星川さんが取り上げていた「スローライフ」と並んで、最近、とても気になる言葉がある。「QOL(Quolity of Life):生活の質」がそれだ。
自分の生の価値は、決して時間的長さでははかれない。どれだけそれに満足できるか・できたかが大事である。たとえ余命が数日とか数ヶ月であろうとも、本人が「これでいいのだ」と納得&満足できる事が一番大切だという思想を表わす言葉で、例えば、延命治療や尊厳死の問題とも関係する、どこかで必ず関わらざるを得ない論題だ。
先日、41歳で急逝した流通ジャーナリスト/金子哲雄さんの『僕の死に方』という本を読んだ。余命 500日を見事に締めくくられた日々を記した記録で、「できれば僕も、こういう死に方をしたい」と思った。41歳という余りに若い彼の死だけど、彼のQOLレベルは極めて高かったと言えるのではないだろうか。
「スローライフ」もなかなか味わい深い良い言葉だとは思うんだけど、今まで一度もしゃかりきになってハイスピード・ハイテンションで頑張ったこともない奴が「ノンビリいきましょうや~」などと言っていたりすると、「けっ、自分の怠け癖をカッコいい言葉で言い繕いやがってよ」と斜に構えてしまうのはなぜだろうなぁ… とくに20代の若いニイちゃんが「あ、おれ、スローっすから」なんて言おうもんなら、オジさんは思わす「ケッ」とガン見してしまうだろうなぁ…
「スローライフ」を語れるのは日本の場合、キッチリ仕事をしてきた世代に限られるんじゃないかな? もち論、そういう国民性や生活文化を持つ人たちが、外国には少なからずいるんだろうけど…
自分の生の価値は、決して時間的長さでははかれない。どれだけそれに満足できるか・できたかが大事である。たとえ余命が数日とか数ヶ月であろうとも、本人が「これでいいのだ」と納得&満足できる事が一番大切だという思想を表わす言葉で、例えば、延命治療や尊厳死の問題とも関係する、どこかで必ず関わらざるを得ない論題だ。
先日、41歳で急逝した流通ジャーナリスト/金子哲雄さんの『僕の死に方』という本を読んだ。余命 500日を見事に締めくくられた日々を記した記録で、「できれば僕も、こういう死に方をしたい」と思った。41歳という余りに若い彼の死だけど、彼のQOLレベルは極めて高かったと言えるのではないだろうか。
「スローライフ」もなかなか味わい深い良い言葉だとは思うんだけど、今まで一度もしゃかりきになってハイスピード・ハイテンションで頑張ったこともない奴が「ノンビリいきましょうや~」などと言っていたりすると、「けっ、自分の怠け癖をカッコいい言葉で言い繕いやがってよ」と斜に構えてしまうのはなぜだろうなぁ… とくに20代の若いニイちゃんが「あ、おれ、スローっすから」なんて言おうもんなら、オジさんは思わす「ケッ」とガン見してしまうだろうなぁ…
「スローライフ」を語れるのは日本の場合、キッチリ仕事をしてきた世代に限られるんじゃないかな? もち論、そういう国民性や生活文化を持つ人たちが、外国には少なからずいるんだろうけど…