中さん

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日記(6.1)

2021-05-31 19:13:40 | 日常
6月1日(火曜日)
第一生命保険は「第34回サラリーマン川柳コンクールの全国ベスト10をWebサイトに発表した。
全国から寄せられた6万2,542句の中から、
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◆第34回サラリーマン川柳コンクール 全国ベスト10

第1位:会社へは 来るなと上司 行けと妻(なかじ)
第2位:十万円 見る事もなく 妻のもの(はかなき夢)
第3位:リモートで 便利な言葉 “聞こえません!”(リモートの達人)
第4位:嫁の呼吸 五感で感じろ! 全集中!!!(鬼嫁一家)
第5位:じいちゃんに J.Y.Parkの 場所聞かれ(けぇぽっぷ)
第6位:我が部署は 次世代おらず 5爺(ファイブジイ)(松庵)
第7位:お父さん マスクも会話も よくずれる(さごじょう)
第8位:YOASOBIが 大好きと言い 父あせる(テンビ)
第9位:お若いと 言われマスクを 外せない(エチケット)
第10位:抱き上げた 孫が一言 密ですよ(白いカラス)
★いつでも、なんと時でも怖いは女房か! ハハ
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新聞コラムに・・ 
患者であふれる病院、
深刻なワクチン不足、
後手に回る行政。

作家の篠田節子さんが20年以上も前、
感染症の恐ろしさを描いた小説「夏の災厄」
新型コロナ禍を予言したと話題になった。

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印象に残るのは地域社会の分断と疲弊だ。
 東京郊外の小都市で死者が相次ぐ。
 不安に駆られた住民の間でデマと差別が横行し、
 自殺も多発する。

 緊急事態宣言が長引く中、
 こうした混乱が現実に起きないよう取り組む人は各地にいるだろう。
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▲東京・練馬でイタリア料理店を営む I さんは昨年の緊急事態の際、
 地域の中核病院にランチを無償で届け続けた。
 「最前線で闘う医療従事者の心が折れると、
 地域を支える人がいなくなる」

 と危機感を募らせた。
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▲外出自粛で売り上げも減り、支援を続けるのは厳しかった。
 すると店のお客さんが寄付を集めてくれた。
 野菜を仕入れている地元の農家からは無料で次々と食材が寄せられた。
 ほかの飲食店も支援に加わった。
「助けようと思って始めたのが、いつの間にか助けられていました」
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▲イタリアで修業し、ピザ職人の世界大会で優勝した実績がある。
 都心から離れた土地で店を構えたのは、
 農家が多く、「地産地消」によるつながりを実感できたからだ。
 病院支援で知り合った多くの人も店に通うようになり、
 売り上げも次第に回復してきた・
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▲今準備しているのは、経済的に苦しい家庭の子どもなどに
 食事と交流の場を提供する子ども食堂だ
 支え合いの大切さを教えてくれた地域への恩返しである。
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本の内容を拾った!少し前はパンデミックという本が話題であった。

「夏の災厄」篠田節子 著は20年以上も前の書かれた書が
 今のコロナ禍状況に一致する。
 その病。極めて短時間で脳が溶解に至る過程。
 発症すると、幻のエーテル臭を感じ、吸血鬼のように光を怖がる。
 激しい頭痛と高熱にあえぎ、嘔吐、痙攣を繰り返しながら死に向かう。

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 1993年の暑い4月、人口8万6千人の埼玉県昭川市(架空)を襲ったのは、
 すでに感染手引書からも削られようとしている古色蒼然たる伝染病、
 日本脳炎(Japanese encephalitis)の二十数年ぶりの復活だった。
 しかも、従来の日本脳炎ではなく、高い罹患率と圧倒的な死亡率をもたらす
 悪性にして新型のものだった。
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 4月の半ば、市街地から20キロ外れた山林地区で発生した新型脳炎の死者は、
 8月には百名弱に達した。
 痴呆症や麻痺など、生き残って重篤な後遺症に苦しめられている者は、
 その数倍はいると見られた。
 従来の日本脳炎は、不顕性感染といって感染してもほとんどは何の症状も出ないまま終わる
 昔のお母さんたちは炎天下で子供に帽子を被らせ、寝冷えしないように気を配った。
 体に抵抗力があれば発病しないのだ。
 かりに発病したにせよ、大抵の者はちょっとした頭痛と微熱、軽い下痢程度で終わる。
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  脳炎症状が出るのは、感染者の0.1パーセント、
  死者は脳炎症状の出た者の35パーセント。

  感染経路も決まっている。ヒトが日本脳炎に感染するには大量のウイルスが必要だ。
  蚊に刺された豚がまず感染し、豚の体内で十分増えたウイルスを吸血した蚊が、
  ヒトを刺すことによって初めてヒトは感染する。
  感染したヒトから蚊が吸血しても、ヒトの場合、
  血液中のウイルス数は豚ほどには増えないので、感染蚊は作られない。
  つまり、ヒトからヒトには感染しないのである。
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 しかし、昭川市で今回発生した日本脳炎は、これらの常識を覆すものだった。
 病原性(感染することによって発症させる能力)は異常な高さを示し、
 潜伏期は短く、症状は重く、致命率は高く、
 助かったにしても重篤な後遺症を残すばかりか、
 豚を介さずにヒトからヒトへの蚊の吸血による感染が確認されたのである。

 しかも、日本脳炎のウイルスは気温の下がる冬季を越えることができないはずだった。
 しかし、この新型のウイルスはなんらかの方法で日本の厳しい冬を乗り越え、
 春先から昭川市の住民に猛然と襲いかかったのである。
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書評も
 明確な主人公はいません。
 新種の奇病に立ち向かうヒーローは登場しません。
 昭川市の保健センター職員の小西誠(20代後半)、
 夜間救急診療所の看護師・堂元房代(50過ぎ)、
 地元の医師会からつまはじきにされている市民活動派の
 医師・鵜川日出臣(45)の3人がしいて言えば
 この新型脳炎を何とかしようと頑張るのですが、
 それぞれに力は足りませんし、頼りないところも多々ありました。
 正義の味方という感じではありませんね。
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 でも、診療所の事務をしているちゃらんぽらんな青柳であるとか、
 保健センター係長の永井もそうですが、いたって普通の人たちが
 思いがけず巻き込まれたパニックで右往左往しながらも、
 その恐怖の最前線で踏ん張る様子というのは、ものすごくリアリティがあるんですよ。
 カリスマなんて出てこないんですから。すぐに我々の住んでいる社会に当てはまるような感じで。
 地図とか眺めて考えてみると、昭川市というのはおそらく
 埼玉県東松山あたりをモデルにしていると思われますが、
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 この新型脳炎の対策がままならず市民が絶望しだした頃に、
 詐欺師が高額の似非薬を訪問販売したり、新興宗教が流行ったり、
 古くからの住民とニュータウンの新住民が対立したりと、
 様々な問題が起こるのですが、日本のほとんどの街だとこうなると思いますね。

 逃げるという選択肢を排除すればですけど。
 で、感染が東京に近づくとやおら厚生省など上級官庁が本気出すと
 ほんとしっかり現実的に書かれてましたけど行政は融通が利かないですね。
 霞ヶ関は、一般市民や市役所の職員などはバカばかりと思ってるって、
 もろ真実ですよきっと!
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日記(5.31)

2021-05-31 09:02:00 | 日常
5月31日(月曜日)晴れ 最近は夕刻になって雷が!

昨日は義姉の家で小梅獲り。
高いところに建つ家だ。

天気が良く日差しも強い。
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早速10時ごろから小梅を獲るが面倒な事。

大きい梅は収穫には未だ早そうだ。

大分収穫した。

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山裾に沢山の花が咲く。

これは綺麗な空木だ。
バラもいっぱい咲かせていて息苦しい程だ。

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家庭菜園も玉ねぎ収穫のあと石灰・堆肥入れして耕運機掛けの繰り返しが続く。
今年は玉ねぎの出来具合が私にしては良かった。
第二畑の様子。

蔓ものが伸びてきた。
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夕刻に”カリカリ漬けの素”を使って6㎏分を付け込んでしまう。
残り3㎏分はラッキョウ酢で漬けるので洗って干している。
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日記(5.30)

2021-05-29 21:23:54 | 日常
5月30日(日曜日)晴れ
29日熊谷市では数か所で花火が上がる。7時半ごろから5分間だけ。
少し見えた。
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毎日新聞(余禄に)・・
 三内丸山遺跡など北海道と北東北の縄文遺跡群が
 ユネスコの世界文化遺産登録にふさわしいと勧告を受けた。
 7月にも正式登録が決まる
・・とあった。



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★私たちの時代は授業で縄文時代は稲作文化の前の狩猟時代と教わり
 弥生時代なって稲作の跡が発見されたと・・殆どうる覚えでここまで来てしまったが
 もっと学習しておくべきだったか!
 縄文のイメージが大きく変わりそうだ。
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コンクリートと共に人工物の代表のようなアスファルトだが、
石油の産地では天然アスファルトが産出される。
古代メソポタミアでは6000年前から利用されていた。
旧約聖書は、バベルの塔もレンガをアスファルトで固めて積み上げたと記す。
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▲接着剤に使え、防水性もある。日本でも秋田や新潟などで縄文時代から産出され、使われてきた。
 縄文文化を代表する三内丸山(さんないまるやま)遺跡(青森県)でも
 秋田産アスファルトが付着した石の矢じりが発見されている。
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▲稲作を伴う弥生時代より遅れた文化という縄文のイメージを変えたのが、
 同遺跡での大きな木柱の発見だった。
 弥生期最大といわれる吉野ケ里(よしのがり)遺跡(佐賀県)の楼閣を上回る高さの
 建造物の跡とされ、大規模な定住集落の存在が明らかになった。
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▲三内丸山遺跡など北海道と北東北の縄文遺跡群が
 ユネスコの世界文化遺産登録にふさわしいと勧告を受けた。
 7月にも正式登録が決まる。
 農耕以前の狩猟採集社会にもかかわらず、広葉樹林の豊かな自然環境で、
 1万年にわたり成熟した社会を維持したと評価された。

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▲交流も広範囲に及んでいた。北海道で秋田産アスファルト、
 青森で北海道産黒曜石が見つかっている。
 丸木舟を使い、海の交易が活発に行われていたとみられている。
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▲大規模なストーンサークルである大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)(秋田県)や、
 亀ケ岡(かめがおか)遺跡(青森県)の遮光器(しゃこうき)土偶からは
 豊かな精神文化を想像できる。世界遺産登録を機に、
 縄文の実像がさらに明らかになることに期待したい。
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★最近、この界隈は区画整理事業で、あっちこっちで遺跡調査が行われている。
 3年前になるが、矢じりらしきものが得でて、
 説明が遺跡担当の方から現地であった。
 ここは弥生時代の川や氾濫があった跡などの説明を受けたが。
 よくわからなかった?
私たちの先祖はどうやら弥生時代から、この場所に定住していたのかもと
何千年も前をさかのぼってみたが想像は途切れて・・そんなことはどうでもいいか!
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日記(5.29)

2021-05-29 10:44:10 | 日常
5月29日(土曜日)晴れ
カラッとした天気になった。
きゅうりの初なりが何本か獲れたのでを
生で食す。ぱりぱりとしてやわらかくて美味しい。

この時期のきゅうりは格別うまい。
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今朝は畑の畔部分に生えてきた小さい草の芽を除草する。
ラウンドアップという除草剤を使う。
値も良いが意外と他の部分に優しいという感じだ。
除草は年に3回程度行う。特に耕作している周囲を・・行う。
それ以外は手で抜くやら土起こしの時に行っている。
今年はマルチがけを殆ど行ったので少しは楽かも!
例年、草に負けそうになるが今年は草を出さないようにしよう。
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昨日の朝、立ち寄った星渓園は熊谷に住みながら
その歴史をあまり詳しく知らない。

子供のころは良く遊びに行ったりしたところ。
スケッチクラブ時代にもこの場所を描いた。
それ以外にも、何かと立ち寄っている割には無知である。
改めて歴史の背景を・・
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星溪園は回遊式庭園で、
熊谷の発展に数々の偉業を成した竹井澹如翁によって
慶応年間から明治初年にかけてつくられました。
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 竹井澹如は、天保10年(1839)群馬県甘楽郡南牧村羽沢の豪族市川家に生まれ、
 幼名を萬平と言い幽谷と号しました。明治12年(1879)初代の県議会議長となり、
 政府の要職をすすめられたが、始終一貫、熊谷地方のために貢献しました。
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 熊谷県庁の誘致・旧熊谷堤の修築と桜の植樹・養蚕業の振興・
 私立中学校(セキテイ学社)の創設などの偉業を残し、
 大正元年(1912)8月74歳で永眠されました。
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元和9年(1623)、荒川の洪水により当園の西方にあった土手(北条堤)が切れて池が生じ、
その池は清らかな水が湧き出るので「玉の池」と呼ばれ、この湧き水が、星川の源となりました。

澹如翁が、ここに別邸を設け、「玉の池」を中心に竹木を植え、名石を集めて庭園としました。
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 昭和初期、この地を訪れた前大徳牧宗禅師が、「星溪園」と命名しました。
 昭和25年に熊谷市が譲り受け、昭和29年に市の名勝として指定されました。
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 平成2年から4年にかけて園内の整備が行われた際には、
 老朽化の見られた建物は数奇屋感覚が取り入れた上で復元されました。
 園内には、星溪寮、松風庵、積翠閣の3つの建物があり、
 お茶会などの日本的文化教養の場として、利用できます。
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日記(5.28)

2021-05-28 19:29:24 | 日常
5月28日(金曜日) 晴れ 
雨も上がって今日は晴れだ。
7時には家族の者は、それぞれの職場・学校・遊びゴルフとかでみないなくなった。
最近、一人静かに過ごすのが気分が良い。
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8時には歯科に予約もあって早めに来て、星川沿いを散歩。

星渓園や石上寺も近いので周囲をめぐる。
未だ開園前だ。この時間はまだ静かだ。
ここでもドクダミが盛りに咲いている。

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9時の予約、エル歯科にて定期健診「お掃除:口腔ケアー」だ。
最近は2ケ月に1回の割合で行っている。
毎回、衛生士が違う。人によって随分操作も感じも違うものだ!
歯の裏側の磨き方を教えて貰う。
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歯科を終えて、
市役所の長寿いきがい課で”単身高齢者の台帳用の書類を何枚かいただく。
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10時半からインゲンの第3弾のクネ立てを行う。
きゅうりも数本ほどなり出した。夕方の収穫がよさそうだ。
少し休息をとって
夕刻になって第二陣のきゅうりにクネ立てとネットを張る。
ポッドで育てた苗も移植すると、アッという間に大きく育ってくる。
茎縛りが忙しい。
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