宮崎県都城市クラス不動産

宮崎県都城市不動産の涙と感動とちょっとした笑いのお話をお送りします。

東臼杵郡美郷町の『若山牧水生家』、『牧水公園』、『百済の館』、『神門神社』に行って来ました。

2012-03-11 | 日記
さて、3月7日にちょっとドライブに行きました。今回の目標は『百済の館』です。

この日は雨で憂鬱気分で外に出る気分では無かったのですが、なんとなく気晴らしに何処かに出かけようと思って日向市方面に行ってました。

すると、出てきた『百済の館』の文字。

そういえば行ったことが無いなと思ってちょっと寄っていきました。

その通り道で、『若山牧水生家』を見つけました。







若山牧水生家の情報はコチラ

ここはかの有名な若山牧水氏が生まれたところです。なんとなくですが、この地域って山が折り重なっている感じとか、とても風情のある地域というイメージでした。

こういうところで若山牧水氏の感性が磨かれたのかもしれませんね。

生まれた縁側です。


家の中です。今だったら建築基準法違反でしょうね。


奥様との写真。この生家で撮られたようです。


結構日本中行ってらっしゃいました。


その足跡も各地で見受けられます。


そして、お父様が倒れたとき、親御さんからは実家に戻るように言われたようです。その際の短歌も残されています。


そして家系図もありました。見てビックリなのが、職業が『医者』。当時はとってもお金持ちだったのでしょうね。しかもお子さんのお名前が凄いです。『旅人』『岬子』『富士人』。旅が好きだったんでしょうね。


あと馬小屋も残されてました。
※上手く撮れて無かったので、ホームページのを拝借します。






トイレ・お風呂跡もありましたが、中には入れず。


道路沿いなので、すぐに発見できます。


こういう歴史を感じるものは良いものですね。

さて、その目の前には牧水公園があります。

牧水公園の情報はコチラ





ココは春にはツツジが満開になってとっても綺麗だそうです。詳しくはホームページをご覧くださいませ。

その後、目的地の百済の館へ。



百済の館の情報はコチラ

しかし!ここは夕方16時半頃着いたのですが、もうそろそろ閉館というときだったので、中には入れず…。




ちょっと門のところから『西の正倉院』といわれるかの有名な正倉院を完全復元した建物をパチリと撮るだけになりました。


西の正倉院の情報はコチラ

<ホームページから引用>
『昭和61年に、「奈良国立博物館に神門神社と記された銅鏡とが展示されている」という情報が入る、そこで神門神社の銅鏡の調査が始まった。そして宝物の中に、正倉院にあるものと同じ伝世品の鏡「唐花六花鏡」があることがわかった。しかも、正倉院のものが出土品であるのに対して、神門神社の鏡は大切に保管されたものだった。

「西の正倉院」は奈良・飛鳥とならぶ文化財(正倉院南倉に伝えられる奈良東大寺大仏殿の台座から出土した銅鏡と同一品の唐花六花鏡)がここ宮崎県美郷町南郷区に存在することから計画、計画から10ヶ年の歳月をかけて平成8年に完成したものです。

内部を非公開とされてきた奈良正倉院を完全復元。
百済王族の遺品といわれる24面の銅鏡、奈良正倉院と同一の国宝級の銅鏡等を展示、また百済王伝説を裏付ける師走祭りの紹介、展示もあります。

西の正倉院の建設にあたってはこれまで門外不出とされていた宮内庁所管の正倉院図を元に、釘や金具、瓦や柱などの部材や瓦の葺き方、部材には国有林の木曾檜を使用する等、全て原図を元に寸分の違いもなく忠実に再現されています。』

この地域では八世紀頃に現在の韓国のところにあった百済の王が亡命してきた縁で、現在日韓交流もなされています。

さて、その隣には神門神社があります。

美郷町神門神社の情報はコチラ

ここは百済王を祭っている神社です。









ここと、木城町の比木神社は親子関係にあるそうで、12月には師走まつりが行われます。

師走まつりは 西暦660年、朝鮮半島の百済が、唐と新羅(しらぎ)の連合軍に攻め滅ぼされ、663年百済再興の戦いにも破れ、多くの王族、部族は日本の畿内へと亡命した。その後、7世紀から8世紀中に日本に頻発した政治事件によってこの地、現在の美郷町と木城町に百済の王族が亡命したという伝説を基に構成された祭りです

結構宮崎県って歴史と伝説があるんですね。

その後は少し小腹がすいたので、『道の駅とうごう』に寄って買い物しました。


とまあ、なんとなくで行って見たのですが、結構充実したお休みでした。次はどこに行きましょう。

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