イコールの橋 くれはやし・しゅん

生きていくことの大切さを多くの若者に伝えたい!
そして、一緒に平等の橋を渡りたい・・・。

生きるということを学ぶ

2005年01月12日 | 身辺雑記篇
本日(2005年1月12日)付けの有明新報に、ヒトミさんの遺稿が掲載されていました。
ヒトミさんは、昨年の9月、骨肉腫のために亡くなりました。骨肉腫というのは、骨のガンです。ヒトミさんは、小学校の6年生で発病して、4回もの大手術に耐えて、学園生活を送っていましたが、神様に好かれて、ついに召天しました。13歳の若さで死にました。中学校の2年生でした。
若くして死ぬというのは、悲しいことですが、死者は本当は、死んではいません。その人のことを思い出し、覚えている人がいる限りにおいて、死者は全き死を知らないのであります。死者のことを覚えている人が死に途絶え、その人のことが心のスクリーンに映らなくなって、初めて、死者は本当の死を死に切るのです。
ヒトミさんは闘病中に、数多くの仲間の死を、現実としてきちんと受け止める力を持っていました。そして、「生きたくても生きれなかったたくさんの仲間が、命をかけて教えてくれた大切なメッセージを、世界中の人たちに伝えていくことが、私の使命だと考えています。」と決意しつつ、闘病中に「私がはっきりと感じたことは、学校に通ったり、家族や友だちと当たり前のように毎日を過ごせるということが、どれほど幸せなことかということです。」と綴っています。
セカチューのように生きていく女主人公のような女性もいれば、幼くして悟りを開いたヒトミさんのような女性もいます。
そして、ヒトミさんは、最後にこう、みなに、語りかけています、
「みなさん、私たちは、いつどうなるかなんて誰にも分からないんです。だからこそ、1日1日がとても大切なんです。病気になったおかげで、生きていく上で、一番大切なことを知ることができました。今では心から、病気に感謝しています。」と。
ここには道学者風のアジテーションもメッセージもありません。
あるのは、生を生き抜く悟達の境地と、生をよりよく生き抜くための澄明な決意です。
13歳の少女がこのような思いを抱くためには、あまりにも苛酷な現実が覆い被さらねばならなかったという事実の前に、私たちは私たちの何をもって、対峙すべきなのでしょうか?

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3 コメント

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わが子もヒトミなので・・・。 (タオのプー)
2005-01-12 23:48:22
『生きる』というと、自分だけの「生」を考えがちでしたが、ある時から、自分がこの世に産まれるために、遥か太古からつながれてきた、数え切れないほどの(ご先祖さまの)命や、自分が(子どもたちに)つないだ命、そして僕が今この瞬間も生きていられる(生かされている)ためにかかわっている全ての「生」に気付かされたとき、自分が授かった命の意味を少し理解したように思いました。

ヒトミさんのように生を生き抜いているとは、とても言い難い日々を送っていますが、少なくとも「今を生きている」ことへの感謝の念は忘れないようにしたいと思います。

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宿命 (あやめ)
2005-01-13 00:29:02
 病に犯された我が身を嘆く人は多いと思います。私もその一人で、どうして私がとやり場のない嘆きに苦しむ日々。でも、そんな時はいつも、お見舞いに来てくれたくれはやしさまが呟いた「宿命」という言葉の意味を考えます。宿命を受け入れて、それに真っすぐ向かい合う、そんな自分であればと思うと、病のからだも、嘆く自分も愛おしくなれます。入院中に出会った仲間も、病名は違ってもみんな慢性で、再発や再燃の不安に怯えながらも、自分なりに精一杯生きています。彼らとの出会い、これからも続くつながりも、宿命なのでしょう。ひとみさんに合掌。
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瞳さんの記事が読みたい ()
2005-01-14 13:53:31
 西日本の春秋に載りましたので転載します。

 

 ≪〈みなさん、みなさんは本当の幸せって何だと思いますか〉。あなたなら、どう答えるだろう▼地位、お金…、いろんな答えが返ってきそう。違う違うそうじゃない。首を振る猿渡瞳さんの姿を想像する。問いかけた瞳さんは作文をこう続けている。〈「今、生きている」ということなんです〉▼小学六年のときに「余命半年」と言われた。骨肉腫だった。もっと生きたかった。生きようと頑張った。それを作文に書いて間もなく、中学二年(福岡県大牟田市の田隈中)の昨秋亡くなった。作文は暮れの全国コンテストで優秀賞に選ばれた▼全文が先日の本紙地域版で紹介された。一緒に闘病生活を送った人が次々に亡くなったという。幼い子もいた。生の輝きを共にした「仲間」をしのびながら、思った。〈家族や友達とあたり前のように毎日を過ごせるということが、どれほど幸せなことか〉▼戦争や殺人事件などを聞くたびに怒りがわくようになった。あなたはどうですか? 悲しいニュースと真剣に向き合える人は、一体どれくらいいるでしょう? 十三歳の瞳さんはそうも問いかける▼〈生きたくても生きられなかった〉人や〈生きようと病気と闘っている〉人のことをもっと知ってほしい。伝えるために〈精いっぱい生きていきます〉。懸命に生きた瞳さんのことを一人でも多くの人に知ってほしくて、級友たちは作文をコピーして親類や友だちに配ったりした。≫



 有明新報の記事読みたいですね。<一人でも多くの人に知ってほしい>そう思います。西日本の昨日の地域版にものっているそうですが、久留米は載っていません。これも紹介していただけると嬉しいのですが・・・。
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