イコールの橋 くれはやし・しゅん

生きていくことの大切さを多くの若者に伝えたい!
そして、一緒に平等の橋を渡りたい・・・。

障害者自立支援法その2

2006年10月31日 | 身辺雑記篇
トヨタの奥田さんが日経連にいたとき、厚生労働省は、介護保険と障害者施策をドッキングさせて、介護保険を20歳からにすることを予定していた。が、トヨタは反対した。なぜなら、介護保険の保険料というのは、労使の折半だからである。介護保険に保険金を企業家が拠出すると、純益が低下するからである。

このようにして、補填できない障害者自立支援法の不備な不足資金は、利用者から1割を取ること、あるいは、障害者施設の利用者の日割り計算などの事細かな徴収方法が、開発されたのである。また、このままでは、グループホームは、精神と知的な部門だけになって、身体障害の場合のGHは、作ることができなくなった。

この自立支援法を机の上だけで考えている、厚生労働省の若手官僚は、現実をしらなすぎるのである。

日比谷野音に1万5千人を集めて、本日集会が開かれた。3年後の見直しまで、もう待てないという声が、あちこちでする。

たれが、責任を・・・

2006年10月31日 | 教育批評試行
茨城県の県立高校の校長先生が自殺された、悲しい現実である。

遺書には、「生徒には瑕疵はありません。」という文言が書き残してあった。

立派な自裁であった。こういうと、おこられるが、でも、しかし、この未履修問題は、だれも、責任をとらない。責任を取らない社会は、いつか滅亡する。

やはり、教育者の方に責任があることを、校長先生は、悲しいことに、自らの死でもって、あがなったのであった。

この校長は、4月に赴任したばかりで、彼の責任ではなかったのであるが・・・。

このことを、だれが? だれが? 本当に責任をとるのであろう?

「安心して、生徒に動揺が起きないように、受験をさせてやりたい。だから、間引きして、履修をさせて、単位を取ったようにさせてあげたい。」

なぜ、動揺したまま、受験をさせてはならないのだろう? 人生とは、動揺や迷いの中で、先に進まなければならない場合もある。

かばうばかりが、教育ではない。大人は信用できないと考えるのか、だから、俺たちが、いい世の中を作っていくぞと、考えるかの選択肢もあるのである。




光と陰

2006年10月30日 | 身辺雑記篇
大牟田高校が、本日八重山高校に勝って、どうやら甲子園に行くことが、当確らしい。
単純に、大牟田高校が行くのがうれしい。

これで、三池と三池工業についで、大牟田では三校目である。

これは光。陰を・・。

大牟田は、私立高校。であるから、スポーツ特待制度がある。もちろん、授業料モロモロ免除である。このお金は、一般生徒が立て替えているという状態。

私の知り合いの子どもは、3ケ月、授業料を滞納して、出校停止になった。
金曜日にはお金がはいりますから、息子を出校停止にしないでくださいと、学校に頼み込んだが、無駄であった。

月曜日から木曜日まで、学校へ出ることができなかった。
私の知り合いは、母子家庭で、まあ、借金もあり、昼と夜で働いている。それで、4日間待ってくれと、懇願したが、むげに断られた。

校長も、ゼロトレランスとかいって甘え、は許されない、不寛容だとか平気で、おっしゃる。

私は少し、悲しい。本人の責任ではないところで、出校停止などなることは。
甲子園に行くらしい学校。闇と光と影が、どこでもつきまとう。






傷ついたことば一覧というもの

2006年10月29日 | 身辺雑記篇
ヤフーのインデックスに、心が痛くなる「傷ついたことば」というものがあった。

「でぶ」とか「ぶた」とか「姉さんは、よくできていたのに・・・」とかの言葉が、ランク付けされていた。

これらはたしかにそうではあるだろうが、本当の言葉が封印されて、アンケートに答えているのではないだろうかと、猜疑心がむくむくとわき起こる。

それは、「あんたなんか、産まなければよかった!」という言葉である。

存在の否定、これが人間にとって、いちばんつらいものである。

交通渋滞

2006年10月29日 | 身辺雑記篇
佐賀の友人が、とにかく交通渋滞であるから難渋しているという話であった。

夕方のニュースでわかったことだが、天皇夫妻が、この佐賀まできていたとのこと。

ニュースを見ていると、有明海にむつごろうの稚魚を、放流される場面が出ていた。

ひとことお言葉がなかったのであろうか?

やはり「諫早が・・・?!」とか・・・・。

もし、天皇のお言葉が「諫早の・・・」とかあったならば、歴史は変わっていたかも知れない。

言葉には魂がある。

よりあい

2006年10月28日 | 身辺雑記篇
昨日の晩、谷川俊太郎さんが、福岡市で、講演・朗読。行きたかったが、職場の飲み方。残念。

谷川さんは、おかあさんが認知症であったために、特に、ボケ老人の介護についてはくわしい。

福岡の中央区にある宅老所「よりあい」とは昔から因縁が深く、今日は、西日本短大が、この「よりあい」を実習施設に指定している関係で、西短で、谷川さんの講演「谷川俊太郎と老いを語る」というものがある。

またこれもいけない。教育研究集会がある。(本日土曜日、13:30~、福浜キャンパスで、谷川さんの講演はある。)

谷川さんの詩。

「よりあい よりあい」

よるがちかづくとたましいは りくつをわすれる
あいのしょっぱさも     いきることのすっぱさも
よけいにあじわって     りきむことなく
あえかなまどろみに     いいゆめみて
よれよれのからだも     りすのよう
きにかけのぼり       あまいこのみを
いっぱいとってくる     よろこびにはなんの
りゆうもなく        あすはちかくてとおい
いきるだけさ        しぬまでは  
 

日本の米国化とドイツの欧州化

2006年10月28日 | 身辺雑記篇
日本は、敗戦をまだ認めておらず、終戦記念日という。だれが、あの戦争を惹起したのかは、曖昧模糊になったまま、戦後、日本は島国根性のために、米国との友好関係を結び、二国間の安全保障さえ整備されればいいと考えるようになった。これほどまでに、征服された相手国を尊崇する国民もめずらしい。あいかわらず、アメリカ大好き人間は多い。ゆえに、日本は中国に負けたなどとは、本当は一度も思っていないのではないか? だから、中国・韓国には横柄な、慇懃無礼な態度で臨むことが多い。
ひるがえって、欧州の中のドイツの役割や位置づけを考えるならば、ドイツを負の遺産として学ぶことによって、欧州は戦後、成熟したといってよかろう。それは二国間にとどまらず、多国間の平和と安全保障のパラダイムを、すべからく構築することに全精力を費やさねばならなかった。ゆえに、ベルリンの壁崩壊も、このパラダイムの成就のための一つの方途であった。ドイツの欧州化というのは、戦後政治の大きな枠組みの中での、喫緊の課題であった。ドイツは敗戦を克明に胸に刻んで、欧州大陸で再出発をしなければ生き残れなかったのである。欧州という特殊な地理的な条件も大きく作用しているように、私には思われてしょうがない。

真に日本が、戦後政治の総決算をするということであれば、安全保障の観点から、冷静に多国間の関係性を整理して、他国から「信頼」をかちえるような歴史的転換点を、創出しなければならない。
先日、タイのタリサ中央銀行総裁は、日本語でインタビューに答え、親日家であるタリサ女史は、日本では、「遠慮する」「つつましく隠す」という美徳があるとおっしゃっていた。そして、美しい日本語をを習得することで、日本のすばらしい文化を学ぶことができたと、語っておられた。

きたない、言葉が氾濫している。美しい日本は、美しい日本語をを話す国民がいてこそであろう。すべての国民が近隣諸国のことばを、学び、他国の歴史を尊敬するところからしか、平和と友好の概念は生まれてこない。

携帯について

2006年10月28日 | 身辺雑記篇
過当競争が激しくなった。私は、最初は、ドコモのphs、そして、今はドコモの901iSである。
まあ、当分の間、変えるつもりはない。

めんどくさいのが一番で・・・。

私のメール、いま開けたら、ドコモショップからのメール。ドコモの社長が、カラ威張りで、ソフトバンクに追随するつもりは、毛頭ないとかいっていたが、圧力はすさまじく、私ごときのメールに、

「他社ケータイ料金のからくり」なんて件名でメールが来る。

「月々の平均携帯料金は、ドコモがAuよりも安いんです!ソフトバンクの通話料0円は条件あり。」なんてのが送信されてくる。必死である。このままでは、ソフトバンクが、ブロードバンドを席巻したように、伸びるのは必定である。

おもしろくなってきました、まるでアメリカ大統領選のような感あり。悪口のいいあいこも、あっていいのではないのかなあ!!!

教育とはと、問われて

2006年10月28日 | 身辺雑記篇
教室とは、どういうものかと、いわれれば、本当は、子どもたちが、「痛みを本気で叫べるような雰囲気のある場所」でなければならない。

生まれて、教師という人はたれもいない!

みな、ボーボワールではないが、他人様から、「先生」にしてもらうのである。

特に、教育は、ともに育ち合う教育でなければならいわけで、主に、生徒さんからあるいは、同僚の先生方から、「教師」にしてもらうのである。

ただ、恥ずかしいので、自尊心が許さないので、教師は、「生徒さんから学ぶことが多い。教えてもらうことが多い。」と、当たり前のことを、当たり前に言うことができないだけである。

生まれ落ちて、教師である人はいない。
教師にさせてもらうのである。ありがたいことである。




必履修してないことへの再再論

2006年10月27日 | 教育批評試行
阿部謹也さんが、先般お亡くなりになった。良き方を失った。さびしい。「世間」とは何か? ということを、初めてお書きになった。

脱亜入欧の明治維新は、結局、西欧の個人主義を輸入しようとして形骸化してしまい、「社会」という言葉を借りてはきたが、あいかわらず、「非言語系的な知」の領域がこの「社会」には充満していて、結局は未成熟な「社会」=世間しか存在していない、というのが、現今の社会のありようであり、そう考えると、さまざまにこの「世間」で生起する問題は、ナゾが解ける。(ナゾーとかいっても、分からない人が多いので、だじゃれはいたしませぬ。ぷふううふぃー)

孫引きで申し訳ないが、阿部さんの著書の中にこういう一節がある。長くて申し訳ないが、昨今の単位未履修のことを、うまく言い得ていると思うので写します。


「坊ちゃんはイギリスでヨーロッパにおける個人の位置を見てしまった漱石が、我が国における個人の問題を学校という世間の中で描き出そうとした作品である。赤シャツはあるとき坊ちゃんに言う。『あなたは失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、教師は初めての、経験である。ところが学校というものはなかなか情実のあるもので、そう書生流に淡泊にはいかないですからね。』坊ちゃんはそれに対して、『こんにち、ただ今に至るまでこれでいいと固く信じている。考えてみると世間の大部分の人は悪くなることを奨励しているように思う。悪くならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊ちゃんだの小僧だのと難癖を付けて軽蔑する。それじゃあ小学校や中学校でうそをつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校でうそをつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。」

この風刺は、痛烈で、坊ちゃんが書かれた時代から、約100年以上も経っているのに、あんましその構造が、学校そのものが変わっていないのが、かえって恐ろしい気がしてしょうがない。

赤シャツは、まったく学校文化に浸りきっている、「非言語系の知」の持ち主なのに、表面上は「言語系の知」を持っているように、学校の中で振る舞っている。学校という世間の中で、純粋培養されて、「学校というものは、結句、『情実』がハバを利かしている社会である。」と、ぬけぬけと講釈を坊っちゃんに垂れるのである。

今回のすっぱ抜かれた、「必履修科目をやっていないのに、虚偽報告で、修得単位のカリキュラム表を勝手に、学校独自で改ざんした問題」は、受験する生徒のためによかれとやったものだから、許される、すべては受験をがんばっている生徒さんのためにやったことである・・・・という論理にすり替えられようとしている。

坊ちゃんは、学校という独自の文化を持つ「世間」を対象化してみようとする、落語好きの漱石の諧謔趣味と反骨感から、成立した作品である。

もちろん「情実」がすべて悪いわけではない。しかしながら、受験にいらない科目は履修しないでよろしい、という発想は、「排除」の論理に成り立っているという考えを持たない限りにおいては、功利主義に教育の本質が敗北をしたことを意味する。

人生は汚濁にまみれるし、テストのように正解はめったにはないし、悪が滅びず居座っているもいるのだという現実を排除することになる。現実を見据えてからこそロマンは生まれる。

本来は、無駄であるとか、回り道であるとかいうことの中に、あるいは「失敗」のなかにこそ、人生の本質は、あるものである。

だから、私はカーナビは好かんとよ。まちがいなく、着実に、迷わず、目的地までしっかりと誘導すること、あるいはされること。

人生は一生懸命がんばってもうまくいかない場合だってある。ぎゃくに、そんなにがんばらずとも、あれよあれよとゴールまでたどり着くときだってある。
予定調和の人生に、いったい、何の意味がありますか?
人生は、すべからく、徒労の意味をよくよく考えねばならない。



必履修再論

2006年10月27日 | 教育批評試行
この件でまっとうな理屈を述べていたのは、佐藤学さんであった。

曰く、「受験教育よりも、教養教育を大事にするような作風の学校になってほしい。」と。

これはまっとうな意見であるが、愚かな親が多いのが現実である。

やっぱ、よか大学、有名大学に入ってほしい、そのような庶民の願いは渦巻いている。

高学歴集団への参入をこいねがうことは、わからぬでもない。しかし、自らの敵討ちを、子どもに転化するのはよくない。

「教養教育」は大事である。いまにみてごらんなさい。フランス革命と明治維新はどちらが、あとさきか、わからぬ若い人が、この世の中には、ゴマンとでてくる。

1960年代に、「学校は階級差別を温存して、助長させるようなシステムとして機能している。」といったのは、たしか英国の教育学者たちであった。

いまだ、この概念を崩壊させるような、教育的営為が、どこぞにあるであろうか?

若い人と話をしていたら、たまたま、サマーヒルの話になった。若い人は、夏の丘学校のことさえも、知らなんだ。

少し、情けない世の中になったものである。