十年以上前から、若者の文章に不気味な歪みがあるのが気になっている。誤字や脱字レベルの話ではない。段落の先頭を一字空けない・そもそも段落がない・適度な句読点を打っていない等だ。昭和レトロな爺さんには読み難いったらない。
「マルハラ」という言葉を聞いた。またぞろ新しいハラスメント?と思いきや、文末に付ける「。」に強い威圧感や嫌悪感を持つことらしい。句読点は、文章の切れ目を示す日本語表現の基本ツールだ。ないと、文全体が単なる文字の連続になる。まるで電報だ。
こういう歪みの一原因は、全行左詰めのスマホ画面上の窮屈な文章だろう。狭いスペースに押し込められたギリギリ字数の文章には、「、」も「。」も「段落」も入る余地がない。
言葉は生き物だ。時代や社会とともに変化する。しかし、一つ心配なのは学校教育がその変化に追いついているかだ。句読点と威圧感というダブルスタンダード(併存)は、子どもたちのために放置されるべきではなかろう。
「マルハラ」という言葉を聞いた。またぞろ新しいハラスメント?と思いきや、文末に付ける「。」に強い威圧感や嫌悪感を持つことらしい。句読点は、文章の切れ目を示す日本語表現の基本ツールだ。ないと、文全体が単なる文字の連続になる。まるで電報だ。
こういう歪みの一原因は、全行左詰めのスマホ画面上の窮屈な文章だろう。狭いスペースに押し込められたギリギリ字数の文章には、「、」も「。」も「段落」も入る余地がない。
言葉は生き物だ。時代や社会とともに変化する。しかし、一つ心配なのは学校教育がその変化に追いついているかだ。句読点と威圧感というダブルスタンダード(併存)は、子どもたちのために放置されるべきではなかろう。