玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

松永英明氏が語らなかったこと

2007年01月16日 | ネット・ブログ論
いつも読んでいるブログで自分の記事が思いがけず引き合いに出されていたからちょっと驚いた。

シム宇宙の内側にて:【追記あり】 『2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ』 のいやらしさのコメント欄でfw0さん(「シム宇宙の内側にて」ブログ主)がこのように言っておられる。
・あらま さん
ほんと、松永 さんのエントリは、次のエントリ辺りをストレートでない方向に焼きなおしただけでオリジナリティもなく、困ったものですね。

玄倉川の岸辺:素朴で正義感の強い人たち
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/fd11ac777d2ab60b2bbe2122fa26514d
2007-01-15 Mon 22:56
驚いたのは、松永氏の記事を読んで(正確には「眺めて」)自分の書いたことに似ているとはまったく感じなかったから。

2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ [絵文録ことのは]2007/01/13
 ドメイン差し押さえが報じられている2ちゃんねるであるが、2ちゃんねらーが様々な騒動を起こすとき、そこには「正義に基づく暴走」がみられるように思う。

 彼らは、正義の旗の下に「悪人」を糾弾し、正義の旗の下に「善意」を喧伝する。今なお続くmixi乗っ取り犯による自己正当化の発言を見ている限り、彼らはあくまでも自分たちの行動が正しく、それに反するものをすべて敵と見なす。

 自分たちは正義である――だから何をやっても正しい、逆らう奴が悪い。そんな意識が2ちゃんねらーには見え隠れしている、と私は感じている。
この記事自体は「はてなブックマーク」の人気エントリーに並んだとき見に行ったけれど世評のわりに退屈としか思えず、ざっと眺めただけだった。焼き直し疑惑を聞いてもう一度読もうとしたが、どこかで見たようなピントの外れた2ちゃんねる論にうんざりして途中から飛ばし読み。オリジナル(?)を書いた人間が共感できない文章なのだから、松永氏の記事は焼き直しではないだろう。
松永氏ほど高い知性を持ち、世人に希な経験をした人物であれば非凡な2ちゃんねる批判・「正義」批判が書けるはずだ。それなのにあの程度のつまらない代物になったのは彼がある重要な体験を語るのを避けたからだと思う。

松永氏の記事はおよそ私には感心できないものだが、以下に引用する感覚は自分に通じるものがあると思った。
ここで私自身の考え方の傾向について述べておく。それは「社会正義」を標榜する人たちが大嫌いだということだ。社会正義ではなく「自分個人の正義」を標榜し、あくまでも個人的な考えとして意見を述べるのであれば、「そういう人もいるんですね」で済む。しかし、「自分の考え」を「社会はみんなこう考える」とすり替えて押しつけたり、あるいは「世間ではこう考えている」ということを振りかざして、あたかも自分の「正義」が普遍的なものであるかのごとく振る舞う人は、大嫌いである。
私の場合は正義感が人並みはずれていので、悪い事をしてもあまり罪悪感を感じないし社会の不正に憤ることも少ない。自分自身それを良いこととは思っていないが、精神的体質なのでどうしようもないと諦めている。「世に倦む日日」「STOP THE KOIZUMI」運動をウォッチしていたのも「世の中にはずいぶん正義感の強い人がいるなあ」と呆れた感心したからだ。

そんな私から見て、なぜか松永氏の記事からご自身が嫌っているはずの「『自分の考え』を『社会はみんなこう考える』とすり替えて押しつけたり、あるいは『世間ではこう考えている』ということを振りかざして、あたかも自分の『正義』が普遍的なものであるかのごとく振る舞う」ような臭みが感じられるのが残念だ。「好き嫌いをそんなに熱く弁じられても…」と引いてしまうし、「2ちゃんねらーの『正義』を批判する道具として『好き嫌い』を持ち出したのか」「実は松永氏自身が誰よりも正義を振りかざしたい人なのでは」と疑いを抱いてしまう。

松永氏はかつてあるカルト教団に帰依していた経歴がある。そのこと自体をあげつらう気はないが、松永氏が「正義に基づく暴走」の危うさを糾弾するならかつて自らが邪悪な善魔に魅入られたことを率直に語るべきだと考える。暴走する「正義」の恐ろしさを希少な体験を生かし実感として言うのであれば大いに説得力が増したはずだ。
だが、なぜか松永氏はそのようには語らなかった。
いや、彼には語れなかったのか。
結局のところ松永氏は過去の自分と向き合うのを避け、まるで他人事のように(!)正義に昂ぶる2ちゃんねらーを批判することを選んだ。
私はそこに彼の弱さと(おそらくは無意識の)欺瞞を見てしまう。

松永氏は「2ちゃんねる型『正義感』のいやらしさ」の続きを書いている。
前の記事よりははるかに論理的な2ちゃんねる批判だが、私はむしろタイトルに興味を引かれた。

2ちゃんねるの致命的欠陥――ひろゆきは2ちゃんねらーに責任転嫁すべきだ [絵文録ことのは]

もしかすると彼が本当に「責任転嫁せよ」と勧めたいのは東京拘置所にいるあの男なのかもしれない。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
確かにこなれてはいないですけども (eshek)
2007-01-17 04:37:31
こんにちは。

>臭み

あの文章は2ちゃんねるという客体を通じたご本人の所信表明だと読みましたが。

熱がこもりすぎて2ちゃんねるとの分離が不十分になっているところが強引過ぎる表現になっているかと思いますが、ご本人を見つめる文章として、そして問題提起としていい文章だと思いました。

そもそも、ああいう文章を公開で書けるということ自体、自分に対する勇気がいることですから。
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Unknown (松永)
2007-01-17 11:05:52
まったく読んだこともないエントリーを焼き直すことができるというので、俺は天才と褒められていたのかと思いました。
というか、ずいぶんと誤読されているような気がします。自分の発言に自分で責任を取るか、他者に投影するかという話なのに。
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Unknown (nomad)
2007-01-18 13:06:57
以前僕のblogでも松永さんについて批判しましたが、今も相変わらず世間を呪っているのかと大いに驚きました。修行者なのに。

僕はさくらちゃんから2hopのところにいますのでさくらちゃんが幸せになるために障害になる事象に対しては強く異議申し立てをしますが、松永さんやトニオに代表されるような「2ちゃんねらへの批判」には違和感を感じます。
彼らはさくらちゃんに対して関心など無いのに、こうした事象をダシにして2ちゃんねらを呪いたいだけに見えますので。

ところで、さくらちゃんと僕の間の1hopは2ちゃんねらなんですけどね。
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コメントありがとうございます (玄倉川)
2007-01-19 20:20:05
みなさんコメントありがとうございます。

>eshekさん
「熱がこもりすぎて2ちゃんねるとの分離が不十分になっている」というのは私も感じました。
ご自分では客観的なつもりなのでしょうが、半歩くらいしか距離がないような感じです。

>松永さん
どちらの松永さんか存じませんがコメントありがとうございます。
もし松永英明さんご自身ならトラックバック(新しい記事の必要はありません)していただけると「ご本人のレスポンスだな」と確認できたのですが。焼き直し疑惑(?)についてはお気の毒ですが、fw0さんが「焼き直し」という言葉を使ったのは模倣の意味ではなく偶然の一致ということなのだろうと想像します。もちろん私も松永英明さんが自分の文章に影響されたなどとは思ってもおりません。

>nomadさん
松永英明さんという方は、本当にアジテーションがお好きで、上手だなと思います。たぶんご自身はそういうつもりはなく客観的に論評しているのでしょうが、文章の熱と勢いが無用の(?)迫力を生んでいます。
さくらちゃんの件については「命の重さ」に関わる問題なので松永英明氏が熱く2ちゃんねらー批判するのは自然なことと思います。逆に彼がクールに「社会には助からない命もある」という態度だったらなんだか恐ろしく感じたでしょう。
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Unknown (nomad)
2007-01-22 14:08:00
> 「命の重さ」に関わる問題

揶揄とは思いますけれどもここは敢えてマジレス
もしそうだとすれば松永さんは命の重さに2種類あるという態度を取っていると玄倉川さんはおっしゃっているように受け取れます。(私自身は2種類あると思っていますが)
松永さんにとって重要な命と、そうでない命。
同一セグメント内で行われた殺人に対しては寛容に振る舞い、何hopか先の他者の命を危険にさらす可能性のある言論を糾弾するというのが正しい修行者としての態度でしょうか。

熱く語るのをよしとしたとしても、では松永さんはさくらちゃんに対してどれほどの行動を示したのでしょうか。どのくらいボランタリな行動をしたんでしょう。どのくらいさくらちゃんの問題に対して真摯に振舞ったのでしょう。

自分のエゴを引き受けもしない覚悟の無さでありながら奇麗事にかこつけて他者を糾弾するのは、僕にとっては「所謂2ちゃんねら」よりも薄汚い言動に思います。

というようなことを思いましたよ。僕にとって空恐ろしいのは松永さんでした、というお話でした。
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松永氏の倫理観 (玄倉川)
2007-01-22 20:24:16
松永氏の倫理観がどのようなものか、本当のところは知りません。
私自身は松永英明氏を好きになれないし信用することもできませんが、彼の「善意」についてはなるべく好意的に見たいとは思います。
もちろん、(松永氏自身が主張しているように)自らを疑わない暴走する善意ほど恐ろしいものはないのですが。
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TBがとおらないので (eshek)
2007-01-24 18:42:09
こんにちは。
この件で記事を書きましたのでご参考。
http://d.hatena.ne.jp/eshek/20070124#p1
ことばと敬意
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最後なので (alamal(eshek))
2008-01-28 14:24:54
こんにちは。お久しぶりです。
ことのは騒動、最後ですのでTB送らせていただきました。
去年もお送りしましたのd、締めとして。ご笑覧ください。
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