おじいクボマ~ル@青空保育園 since 2023

定年前に大学教授から保育園長に転身した「おじい」のブログです。誰にでも開放していますので、ご投稿も歓迎です!

夏休み(¬ェ¬)

2013-09-29 19:48:21 | 自由投稿
何もやることがない夏休み自体が久しぶりでありました。

そこで私は8月前半、きちっと予定を立てて、お友達と遊ぶ予定でした。しかし、ドタキャンが3つも続き、バイトの休み希望をとっていた私は、何もすることがなくなりました。予定は崩れるためにあるそう言われました。私は頭にきて、帰省を急遽決定しました。もともと、帰るつもりはなかったのですが.......

9月中旬、福島県福島市にある国体記念体育館で、卓球の試合をしてきました。試合では、現役の頃に分からなかった、気持ち試合に出させてもらってるという気持ちが理解できました。私は以前から、スポーツをやっていた頃の自分は性格上問題があったと思っていたので、今回の試合でその性格が少しは叩き治ったと思っています。それと、福島県の事。原発の問題もあり、両親が心配して、一時は行くなと言われたほどでしたが、行ってみた者だけが分かることが多くありました。まず、向こうの方々は、少しでも福島のイメージアップをと、親切におもてなしをしてくれました。そしてなにより水が美味しく、食べ物も美味しかった。果物直売所では、桃を何個もむいて試食させていただき、最後に、ジュースまで作ってくれました。また、行きたいです。

反省は、自動車免許を取らなかった事です。手続きするのがめんどくさくなり、夏に取る予定が、何も行動をおこしませんでした。後になって後悔しないことを願いたい。今のところは大丈夫。

「先輩・後輩」関係ではない「くぼた組(ゼミ)」を作りたい by 久保田

2013-09-21 11:38:25 | 一般向け連絡
 9月17日から19日にかけ、山梨県忍野村にある知り合いの民宿で、1年生くぼたクラス(13名)と3年生くぼたゼミのメンバー(7名)合同の自主ゼミ的合宿勉強会をやってきました。
 「漢字能力検定」「語彙・読解力検定」「朝日新聞/天声人語」などをネタにした学習会、3年生の卒業研究構想発表、それに、1年生の「こんな事に興味があります」発表など、二泊三日のスケジュールをフル活用して、「ゲボが出るくらい」の勉強をしてきました。
 もち論、机に向かっての勉強だけでなく、早朝ウォーキングやBBQなども堪能し、きっと参加者には大きな何かを残せたのではないかと思います。
 その中で一つ、どうしても久保田が違和感を覚えてしまうシーンがありました。それは、1年生が3年生を「先輩」とか呼びながら、必要以上の遠慮というか気遣いをしているというものです。
 例えば、食事の支度や後片付け、あるいは、入浴の順番など、3年生の方が逆に1年生に気を遣ってやる場合も多かった(というか、気が付いて自主的に動ける1年生が少ない?)のですが、やはりどこかに「先輩・後輩」「年上・年下」的人間関係的文化が垣間見えて、正直言って、何となく居心地が悪かったです。
 他人に対する「思いやり」や「気遣い」は、実際にとても大切な人間関係上の潤滑油だと思うのですが、その根拠は「先輩・後輩」「年上・年下」という年功序列的な位置関係にあるのだろうか?
 換言すれば、「先輩だから」とか「年上だから」というのではなく、純粋にお互いに一人の人間同士としての尊敬や尊重の念から生じるものが本物の「思い遣り・気遣い・遠慮」なのではないかと思うわけなのです。
 55年半も生きてくると、自分より年下(後輩)でも尊敬すべき人はたくさんいるし、逆に年上(先輩)でも軽蔑や軽視に値する人もいて、僕個人的には、年齢や職位などにまったく関係なく尊敬できる人には「さん」を付けて呼んでいるし、そうでない場合には呼び捨てたりもしています(あまり人に言える事ではないけれど)。
 大学と言う所には本来、色々な人がいるはずで、ただ一点、「勉強しに来た」という部分だけが共通しています。それは、学生も教員も同じ事だと思います。だから本当は、「先輩・後輩・年上・年下」ではなく、「自分より頑張っているか否か」だけを視点とする人間関係があるべきだと何となく考えていて、ゼミというのは本来、学年だとか年齢だとかに関係なく、純粋に「一緒に頑張っている仲間同士」でありたいと思います。そして僕は、「くぼた組(ゼミ)」をそういうフラットで平等な人間関係として考えたいです。3年生の発表に1年生が当を得た批判を述べ、1年生の優れた報告に3年生が素直に感心する、そういう勉強仲間を作りたいです。例えば、鋭い3年生に学べる素直な4年生であってほしいし、優れた1年生を尊敬できるホンモノの3年生であってほしいです。
 もうそろそろ、現2年生を対象とする次年度ゼミ生の募集が始まります。「くぼた組(ゼミ)」では、久保田のこんな考え方に賛成してくれる新メンバーを募集したいと思います。



色々な意味で「頭が悪い」人たちだね by 久保田

2013-09-02 05:10:54 | 自由投稿
 ≪マカンポウ殺法≫くらいにしとけば良いものを、とてもじゃないが「オモシロ写真」の域をはみ出してしまった「悪ふざけ写真」をネットに投稿する若者たちがいて、大きな社会問題になっている。
 以前、妙子ちゃんがこのブログでも発言してくれていたのだが、同世代の人間として、一体あなたはどう思うだろう?
 
 彼らの「頭の悪さ」は、複数の次元に及んでいる。
 まずは、不特定多数の人が口にするだろう「食品・食材・食料」に対する「大事なものなんだ」感覚の低さに驚く。この世代、「食育」という教育的スローガンの下で育てられてきたのではなかったか。
 「ゆとり教育」にしても「生きる力」にしてもそうだが、オトナたちが立てた高邁で大層な教育目標がどの程度の成果を上げているのかを考えると、実に暗澹とした気持ちになる。
 「コミュニケーション能力の育成」にしてもそうだ。先日のこのブログへの投稿趣旨はその後、静岡新聞「ひろば」欄にも転載されたのだが、「知識よりコミュニケーション能力」が大事にされる中で育ってきた世代は、とても僕たちよりそのレベルが高いとは思えない。

 第二に、頻繁に利用していながらSNSの本性が理解できていないのに驚く。というより、むしろその余りの無知さ幼稚さに、憐憫の情すら湧いてくる。
 「楽屋落ち」、すなわち、本人たちは単なる「仲間うちのノリ・冗談」のつもりだろうが、それをネット上に載せるいう事が全世界の不特定多数に拡大する可能性があるという可能性なり危険性を知らないでいるという哀しみというかアホさ加減…
 否、仮にそれを知った上での行為なら行為で、自分の頭の悪さを披露するという事で自己満足やら優越感やらを感じるという情けなさ…
 フェイスブックにしろツイッターにしろ、「全世界に曝け出す価値ある自分」かどうかを深く考えないまま、表面上の一時のオモシロさだけでそれに飛び込み・のめり込んでいく人たちが多過ぎるのではないか。

 第三に、そういう投稿を見て、「よし、俺も」と続く連中の「頭の悪さ」に驚く。
 まっとうな価値判断能力をもっているオトナなら(あ、彼らは子どもか)、「おいおい止めとけよな」と思うが、「うへへ、おもしれ~、俺も!」などと発想するところに極めて呆れる。
 「荒れる成人式」をめぐる精神構造にも似た、「既に手遅れ」的状況の存在を予感させられ、とても不快であり心配だ。

 第四に、「若者のこの程度の悪ふざけは大目に」みたいな発言をする人(オトナもいるからなおさら)がいる事に驚く。
 先日テレビで、「外国では、若者の悪ふざけは社会的に黙認されている文化なんですよ」などと言っているアホおとなを観て、怒り心頭というかむしろ、強烈な絶望感に襲われた。「ああ、おとながケジメをつけられないこの社会はもうダメなんだな」と…
 赦されるイタズラや悪ふざけと「それは絶対ダメ!」との垣根(ケジメ)が崩れ去ったところに、教育も次世代育成も何もないだろう。「できちゃった結婚(最近では、授かった結婚などという言い逃れ的言い方もある)」に対する、いつの間にか社会に広く蔓延してしまったズルズルでユルユルな感覚もまた、お手本にならないオトナたちの責任を感じさせるものだろう。

 結局、やっちゃいけない悪ふざけを止められるのは横方向からの、つまり、同世代からの「面白くもカッコ良くもないから止めなよ」という一言なんだろう。「お手本」にならないオトナたちには、彼らにブレーキをかける能力も勢いもないのかもしれないからだ。 それにしても、ちゃんとした使い方も怖さも知らないまま「面白い」と「便利」だけでスマホやらSNSやらに飛びつかせ、あげくの果てに「ネット依存症」にさせていくわれわれオトナの責任を、ここでも改めてしみじみ思う。