出羽景観都邑会

街と田園が調和する形を、出羽の国から、探して、磨いて、創って、伝えていきたい。【でわとゆう会】080101出発

山形の宝物(山市蔵8)

2009-01-30 20:20:57 | Weblog
 土蔵がすっかり取り壊された跡に、土扉の蝶番が残りました。扉側はメスで、埋め込み部が屈曲して長く、木材に埋め込まれた上に、縄などの繊維質でしっかり巻かれた上に漆喰で固められています(上の写真)。
 壁側はオスで太い栗材に寸部の隙間なく埋め込まれカギ状の金具で締められていて(2番目の写真)、ここから解体するまでにも相当に難儀な作業をしなければなりませんでした。

 そして、姿を見せてくれたのは一番奥のレンガ造りの蔵(3番目の写真)。小さい倉庫ながらも大火跡の影響か、丈夫なだけでなく鉢巻の細工も見事に仕上げられています。

山形の宝物(山市蔵7)

2009-01-29 18:23:40 | Weblog
 取り壊されている蔵は、芯の部分は風化を感じさせない質感を持っていました(上の写真)。維持されない姿はこの蔵の運命なのか、誰も残すことに力がなかったための結果です。
 以前、私と交流のある「蔵プロ」の学生たちが訪ねた時に、蔵主の婦人は「それでは何をしていただけるのか」と言われたそうです。言わざるを得なかったのだと思います。
 この度、ささやかな行動として汗をかいた結果は、並べてみると下の写真のとおりです(途中経過)。

山形の宝物(山市蔵6)

2009-01-26 22:53:34 | Weblog
 蔵は土と木と縄、麻紐、金具そして漆喰で出来ています。解体するときは呆気なく壊れてしまいます。蔵主さんは、土埃が近所迷惑にならぬうよう暖かくなる前のこの時期に作業をお願いしたようです。
 現在は、処分するために分別が厳しくなって手間がかかるようですが、作業が始まって3日でこんなになくなってしまいました(上の写真)。半身の姿です。
 その解体作業の中から、蝶番の金具が出てきました(下の写真)。これは、窓の扉に使われていた小さ目のメスの部材ですが、びくともしないほど、木材、麻紐、縄で強固に組まれていて、これから解すにも大変苦労しました。驚嘆の職人技です。

 

山形の宝物(山市蔵5)

2009-01-24 17:36:31 | Weblog
 山市蔵は、防火のために屋根の軒下に鉢巻きが施されていますが、普段、見ることの出来ないその構造を見ることが出来ました(上の写真)。
 梁が軒先まで延び、それに木材と縄などで骨組みを造り、漆喰を塗っています。手のかかる細工です。
 小屋組みはトラス構造です(下の写真)。

 新関隊長と私は、山市蔵の「おくりびと」になりました。

 蔵主の方と、ぎりぎりのタイミングでお話しすることができ、金具類だけでも引き取らせていただくことを了解していただきました。すぐ施工業者に連絡したところ、作業協力していただけることになりました。
 蔵の記憶を継承できる可能性が出てくると考えました。 

山形の宝物(山市蔵4)

2009-01-22 22:20:52 | Weblog
 山市蔵の一階東側には、窓が設けられていますが、その姿からは、100年近くの年月では風化するわけにいかないという意思を感じます(上の写真)。
 地震などでひび割れしたような形跡も見当たりません。こんなにしっかりした造りのものが残せないのは悲しい。
 いつからかは分らないが、その窓の外には下屋が設けられて、廊下として利用されていたようです(下の写真)。さらに北に向かうと多く見られる鞘造りも山形では少ない。山形では一階に下屋が設けられるのも珍しいのではないか。そのお陰もあって漆喰が痛んでいないのかもしれない。
 しかし、その下屋の梁も切断されてしまった。

山形の宝物(山市蔵3)

2009-01-21 21:52:42 | Weblog
 山市蔵には、南北の切妻に4段蛇腹の土扉が備わっている(上の写真)。土蔵は火災から大事なものを守るために造られている。この扉がその願いを表している。
 土扉は、一枚1トン近くの重量があり、100人工前後の作業と聞きます。その重みを支えるための蝶番(ちょうつがい)が職人の手で念入りに作られています。また、蛇腹の段は寸分違わず噛み合わされることで火を防ぎます。その結果100年単位の寿命が確保されるのです。
 戸口の踏み段(下の写真)は、煙返しと言われ、ここにも実用と意匠の両立が実現しています。

山形の宝物(山市蔵2)

2009-01-20 22:21:31 | Weblog
 山市蔵のある旅篭町は、旧羽州街道沿いに街並みを連ねている。名の通り山形の旅籠が立ち並んでいたのであろうが、「今は旅籠がない」と懇意にしていただいている新関さんが嘆く。
 その中に残っていた座敷蔵が無くなって行く。大火の後のためか、銘木を集め揃えることは叶わなかったのだろうが、扉や窓の造りの多彩さ、壁の仕上げなどは水準の高さを見て取れます。二階は、南北に一つずつ、東側に2つの窓が明かりを提供してくれており、穏やかな空間になっていました(上の写真)。
 蔵主の婦人は、生活の場として使い続けることが困難になり、これからの生活のために残せるものを選りすぐって、未練を含めて断ち切って、財蔵の中を整理されたのだと思います。1階には仏間があったようですが、大事なものは運び出され、寂しい空間に関わらず(下の写真)、100年近くたっていると思えない新鮮な壁の中が見え、土蔵の生身を感じぜざるを得ません。

山形の宝物(山市蔵1)

2009-01-19 06:46:59 | Weblog
 山形市旅篭町の蔵が、また一つ取り壊されています(上の写真)。
 お住まいだったご婦人におかれては、蔵を維持することが困難となり、住みやすい建物に建替えされます。明治44年の市北大火の後、大正初期の築造らしく鉢巻き付きの堂々とした造りでした。
 街の宝物は、個人が持ち主であったとしても、時間と共に公の価値が大きくなり、その魅力で多くの市民を仕合せにすることができるものだと思います。その仕合せにする力に応えるために私たち市民が出来ることがあるとも思っています。
 この蔵も、南側にあった建物がなくなったためによく見えることになりましたが、これほど立派なものとは分りませんでした。つい先日、1月2日の当ブログをご覧ください。雪模様の中に現れた取り壊される前の姿です。
 この土蔵の裏には、珍しいレンガ造りの蔵がひっそりとありましたが(下の写真)、これも近くなくなる運命です。

 この話を伺ってから、「あっ」という間に作業が進行しました。その短い時間で出来たこと、出来なかったこと、そしてこれから出来ることを、これから数日間、お伝えします。

山形の宝物(梅月館3)

2009-01-17 22:33:41 | Weblog
 梅月館(旧梅月堂)の2階(上の写真)は、山形を代表するレストランでした。旭銀座で映画を観て、梅月堂で食事することは、この地方に住んでいる者の「憧れ」でした。大きなガラス窓からは、山形随一の繁華街の交差点を額縁の中の絵のように望め、花笠踊りの見物の最高の場所だったようです。
 また、山形市内の洋食屋の先駆者でもあり、市内の洋食屋の料理人はこの店から影響を受けた人が多かったそうです。
 今回の展示企画は、山形に住まわれている建築家の方が、山口文象が設立した設計会社から「梅月堂」の設計図(下の写真)を掘り出してきたことから始まっているようである。この方の思いと建物の環境、そして私ら山形に住むものの願いが一致すれば良いのです。

山形の宝物(梅月館2)

2009-01-15 22:33:28 | Weblog
 梅月館のある四辻は、明治以降、山形の中心部の芯を担ってきた場所ですが、昭和初期に国内でも先進的なモダンな建築物が建ちました。3階建てのRC建造物の屋上からは、邪魔するものが多い中でも、山形の宝物、大正5年に再建された旧県庁舎が何とか望める(上の写真)。
 この屋上が絶品です。70年前に既に屋上テラスが設置され、さらに当時の最先端のデザインだったというパーゴラが当時のまま残っているのです(下の写真は東側のシネマ通り方向を望む)。
 この建物のオーナーは、花笠の時などにここからの景色を満喫しているということです。この眺めは、羨ましくもある、良い贅沢です。市民のために開放してもらいたい。

山形の宝物(梅月館1)

2009-01-14 22:58:05 | Weblog
 山形市の七日町通りと旅篭町通りの交差点、山形市随一の四辻角に、昭和11年築のモダニズムデザインの建物が残っている。当時気鋭の建築家山口文象の代表作の一つと言われるもののです。
 当時の新しい都市計画道路の交差点隅切り部に面して大きな開口部(上の写真は3階からの交差点)を持つ、直線的な構造のRC造が当時の街並みに異彩を放った様子が新聞記事に残っている。
 外観は70年前の建造物とは思えない大きなガラス開口部が特徴の現代的なデザイン(下の写真)。屋上のパーゴラも見える。

 11日に「山形梅月堂と神楽坂紅谷を結ぶ都市文化」というシンポジウムが開催され、17日まで建物の2、3階が開放されています。

山形の宝物(旧県庁通りと初市)

2009-01-13 07:28:59 | Weblog
 以前、各地の中心都市には、目抜き通りという呼ばれる通りがありました。山形市では、旧県庁舎から七日町、本町、十日町に延びる通りがそれにあたります。
 例年、1月10日には通りから車をシャットアウトして(いわゆる歩行者天国)初市が開かれる。江戸時代初期から続いているという伝統行事で、縁起物のだるまや初あめ、だんご木などが並びます(上の写真)。
 この行事が賑わうわけは、買い物だけでなくゆっくり歩きながら街と人ごみを眺めることにもあるように思います。普段、車が走る道の真ん中を堂々と歩くことの快適さを無意識にも楽しんでいると思います。
 並ぶ露天、踊る人たち、それに見入る観客たち、ここが道路であることを忘れてしまいます(2番目の写真)。これが、街の楽しみ方です。

 近代の都市は、自動車交通とのせめぎ合いと調和に腐心してきました。いかに交通量を処理し、住民の利便性を高められるかという要求に答えようとしてきた。利便性向上だけが突出して優先されてきた。
 一時期、歩行者天国などの試みもなされたが、結局、利便性と安全性などの理由で衰退している。(昨年の秋葉原での事件後対応なども寂しい現実)
 下の写真は、10日の初市のための規制。

 山形市中心市街地の計画は、この旧県庁通りのトランジットモール(和製英語で乗り換え歩道)化ですが、地元の賛同を得るまでに整えなければならない環境整備(ハードとソフト)が待たれます。道路の機能分担を明確にする必要があります。
 都市は、その時代に求められる機能と、時代に係わらず持ち続けるべき価値を調和させなければなりません。

山形の宝物(文翔館物語)

2009-01-11 22:05:51 | Weblog
 山形の街は文翔館(旧県庁舎)を軸にして出来ている。この都市構造は明治10年前後の三島初代県令によって造られている。日本国内での近代的都市計画のさきがけと言われています。(詳細は、昨年の5月23日、24日分で説明してあります)
 しかし、何事もなく文翔館の今の姿がある訳ではなく、つい8年ほど前には2番目の写真のような状況でした。

 この頃、文翔館の背後に高層マンションの計画騒動がありましたが、前面の道路には門型標識や駐車場案内標識などが文翔館の景観を遮っていたのです。
 住民、行政、企業の大変なエネルギーによって、マンションの計画変更が実現し、これに応えるように道路標識も撤去されています(3番目の写真)。 

 当たり前のように見える景色ですが、国会議事堂の背後にさえニョキニョキとビルが建ち(4番目の写真)、不忍池弁天堂の背後に東大医学部の高層ビルが建つ情けなさを考えれば、山形の景観は大したものなのです。

天童駅の景観

2009-01-07 22:22:37 | Weblog
 天童は、「将棋と温泉の町」が売り物ですが、最近はバレーボールVリーグのレッドウィングスとJ1昇格したモンテディオ山形のホームタウンとして盛り上がっています。
 前に述べていますが、土地区画整理の優等生として近代的な都市整備を進めてきて、健康的で利便性の高い都市環境を実現している反面、歴史・文化的環境が充足されていないことが弱点と見られていましたが、スポーツ文化の拠点としての地位を確立しつつあります。
 ところで、天童駅は山形新幹線停車駅で、町の中心的位置としては申し分ない場所にありますが、その位置ポテンシャルの割りに印象度が低いように思われる。
 駅を出て駅前通りからのヴィスタも中途半端で何を大事にした計画なのか、意図が伝わらない。正面の山は鵜沢山という名のようだが、しっかりした姿なのに紹介されることはないようです(上の写真)。この山を大事にする景観を創出することは難しいことではないと思う。もったいない。
 振り返ってみて駅舎を見ると、建物が、広場が、樹木が、ただ在るだけの景色です(下の写真)。それでも機能だけはしっかりしているのだろうか、否、この写真の樹木の陰に、訪問者を寄せ付けない印象を与えるような思いのほか長い階段が立ちはだかる。やりようがあるでしょう。

山形冬景色2

2009-01-04 10:19:53 | Weblog
 野鳥を見るには、冬は好都合です。木々の葉が落ちて小さな鳥でも探しやすい状況です。夏場にはない景色も見ることができます。霞城公園の東大手門も桜の枝越しに渡り橋を見せてくれます(上の写真)。「見えること、見えないこと」の科学ですね。
 3日には、霞城公園野鳥観察会に参加させていただき貴重なものを見ることが出来ました(中の写真)。

 例年催されている観察会のようですが、野鳥の会以外の者も参加でき、午前中をかけてゆっくり二の丸を一周しました。
 そこで、待望の宝物二つに巡り会えました。つい先日、両所宮で「県の鳥」に会えたのですが、もう見ることが出来なくなっていると思われた霞城公園でもオシドリを見つけることができました(下の写真)。野鳥の会の方によるとオシドリはあちらこちら(山村部)にも居るということですが、「霞城公園に居る」そんな環境であるということが大事です。
 もう一つは、夏に飛び姿を見たはずのカワセミ(翡翠)の美しい姿を、単眼鏡を通してはっきり確認することが出来ました。(私のデジカメでは写真撮影は無理でした)他にも、ジョウビタキやウソ、シメなど23種類の野鳥を確認できました。ありがとうございました。