玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「愚民」とか「B層」とか(その2)

2009年09月01日 | 政治・外交
前の記事では「選挙で負けた側の支持者が勝った側に投票した有権者を「愚民」(「B層」)呼ばわりしてバカにするのは見苦しい」と書いた。
「負け惜しみはみっともない」という感覚はとりあえず同意いただけたとして、「愚民」呼ばわりするな、というのには異論が出るだろうと思う。「バカと言う人がバカなんです」という小学校の先生めいたお説教を聞かされたら「バカにバカと言って何が悪い」と反論したくなるのが当然だ。
その通り、何も悪くない。言われた相手(バカ)の気分が悪くなるだけだ。「バカの気分を悪くしてやると胸がスッとして気持いいなあ」と感じる人はいくらでも「敵方」に味方した有権者を愚民呼ばわりすればいい。どうぞご自由に。

…これだけでは何なのでもうちょっと書いてみよう。
私が問題にしたのは「選挙の敗者が勝者(有権者の多数)をバカにすること」である。一般論として、倫理の問題として「バカをバカにするな」というよりも、「それって政治的戦術として不合理だよね」という考えに近い。選挙は支持(共感)獲得ゲームなのだから、嫌われるようなことをすればますます勝てなくなる。
ものすごく乱暴に言ってしまうと、人間を動かしているのは感情と欲望である。理性は感情と欲望をかなえるための道具にすぎない。
感情の中でも「名誉の感覚」は個人の基本的なアイデンティティに関わる敏感な部分だ。ちょっと触れられただけでも痛みに飛び上がり、怒りの炎が燃え上がる。

殺人 - Wikipedia
瑣末な揉め事(口論)のケース

殺人事件の動機で最も多いケース。
目と目が合った、肩がぶつかった、足を踏みつけた、車で追い越しをされた、パッシングをされた、順番を無視した等、一歩引いて謝れば解決できるのにそれをせず、口論をするうちに熱くなって止められなくなり殺してしまうというもの。多くが傷害致死で起訴され、ナイフのような致命傷になる武器で攻撃をした時に殺人で立件される。

この動機はその場でのものの他、後に尾を引き計画的に殺されるという事件も発生している。

殺人はさすがに極端な例だが、他者の「名誉の感覚」をみだりに傷付けるとろくなことにならないのは間違いない。
「バカにされた」と感じた人がバカにしてきた相手に好感を持つだろうか。「よくぞ忠告してくれた」と感謝するだろうか。そんなことはほとんどありそうにない。むしろ反感と不信ばかりが募る。

 (こいつは嫌な奴だ)
 (私をバカにした、私の感情を平気で・面白がって傷付けた)
 (こいつは私に悪意を持っているのだろう)
 (こいつの言うことは私を陥れるための罠だ)

一度不信感を持たれると、どれほど「正しいこと」を言ってもなかなか聞いてもらえない。腹いせのために「批判」を無視して「忠告」と反対のことをわざとやったりする。

 「あっ、バカだなあ、今の交差点で右折だろ!グズグズしないでUターンして!」

 (ムカついて)「…こっちのほうが近道なんだよ、黙ってろ!運転してるのは俺だ!」

そのまま間違った道を突き進んだ二人は山の中に迷い込んでガス欠になったりする。「バカにバカと言った人」がそのせいで「バカ」といっしょにバカな目にあう。これではどちらがバカなのかわからない。


「バカと言う人がバカなんです」と「バカにバカと言って何が悪い」の対立は、善悪(倫理)の問題として論じるよりも損得の問題として、コミュニケーション技術の話として考えたほうが便利だ。
そのときの状況や相手との関係によっては「バカにバカと言う」ことが適切で簡単なこともあるだろう。
だが、むしろ相手の感情をこじらせて悪い結果になることが多そうだ。なにしろ相手は「バカ」なのだから、感情にとらわれて不合理な判断をする傾向が強い。それがわかっていながらわざと侮辱する人も決して賢いとは言えない。
「バカ」とどうやってコミュニケーションするかという永遠の大問題について考えるとき思い出す話がある。

戦争の始まりと終わりがよくわからない
中世ヨーロッパ人の暮らし

どちらも2ちゃんねる初期の名スレだ。
「戦争の始まりと終わりがよくわからない」のスレ主は空想的平和主義者であり、「中世ヨーロッパ人の暮らし」のスレ主はファンタジーと史実を混同している。どちらも無知な「バカ」だ。「バカ」に対して軍事板住民と世界史板住人はバカにしたり親切に教えたりしながら対話を重ねる。1000に達した頃にはスレ主は学ぶ喜びを知り、専門板住民は知識を分かち合う楽しさを思い出す。
「バカをバカにして山の中に迷い込む」ナビゲーターとは対照的だ。基本的にバカな私もどちらを見習うべきなのか悩むことはない。


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