ネットにおける匿名・実名について最近あちこちのブログで語られている。
すちゃらかな日常 松岡美樹:匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?
むだづかいにっき♂:続々・匿名はやっぱり推奨しないのです
若隠居の徒然日記:水清くして 魚棲まず
最初に身も蓋もないことを言ってしまうと、この問題には誰もが納得するような「唯一の正しい答え」なんてものはないのだろうと思う。いや、世の中のほとんどの問題はそういうものなのかもしれない。だけど、ああだこうだと多くの人が真剣に論じ合ううちに自ずと状況に応じた最適解が浮かび上がってくるはずだから、関心のあるブロガーは大いに論じていただきたいと思う。
なんだか他人事みたいな書き方だが、私自身としては特に新しい材料が出たわけでもなし、いまさら匿名・実名論も…という気がしている。私自身の最適解をすでに持っているようなつもり(本当に持っているとは言わない、ちょっとズルいけど)でいるのだ。その最適解(のようなもの)とは何か?というと自分で考えたわけではなく先人による考察を読んで「なるほどなるほど」とうなずいただけの安易さである。私が何を言ってもどうせ受け売りにしかならないので特にひとさまに意見を言う気になれないのである。
読者の皆様にぜひ読んでいただきたいのがこちら
実名と匿名の意義についてITビギナーと対話してみる
ネットにおける匿名・実名の得失について対話形式で非常にわかりやすく書かれている。
ちょっとだけ引用してみると
うーん、ヤスツさんいいこと言うなあ。
私自身、実生活を公表してもプラスになることは何もないので、匿名推奨論はとてもわかりやすく共感できる。論理的にはどうかというと私の頭ではなんとも断言できないが間違ってはいないように思う。やはり一般人のネットでの発言は匿名か仮名(ハンドルネーム)が基本であり、よほどのメリットがなければ実名を公表する意味はない。実名を明かすことを推奨したり要求する人たちに対して私は素人に危険な投資を勧める人たちを見るのに似た危惧と僅かな嫌悪を感じる。彼らは野暮であり無責任だ。
日本人は万葉集の昔から匿名・無名のひとびとが詠んだ歌の価値を認めてきたのだから、ネットに詠み人知らずの言論が出回ったとしても何の不思議もない。自分の名前をひけらかさない日本人の奥ゆかしさを私は嫌いではない。
すちゃらかな日常 松岡美樹:匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?
むだづかいにっき♂:続々・匿名はやっぱり推奨しないのです
若隠居の徒然日記:水清くして 魚棲まず
最初に身も蓋もないことを言ってしまうと、この問題には誰もが納得するような「唯一の正しい答え」なんてものはないのだろうと思う。いや、世の中のほとんどの問題はそういうものなのかもしれない。だけど、ああだこうだと多くの人が真剣に論じ合ううちに自ずと状況に応じた最適解が浮かび上がってくるはずだから、関心のあるブロガーは大いに論じていただきたいと思う。
なんだか他人事みたいな書き方だが、私自身としては特に新しい材料が出たわけでもなし、いまさら匿名・実名論も…という気がしている。私自身の最適解をすでに持っているようなつもり(本当に持っているとは言わない、ちょっとズルいけど)でいるのだ。その最適解(のようなもの)とは何か?というと自分で考えたわけではなく先人による考察を読んで「なるほどなるほど」とうなずいただけの安易さである。私が何を言ってもどうせ受け売りにしかならないので特にひとさまに意見を言う気になれないのである。
読者の皆様にぜひ読んでいただきたいのがこちら
実名と匿名の意義についてITビギナーと対話してみる
ネットにおける匿名・実名の得失について対話形式で非常にわかりやすく書かれている。
ちょっとだけ引用してみると
ネットの世界で重要なのは「誰が言ったか」じゃないんです。「何と言ったか」なんですよ。その意味で、発言に肩書きのフィルターがかかってしまうことを避け、純粋に発言内容だけに重点を置くためには、実名よりも匿名のほうがいい、ということです。
そして、「大人の対応」というより「誠実な対応」ができるかどうかは、その人の実社会での「躾」の問題だけです。
うーん、ヤスツさんいいこと言うなあ。
私自身、実生活を公表してもプラスになることは何もないので、匿名推奨論はとてもわかりやすく共感できる。論理的にはどうかというと私の頭ではなんとも断言できないが間違ってはいないように思う。やはり一般人のネットでの発言は匿名か仮名(ハンドルネーム)が基本であり、よほどのメリットがなければ実名を公表する意味はない。実名を明かすことを推奨したり要求する人たちに対して私は素人に危険な投資を勧める人たちを見るのに似た危惧と僅かな嫌悪を感じる。彼らは野暮であり無責任だ。
日本人は万葉集の昔から匿名・無名のひとびとが詠んだ歌の価値を認めてきたのだから、ネットに詠み人知らずの言論が出回ったとしても何の不思議もない。自分の名前をひけらかさない日本人の奥ゆかしさを私は嫌いではない。
それで発言の一貫性が取れるのなら、純粋な議論の上ではそれで良いのではないかと。
ちなみに私の名前も実名ではありません。実名を不特定に晒してもメリットよりデメリットの方が多すぎます。
近世における多くの狂歌や落首、そして現在のサラリーマン川柳に到るまで、日本人は「匿名」で己の心情を心置きなく書き綴ってきましたよね。
匿名だからこそ彼らは、自分の思っているところを余すところ無く開帳できるのであって、実名だったらこれほど時代背景に富んだ、味のある作品が残ったかどうか疑わしいです。
「ネットの言論も全て実名で」というのは、「サラリーマン川柳も全て実名で発表すべし」というのと同じで、とても「野暮」に思えるのですよね。
また、歌心の全く無い私としては、「ネットの言論も全て実名で」となってしまったら、私にとっての「匿名の世界」が無くなってしまうという弱みもあります^^。
えーっ、てっきり実名かと思ってました。
とはいえハンドルでも実名でも佐倉さんは佐倉さんなので何の問題もありませんね。ちなみに私の本名は「玄倉川 清流(くろくらがわ・せいりゅう)」です。
…と言えば信じる人がいるのかな。嘘です。
>藤田さん
そうそう、全面実名論は野暮ですよね。夜のお店でお姉さんから本名を無理やり聞きだすような奴は嫌われます。
そのあたり、問題を分解する作業が今後必要になるのかなぁ、とフト思いました。
あと、木村剛さんの記事が面白かったです("モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために"で検索してみてください。かなりの長文)。訴訟を起こされるリスクのこととか、ひろゆき氏へのリスペクト(?)とか。
匿名で書く奴がみんな誹謗中傷を書く卑怯者かといえばそんなことはないわけで。
悪名高い2ちゃんねるだって名無しさんの9割以上はまともで、たまにどうしようもない輩が悪さをしますが匿名のメリットに比べれば受忍限度内と思います。
ノイズは無視すればいいと思うのですが、炎上する人や実名にこだわる人は一番質の低い書き込みにばかり気を取られるようです。きれい好きで潔癖症なのでしょうが、ネットには向かない性格のように思います。
決して匿名だからと言って、特別なことはないですね。
私も別にハンドルネームだからと言って、随所で暴論を振りまくと、ネットでの活動に支障を来たしますね。
あと女性の場合は、ネットストーカーのような目にあった方を何名も見てきました。出会い系なんてものが話題になるずっと以前からです。
(かれこれ10年近く昔)そういう観点から見た場合でも、やはりデメリットの方が多いですね。
きっと実名派の方は、そういう「泥水」を飲んだことが無い、幸せな方なのだろうと感じます。
本名やメールアドレス(実名入りです)をブログには載せたくないのは、誰が読んでいるかわからないので、精神に異常をきたした人の目にとまって危害を加えられたりすると嫌だから。子どももおりますし。わざわざ実名を公表する必要性も感じません。
ただ、実生活では自分の意見などほとんどいえないのに、ネットでは匿名で暴言を吐く人というのは実際いると思います。放っておけばいいことかもしれませんが、非常に不快で公害であると感じます。他人を名指しでこきおろす(批判ではなく、人格否定のような発現のことです)人が、自分は本名を名乗らないなんて卑怯じゃないでしょうか。実名を名乗ったって人格否定はよくないですけれど。
>匿名で書く奴がみんな誹謗中傷を書く卑怯者かといえばそんなことはないわけで。
はい。もちろん認識しています。というか、当然ですよね。「みんな」なんて言うつもりはまったくなかったのですが、そう受け取られてしまったでしょうか。
>ノイズは無視すればいいと思うのですが、
木村さんのゴーログを読んで、「ネット上の発言によって現実世界での実害が発生した場合の責任」ということについて考えました。
つまり、ネット上の「ノイズ」として無視して済まない場合について考えるのが、自分のような匿名の書き手の責任感というものだと思っています。
佐倉さんのおっしゃる「デメリット」は、書き手の損害ということで、それが社会にとっても損失だということだと思うのですが、書いた内容が特定の個人、団体や社会に与える損失のほうが大きい場合はどうするかを考える責任があるんじゃないかと。
みなさんのコメントを読むと「それはそれで納得できるが、そこからこの問題全体に対する結論まで行くのは無理」という感じを持ちます。範囲が広く、側面が多い問題だと思うので。
「問題を分解する作業」などと書いたものの自分でもまだまだ整理できていませんが、ある程度考えがまとまったら記事にしてTBさせていただこうと思います(難しそう...)。