中さん

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日記(12.19)金柑・黒豆 早坂暁氏 

2017-12-19 16:16:33 | 日常
12月19日   (火曜日)  晴れても風が冷たい

庭木の金柑を摘む。

昨年、煮方のレシピ―をいただいて、上手に煮えたので
今年も作ろうということだ。

春にボウボウに枝が伸びたので、結構刈り込んだので
実の付きが良くない事を・・・
枝カットしたことが悪いと軽くいじられている。
その前までは見向きもしなかったのにと・・・私も背中で文句を言っている。

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豆の選別をして袋詰めにする。煮る単位分くらいにして
10袋くらいできた。

豆も水に浸けておいたら、いつの間にか煮てあった。結構美味しい。

随分膨らむものだ!
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午後から風が冷たくなってきた。

先日、脚本家の”早坂暁”氏の訃報がニュースで報じられた。
最近。訃報の記事に敏感になっている気がする。
~~~
“没後”38年後の訃報 

 原爆投下の2週間後だった。
 海軍兵学校から愛媛県の実家に復員する16歳の少年は、
 広島駅で1泊する。

 街は破壊し尽くされていた。
 焼け跡を眺めていると、無数の小さな炎に気づいた。
 死体から流れ出たリンが燃えていたのだ
 まさに世界終末の光景である。そのとき、赤ん坊の泣き声が聞こえた気がした。

 ▼戦後、売れっ子脚本家になった早坂暁(あきら)さんに、
  吉永小百合さんから声がかかった。
  「私に何か書いてください」。

  早坂さんに広島駅の一夜の記憶が蘇った。
  赤ん坊は名作ドラマ『夢千代日記』の主人公になった。
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 ▼吉永さんが演じた夢千代は、山陰の小さな温泉場の芸者である。
  特攻隊員と結ばれた母親は妊娠中に広島で被爆していた。
  「私はもう、なおらない病気をもった人間です。ですから誰かの力になりたいのです」。
  夢千代は胎内被爆の後遺症に苦しみながら、どこまでも人にやさしい。

 ▼『夏少女』という作品のモデルは、3歳下の妹の春子さんである。
  捨て子だった春子さんは、実の子として育てられた。
  原爆投下の当日広島にいた春子さんは、行方不明のままである。
  出生の事情を知り、「兄さんに思いを伝えたい」と、
  早坂さんを兵学校に訪ねる途中だった。

 ▼原爆の悲劇を深く静かに訴え続けた、早坂さんの突然の訃報が届いた。
 
  88歳だった。
  早坂さんは50歳で『新・夢千代日記』を執筆中に倒れた。
  胃潰瘍で胃を切り、心筋梗塞の手術の準備中にがんが見つかった。
  死を意識した早坂さんが企画したのが
生前葬である

 ▼先頃コマツ元社長の安崎暁(あんざき・さとる)さん(80)が、
  新聞広告で自身のがんを公表し、盛大な「感謝の会」を開いて話題となった。
  早坂さんのがんは後に誤診とわかり、“没後”も仕事に打ち込んでいた。
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★夢千代日記の舞台は兵庫県 湯村温泉。
 一度この温泉に泊まったこともあって懐かしい。




山陰の静かな山合いにある温泉で平安時代からと聞く。
温泉卵が作れる熱湯がでていて面白い。
少し走れば蟹が美味しい浜坂漁港も近いところでもある。松葉ガニだ!
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日記(12.19)はしだのりひこ

2017-12-19 09:55:05 | 日常
12月19日  (火曜日)   晴れ

朝が冷たい。

列島が白色は0度 灰色はマイナス。とある。
こんな日は炬燵が離せない。
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同世代の歌手!”はしだのりひこ” が亡くなった。

”帰って来たヨッパライ”がとても気に入ったし面白かったあのころ。
専門家からは音楽ではないと酷評であったらしいが私は好きだった。
コラムにもあった。
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 人気テレビ番組「11PM」への出演が決まったが、
 いでたちがいまひとつ画面映えしない。
 後に音楽プロデューサーとして活躍する故加藤和彦さんが一計を案じた

 ▼衣装に女物のブラウスを買い、ビートルズで有名になった髪型「マッシュルームカット」に
  加藤さんの母親が仕立てた。
  1967年、小柄な同志社大生はこうして人気者となった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ▼加藤さん、きたやまおさむさんとフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」を組んで
 帰って来たヨッパライ」を歌ったはしだのりひこさんである
 2日に72歳で亡くなった。
 ▼フォークルが解散した後も、きたやまさんの詞に曲を付けて
 >「風」「花嫁」などの名作を世に送り出した。

  妻の病気から「主夫」として家事や育児をこなしたことでも知られた。


 ▼著書「お父さんゴハンまーだ」で
  生まれ育った京を<びっしりと重い過去を背負っている>と評した。

  自身の青春期は<旧体制とのシレツな戦いでぬりつぶされてきた>と書いた。

  京都という土地柄への愛憎が、
  反体制の象徴だったフォークソングへとはしださんを駆り立てた一面があったのは想像に難くない。
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 ▼はしださんはただ一人旅に出た。

  夜汽車に乗って着いた天国は「よいとこ」なのだろうか
  そんな様子をまた曲にして歌っているのかもしれない。
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