イコールの橋 くれはやし・しゅん

生きていくことの大切さを多くの若者に伝えたい!
そして、一緒に平等の橋を渡りたい・・・。

なかなか残念!

2005年10月31日 | 身辺雑記篇

今度の土日、11月の5日から6日にかけて、私は、今夏、カンボジアのワールドスタディーツアーに行った、大阪近郊の人たちと、大阪ユニセフ支部にて、交流会を持つことになっている。
ところが、このときに、ちょうど、北九州女性センター、ムーブにおいて、第16回のアジア女性会議が開催されるのである。樋口恵子さんや有馬稲子さんが来るそうであるが、眼目は、シンポで、ノーベル平和賞候補にもなった、カンボジアの元女性大臣ムー・ソクアさんが、パネリストになって発言するのである。
縁もゆかりもある、カンボジアのNGO(主に、女性の地位向上ならびにDV防止の政策提言などを実行している)の代表者である。
とほほ。会いたかったなあということである。ま、しょうがないか。だれかいく人があったら、ぜひ、その日の雰囲気を教えてつかあさい。このシンポに関する URLは以下の通り。


http://www.kfaw.or.jp/kcaw/2005/outline.html
                            


はや、1年近くか・・・。

2005年10月31日 | 身辺雑記篇
ブログを書き始めて、1年近くたつ。
毎日書くというのは、ほぼ、達成。石をも穿つこのくそ精神力。ま、いいか。
最近気になるのは、いきなり、記事の中味と関係ない、エロページを送ってくれる御仁がいらっしゃることである。TBは役に立つ、ブログならではの機能であるが、アクセス拒否をすると、他の方の迷惑になるし、ほとほと、困ったものです。エロTBを削除する時間が、マータイさんではないが、モッタイナイ。

秋の川原からのぞく

2005年10月29日 | 身辺雑記篇
朝まだき、川が濁る。なぜなら、生活排水。風呂場の水と、台所排水がいちどきに流れて、まるで、あさもやがかかったように、川面が濁る、ガスがかかる。そこに、フナの子どもたちが、集まってくる。台所排水は、洗剤も流れてくるが、富栄養化された排水でもあるからである。

きれいな川にしたいと思い、近所に友人たちの家を建ててもらって、すべて、石井式浄化槽をつけてもらった。
いま、団地内60戸ほどあるが、私の友人の家しか、浄化槽がついていない。
石井式が3軒。ハマネツ式が1軒。
(石井式は、私の家が、大牟田で初めて浄化槽助成金がついたところである。)
ヤクルトのカラビンで浄化をおこなっているが、きわめて浄化能力が高い。ただし、pHが、多少酸性気味なので、間歇的に、エアーを送り込んでいる状態である。ただし、業者保護のために、行政が法外の値段で、浄化槽の点検清掃代金を業者が取ることを許可しているために、めっぽう、その点検代金が高い、毎月7000円強をとられている。くやしいが、いまのところ、多勢に無勢である。退職したら、時間もあるだろうから、お上と戦ってみようか? 鴎外の最後の一句のように、胸をえぐる言葉を、私は吐き出すことができるであろうか?

いきいきふれ愛祭り

2005年10月29日 | 身辺雑記篇
大牟田の中心市街地活性化のために、私たちのNPO集団と、行政がタイアップして、町中でイベントを、今日から明日の日曜日まで、方々の市街地で、開催している。わが24歳になる息子も、がんばって、焼きそばを焼いているはず。
私も、協力をしたいし、わがNPO(福祉で町がよみがえる会)も、でばっているはずであるが、なにさま、秋の教育研究集会が原鶴温泉郷で開催されるので、そちらの方に、出席するために、心を残して、大牟田を後にしなければならない。残念である。
健康フェスティバルや無国籍カフェがあっていたり、タウンモビリティーがあっていたりと、もりだくさんの行事があっている。天気も幸いにして、よか天気、いかったいかった。盛会になるように祈る。

人権劇団ひまわりの舞台稽古

2005年10月29日 | 身辺雑記篇
本日、10月29日(土)の午後1時30分から、「ひまわり劇団」の本番。大牟田の文化会館で、開催される。
私はあいにく、原鶴温泉郷にて、秋の教育研究集会に参加するために、見ることができぬ。
演題は、「子どもの異変」・・・気づいていますか? というものである。
人権劇団「ひまわり」が立ち上がって、はやすでに、6年の歳月が流れた。立ち上げに尽力された木村ケイ女史が、鬼籍に入られて、結句、最高顧問が私になってしまった。私は、何のお手伝いもできないので、劇団の稽古日に、バナナの差し入れを持って行くくらいが、関の山である。
昨日、大牟田文化会館で、練習があったので、すこし見学をさせてもらった。
決して、うまいとはいわれぬ、ど素人劇団であるが、へたくその中に、一生懸命さがつたわる、演技である。
テーマは児童虐待であるから、聴衆に伝える難しさもある。
いいたがり、しゃべりたがりの、この私、大久保彦左衛門も、そーっと、舞台をあとにしたのであった。
市民のみなさんの、一生懸命さを、すがしく思う秋の夜長である。

ざくろに寄す(3)

2005年10月28日 | 身辺雑記篇
これは、聴いた話である。

知人は、植木市に、奥様と行かれた。河川敷には、たくさんの果樹園から植木が運ばれていた。

「ざくろの苗木を、かあさん買ってかえろうかねえ。」
「なにを、おっしゃっているんでしょう。あなた、このざくろが、大きくなる前に、あなたが、お先に行かれる場合もありますでしょう!」
「・・・・・???!!!!」

知人は、ざくろの苗木を買うのを断念したのであった。