら「日本」を離れて世界中で自由に使ってもらってかまわないが「日本料理」「日本車」「日本製アニメ」といった日本を冠する言葉を外国で好き勝手に使われては困る
- 日本の名前に便乗したデタラメな商品・文化が外国で横行するのに日本人が怒るのは当然のことだ
- 海外のインチキ和食屋は日本料理とは呼べず、ヒュンダイとホンダは違い、テコンVとマジンガーZを一緒くたにされるのは情けない限りだ
- 「日本~」と名乗るものは日本人が納得できるものであってほしい
カトラー氏の主張されるように「国民国家の枠組み」を超えた文化を作りたい人は自由にやればいいのである。多分そのほうがススんでいてお金だって儲かるのだろう。結構なことだ。だが、それなら看板に「日本料理」を謳う必要はない。堂々と日本「風」料理とかアジアン創作料理とか名乗ればよい。私のように国家の枠に縛られた頭の固い人間だってインチキのない創作料理にまで文句は言わない。
但し懸念材料として、中国人や韓国人でも、物凄く日本料理を勉強して、研究して、基準をクリアーできるようなら認可できるのかどうか。
また、日本人でもお粗末な料理しか作れないなら、当然認可しないと言う結果もありうるのか。このルールが徹底できれば非常に良い制度だと思いますが、日本人経営店に対して、しがらみや癒着無しにどこまで毅然とした評価が下せるのか、僅かながら不安も残ります。
優れた日本料理店を認証する制度は外国人も日本人も納得する公平なものでなければなりません。反対する人たちの理由の一つには公平性の確保への疑いがあるのだろうと思います。
私は日本人の「身内びいきを恥じる」気持を信じたいと思います。
日本人に後者のような人がいないといいですね。
でも肉食中心の食生活に慣れた人にとっては、鮨も十分にヘルシーなんでしょうかね。
まあ認証制度というのは「標準器」みたいな物だと思います。そこへ行けば、基準となる味が分かる。
そもそも「権威付けはけしからん」と怒っている人が一番権威を信じているというパラドックス。私だったら、和食店認証制度ができたとしても、自分が美味しいと思ったお店に行きますよ。認証制度あろうとも私の行動はさして左右されないので気にならない。
って、誰か描いてくれないかな(笑)
都知事閣下のように愛国心に燃える方はご遠慮いただいて、基準を満たしているか冷静に見極めるタイプの人に審査してほしいです。
>安部奈亮さん
ゆう子さんは素直でいい感じですが山岡は頭でっかちだから信用できませんw
ニューヨーク
「味付けもしない丸めた米の上に、生魚を乗せて『寿司』だと言って平気で客の前に出す呆れた朝鮮人」
http://www.dyske.com/default.asp?view_id=786
ロサンゼルス
「各地で日本人の振りをして日本食のイメージを貶める卑怯な朝鮮人」
http://www.pacificnet.net/jue/food/restaurant/japkortaiw.html
サンフランシスコ
「日本人に成りすまし、日本料理に敬意もはらわず平気で日本料理店を開く朝鮮人」
http://members.tripod.com/runker_room/tiestalk/bynonjpz.htm
カナダ
「美味しい日本料理が食べたければ朝鮮人が経営する店には行くな」
http://www.sushi.infogate.de/rest/na_canada_richmond.htm
ロシア
「日本人だと偽り、寿司を持ってくる朝鮮人」
http://english.pravda.ru/fun/2002/10/11/38032.html