蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

雪の飯山から小諸へ Part1

2006年02月27日 | 安曇野を離れて
22~23日小旅行へ
飯山は静かないい町です。
しかし阿弥陀堂も正受庵も雪と改装のためタクシーでも行けませんでした。
「また来なさい」と宿題を課せられたよう。
写真左:踏み切りから見たホーム
写真右:正面入口の投句箱
     近頃、駅にはよくみかける。俳句をたしなむ人が多いのだろう


駅から徒歩2分の角に、素朴な笹ずし店の「大将陣」がある。
以前は何軒かあったようだが、この近辺ではここだけ。
雁木通りを町歩きをしながら、うなぎの「本多」
たいそう旨い県外からのお客人も多いそうです
本日は白焼き丼を頂きました。お重では分量が多すぎる



たれはさっぱりしょうゆ味。薬味はやっこねぎ、白ゴマ、おろししょうがとわさび。
うなぎは2切れあるので、わさびとしょうがに分けて2通りの味を愉しむ
いやぁ、ごちそうさまでした

ぶらぶら歩くと、本多さん御用達の田中屋酒造の前に着く。銘柄は「水尾」がメイン



無理を言ってラベルを頂きました。お酒のラベルのデザイン、文字、色使いが好きです。
今ではラベルをくれるところも少ない。

時間が余ったがJRの本数がすくないので長野まで戻り、八幡屋礒五郎で七味を買うことにする。
気のせいだと思うが、ここで買うのがいい香りがする。
長野駅前から100円バスで善光寺門前へ。時刻表はないが循環している。
写真左:バスストプ。川中島バスの女性ドライバーの接客がなかなかの高感度だった
写真右:善光寺郵便局の古いデザインと赤い車がベストマッチ

飯山が不完全燃焼だったので小諸へ出ることにした。小諸も静かな町です。
写真左:しなの鉄道の駅舎からしてモダン
写真右:懐古園側とロータリー側の連絡通路は、ガラス面を広くし風景がよく見えるように
なっている。観光スポット写真がひっそりと数点展示してあるだけで、よくあるこれでもかの
観光ポスターがないのはさらに好感度

小諸といえば懐古園が有名ですが、今回は小諸義塾記念館をたずねた。小さな建物で、
移転を繰り返してここに安住。
もともと私塾だが現在は小諸市が管理運営しているせいか受付嬢は愛想がない。
写真左:小諸義塾記念館正面
写真右:その右にある「惜別の歌」の石碑。藤村の詩に曲をつけ昭和19年から盛んに唄われた。
     (再び二木紘三さんのWebサイト歌声喫茶を拝借しました)
     スイッチひとつで石碑から歌を聴くことができます。心静かに聞きましょう


安曇野にも相馬愛蔵(穂高出身、新宿中村屋の創業者)が創立、井口喜源冶が塾頭を務める「研成義塾」があった。
国道R147YAMADA電機から少し西へはいった処

当時の建物はなくひっそりと碑が建っているのみだが、穂高駅前の「井口喜源冶記念館」で当時を偲ぶことができます。
小諸義塾にもどろう。創立者の木村熊二は剛毅な人物だったようだ。明治女学院の創立者でもあり、島崎藤村は、明治女学院で教師をしていた時代があり小諸義塾でも英語と国語の教師であった。明治女学院は相馬愛蔵氏の奥方の出身校でもあります。
明治時代の、貧しいが教育に情熱を燃やした共通の思想をみることができます。
そして藤村は「千曲川スケッチ」を著す。ここにきてやっとかねてより訪ねてみたかった旅館中棚荘が登場します。勿論当時はりんご風呂などないのですが・・・

では「中棚荘」「への道を下ります。駅から徒歩15分


ちょうど昼時なので、温泉の準備中を利用して別館「はりこし亭」へ
重厚な建物は130年前の移築建築です

さてりんご風呂(季節限定)

写真左:石を配した丘を上がる温泉への階段は60段、若者向けだわい。男性風呂までは50段
写真右:浴室と奥に露天風呂

パンフレットの写真では浴槽が大きく見えるが、奥のりんごが浮いている浴槽は
2.5×1.5メートルとやや小ぶり。オンシーズンはおそらく倍サイズでしょう
その日は大小45個のりんごが泳いでいて、一番風呂でもありいい香りがしました。
りんごは毎日入れ替えです
かりんと好きはご当地「依田」の手作りかりんとうを2袋買って駅に向かった。

駅へ向かう道沿いに「シェイクスピア美術館」の看板を発見。
「ウン?」一瞬この地には似合わない気がするが・・・(Part2へ続く)
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