【JBL】(ジェームス・ビー・ランシング)とアルテックはアメリカを代表する
スピーカーのメーカーですが、どちらもJAZZを聴く者にとっては、一世を風靡した
憧れのブランドです。
JAZZが好きな人は大体、アルテック派か【JBL】派に好みが別れますが、どちらにも
共通して言えるのは、みんな大型スピーカーに憧れていると言う事ですが、今も昔
も大型システムは高値の華です。
そう言う私は【JBL】派でしたが、高校生にはとても手の出る代物ではありません
でした。
私のスピーカー遍歴は三菱(ダイヤトーンP-610)に始まりしばらく国産が続き、
憧れのJBLを手に入れたのは就職して暫くしてからでした。
その当時はまだ1ドルが360円の時代でしたから輸入品はまだまだ高値の華でした。
始めての【JBL】は銘機LE-8Tと言うフルレンジユニットで、その日は嬉しくて嬉し
くて何度も箱から出しては眺めたのを覚えています。
その後暫くは何種類かのJBLとの格闘が続きました。
オーディオを趣味にしている人はそれぞれ最終的なスピーカー像を持っているもの
で、私も【JBL】の大型システムを最終目標にしていました。
でもある日、たまたま行った試聴会で運命的な出逢いをしてしまうのでした。
まさしく一目惚れ、いや一聴惚れでした。
そう~、これが魔性の女【TADバーチカルツイン】との出逢いでした。
それからと言うもの、寝ても覚めても、何を聴いても駄目でそのじゃじゃ馬な彼女の
声が耳から消える事はなく、ついに永い間の伴侶である【JBL】との決別を決意する事
になるのでした。
それからと言うもの彼女への想いは募る一方で、何度も接触を試みては失敗し、
願いが成就したのは出逢いから10年後の事でした。
スピーカーのメーカーですが、どちらもJAZZを聴く者にとっては、一世を風靡した
憧れのブランドです。
JAZZが好きな人は大体、アルテック派か【JBL】派に好みが別れますが、どちらにも
共通して言えるのは、みんな大型スピーカーに憧れていると言う事ですが、今も昔
も大型システムは高値の華です。
そう言う私は【JBL】派でしたが、高校生にはとても手の出る代物ではありません
でした。
私のスピーカー遍歴は三菱(ダイヤトーンP-610)に始まりしばらく国産が続き、
憧れのJBLを手に入れたのは就職して暫くしてからでした。
その当時はまだ1ドルが360円の時代でしたから輸入品はまだまだ高値の華でした。
始めての【JBL】は銘機LE-8Tと言うフルレンジユニットで、その日は嬉しくて嬉し
くて何度も箱から出しては眺めたのを覚えています。
その後暫くは何種類かのJBLとの格闘が続きました。
オーディオを趣味にしている人はそれぞれ最終的なスピーカー像を持っているもの
で、私も【JBL】の大型システムを最終目標にしていました。
でもある日、たまたま行った試聴会で運命的な出逢いをしてしまうのでした。
まさしく一目惚れ、いや一聴惚れでした。
そう~、これが魔性の女【TADバーチカルツイン】との出逢いでした。
それからと言うもの、寝ても覚めても、何を聴いても駄目でそのじゃじゃ馬な彼女の
声が耳から消える事はなく、ついに永い間の伴侶である【JBL】との決別を決意する事
になるのでした。
それからと言うもの彼女への想いは募る一方で、何度も接触を試みては失敗し、
願いが成就したのは出逢いから10年後の事でした。
私のJBL派でして、D130、075 そして4530で部屋を改造して、JAZZを聞いていました。
その昔、まだネットのない時代に国際FAXを流し、個人輸入をして購入しました。アルニコは、とってもいい味をかもし出していました。当時は八雲に住んでいまして、函館に転勤の際に捨ててしまいました。
いま、考えるにもったいないことをしました。
LE8Tは、シングルコーンの名作です。本当にJAZZが会います。友人が山水から出ている格子のキャビに入ったSPでしたので、よく聞いていました。
P-610かパイオニアのPE16を悩んだのですが、格好のいいPE16から私のオーディオは始まりました。「初歩のラジオ」で上杉先生のアンプを作っていました。
懐かしい日々が思い出されます。
喫茶店は、「嵯峨」、函館では「バップ」、「想苑」、「マイルスの枯葉」に、たまに行っています。
そうそう、今年、新宿PIT INに、森山、板橋のコンサートに出かけました。
私はインテリアとしても、欲しかった。