おじいクボマ~ル@青空保育園 since 2023

定年前に大学教授から保育園長に転身した「おじい」のブログです。誰にでも開放していますので、ご投稿も歓迎です!

学生研究発表会を聞いて byプリプリ彩子

2016-02-29 15:48:46 | 自由投稿
 2月26日に大妻女子大学で保育に関する学生研究発表会が行われた。そこでは、AからDのブロックごとに12名ずつ発表が行われ、どのブロックも興味深い研究テーマが挙げられていた。様々な研究を傍聴し、研究の知識や情報だけでなく、自分の考えを持ち、疑問や課題を見つけることができた。
 研究発表を聞いて、研究を述べる上で動機が明確であるか、データの収集が誰を対象にし、どの程度行われているのか、自分の考察が思い込みだけでなく根拠があった上で述べているかが研究の質を高め、説得力のある発表になると感じた。質疑応答時には、発表者への鋭い指摘や意見が交わされ、聞いているだけで緊張感が伝わってきた。このような議論ができる研究を自分も目指したいと強く思い、協力してくれる人たちに恩返しできるような発表にするには、まだまだ努力が必要と感じた。
 発表のなかで、偶然自分と似たテーマの研究発表があり、傍聴することができた。その概要は、一つの園に焦点を当て、園児が読み書きをどこまで習得し、小学校についての理解度を示したか。また、幼少連携の仕組みと、今後どのような取り組みが必要なのかを論じていた。この研究を聞き、自分も研究の中で持っている視点として、読み書きや、小学校について理解させるためにどのような保育方法があるのか調査で明らかにしたいと感じた。
 このような機会を通して、他大学との交流から、自分の発表に関する研究発表を聞くことや、他の様々な発表を聞き、視野を広げることも大切であると実感できる一日となった。
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うおぉっ、既に初夏じゃん! ~なんくるないさー隊2016日記(3)~

2016-02-29 12:49:26 | エッセイ
2月20日(土)
 午前中の通院を終えて帰宅。一休憩する間もなく着替え、荷物を転がしながらタクシーで三島駅へ向かう。品川駅から京急で羽田空港へと移動し、余裕の酔っちゃんでチェックインを済ます。
 ところが、15:50発のフライトが遅れたため(ま、よくある事ですな)、那覇到着は19:00近くになってしまった。
 空港に着くなり、「夕ご飯はどうしますか?」とのLINEが三人娘から入る。ホテルで合流してから食べに出かけるのも面倒だし、狙いをつけていた(笑)空港内のお店で「沖縄そば」を食べたかったこともあり、「未定」と返事。結果、三人に見捨てられてしまった。
 「沖縄そば」のついでに、半ば逆上気味に「ラフテー(豚肉の角煮)」も追加注文。颯爽と食べ始めたのだが、あれ、ちょっとキツい。以前なら楽勝で食べ切れた量が、今回はなかなかに辛い。美味しいのだが、量がやたら多く感じる。しかも、胸焼けもしそうな予感も生じた。
 久保田、もうすぐ(3月1日に)58歳。確実に老いている・・・
 そう言えば、飛行機から離れるとすぐに「暑(あち)い」感覚を覚えた。「沖縄そば」が進まないのは、この陽気のせいなのか。
 空港から「ゆいレール(モノレール)」に乗って牧志駅に向かうのだが、その途中で既にかなりヨレヨレ化する。老いなのか疲れなのか体力不足なのか、否、やっぱり初夏的蒸し暑さのせいなのだろう、やっとの思いで宿に到着(駅からたったの3分なのに)。
 三人娘と明朝の連絡を取りながら、21:00前には爆睡。前途多難な琉球旅になるのかな?


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ロブスター君の原稿をライザップしてみた by 久保田

2016-02-29 08:56:02 | 自由投稿
 ロブスターむきみ君の原稿を推敲させてもらった。文章的贅肉が多く、論旨が飛び飛びでわかり難く、主旨が今一つ不明確な文例なので、推敲するのにけっこう難儀した。「こんな事を言いたいのではないか」と思ってリライトしたのだが、どんなもんでしょう? 

 運動会の目玉企画、「組み立て体操」に関係する事故が多発している。JSC(日本スポーツ振興センター)によれば、2011年度以降四年連続でその件数は8,000件を超え、うち、8割が小学校、2割が中学校で起きている。
 国や地方自治体は、「組み立て体操」の段数を減らす、あるいは、そもそもそれを廃止する等の提案をしてはいるが、ケガや事故を防ぐのは当然として、それに代わる目玉企画があるのか、また、段数を減らしても骨折事故は起きている等の指摘もあり、賛否両論諸説紛々としてなかなか結論が得られない。
 事故やケガの原因を練習のあり方に求める人もいる。30年以上「組み立て体操」を指導してきた兵庫県の中学校教諭は、キチンとした知識と指導技術のない教員が、不十分な安全対策のまま子どもに無理を強いていると指摘する(読売新聞による)。彼は周到な準備に三年間を費やし、その成果として十段を成功させているという。
 しかし、準備(練習)期間を長くしたところで、「組み立て体操」そのものの危険性を払拭できるわけではない。教員側に徹底した安全への配慮や対策を求めなければならないのは当然だ。
 「組み立て体操」の廃止による目玉企画の変更は避けられまい。運動会の盛り上がりを心配する人がいるかもしれないが、それと子どもたちの安全はどちらが大切かについては、議論するまでもない。
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僕の「琉球」渡航歴 ~ナンクルナイサ~隊2016日記(2)~

2016-02-29 08:17:36 | エッセイ
「琉球」への初渡航は、入試委員としての仕事(入試監督と高校訪問)がらみだったため、ほとんど何の予備知識もないまま、仕事のない土・日曜日にいくつかのグスクを訪れただけだった。
 恥ずかしながら、その時初めて「琉球」王国の歴史にふれ、ここが「ただの日本の最南端ではない」ことを知ったわけである。グスクが世界遺産になっていることすら、その時までは知らなかった。とにもかくにも情けない話だ。
 二回めの渡航は、子ども教育学科の学生7~8名を一緒に連れての、あちらこちらの保育園や幼稚園訪問と参観だった。沖縄キリスト教短期大学のK先生に紹介された園を回りながら、①4歳までは保育所・5歳が幼稚園という独特な就学前教育システム ②おじい&おばあたちの(+父母や地域住民たちの)日常的保育活動参加 ③保育活動への伝統文化の取り入れ等の特徴に強い興味関心を持ち、継続して「琉球」保育を探りたいと思うようになった。
 ちなみに、この時からグループ名として「ナンクルナイサ~」隊を名乗るようになったのだが、別に大した理由があるわけではない。「何でもないよ・大したことないよ・心配すんなよ」というこの方言の意味にホッとさせられただけである。
 そして、先日、遂に三回めの「琉球」渡航を果たした。第2期「ナンクルナイサ~」隊は、くぼた組4年生三人娘(ナッシー・セブン・ショッピ)と一緒の保育園見学の旅だが、今回のテーマは「米軍基地と子どもたち」にした。数年前から盛んに喧伝されるようになっている米軍基地の移転問題に絡めて、当の「琉球」の人たちが何を考えているか、そして、その中に子どもたちがどう巻き込まれようとしているかの一端を知りたかったからだ。当然、宜野湾市の普天間飛行場や名護市辺野古周辺に出向き、園長さんや主任さんに「米軍基地と保育園児」に関する意見を聴いてきた。
 「普天間基地、はぁ? 辺野古って?」などと言っている人には、これから始まる連載的「琉球」日記を読んでいただく必要などない。三人娘たちがそれぞれの視点からの日記をこのブログ上に書いてくれると思うので、そちらの方を読んでやってくださいな。
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運動会の目玉について  ロブスター

2016-02-28 09:20:49 | 自由投稿
 学校の運動会で組み立て体操の事故が多発している。これを受け、国や市などが対策を出している。日本スポーツ振興センター(JSC)の調査で、2011年以降4年連続8000件を超えている。そのうち約8割が小学校、約2割が中学校にのぼっている。対策として、国や市町村の多くは10段から4段、5段といった段の数を減らす、または廃止である。この対策に賛否が分かれている。
 最近、運動会の目玉として行っている学校が多い。廃止をし、運動会の目玉となる種目をなくしていいのか疑問だ。けがはあってはならないが、段を高くするのはおかしい。また低くすることで、けがの確立が上がるとは限らない。それは、4段でも骨折をした生徒・児童もいると報告があるため。
 けがにつながる原因は、練習にあるのではないかと思う。最低でも1ヶ月前から行われるのは当たり前だろう。もう1ヶ月、2ヶ月前から練習し、本番に備えることも大切だろう。読売新聞に兵庫県で30年以上、組み体操を取り組んでいる中学校教諭が紹介された。教諭によると、問題の本質は、知識のない教員が安全対策を怠ったまま子どもに無理をさせていること挙げている。指導している学校では、準備期間は3年間とし3年計画を立て、10段に成功。このように、準備期間を長くすることで成功する確率も上がるだろう。しかし、長期期間の準備をしても教員の安全対策が整っていないと事故が起きるのではないか。なので、まず教員の安全対策を整えることを最優先で行うべきだ。
 また、廃止をすることで運動会の目玉の種目変更もしなくてはならない。目玉の種目を組み立て体操からリレーや騎馬戦といった対戦種目、組み立て体操と同様の表現種目といったものが目玉になってくるのではないか。またはその他の種目が目玉種目になるのだろう。目玉種目が変わることで、今後運動会の盛り上がらないことが考えられる。
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僕にとっての琉球(沖縄) なんくるないさー隊2016(序)

2016-02-28 06:36:18 | エッセイ
 「沖縄に行ってくる」と周囲に言うと、多くの場合、「わぁ~、いいですね~」と反応してくる。それはおそらく、本土の真ん中辺に住んでいる僕らが、沖縄を「観光地」としてしか見ていないからではないか。青い空・白い雲・美しい珊瑚礁の海・温暖な気候…
 ま、確かにそれはそうなんだけど、僕にとっての沖縄は、そんな表面的で表層的なチャラチャラしたものではない。それは、僕が敢えてそこを「琉球」と呼ぶこととも繋がっている。
 「琉球」は、単なる日本の観光地(若い衆がキャーキャー言いながら集まるような)ではない。かつての独立王国であり、彼らの独自な歴史や文化は、もっともっと十分に知られ、尊重されなければならないと思っている。
 先日、三回めの琉球渡航を果たした。くぼた組4年生の三人娘を連れての保育園見学が主目的の旅で、宜野湾の普天間飛行場、名護の辺野古にも出向いて、「米軍基地と保育園児」についての思いを馳せてきた。「はぁ、普天間? えっ、辺野古?」などと言っている人には、これから始まる連載的琉球日記を読んでいただく必要はない。
 三人娘たちもそれなりの日記を書いてくれると思うので、そちらの方を読んでやってください。
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リコピン原稿をリライトしてみた by 久保田

2016-02-28 06:02:56 | 一般向け連絡
 リコピンの自己紹介的投稿をリライトしてみた。文章的な贅肉が多いのは、必ずしも彼女の言う「ダブルリミテッド(セミリンガル)」だからではなかろう。僕はむしろ、ちゃんとした文章を読んでいない若い世代の特徴だと思っている。
 文章には「正解」がない。推敲すればするほど(通常は)良くなっていくはずであり、僕のリライトは、そのための第一歩を提供させてもらっているだけだ。それをさらに推敲するんだ!くらいのつもりで、いつもの読み比べを続けてほしい。


 私の祖国であるカンボジアでは、赤ちゃんの「首が座る」ことを「首が硬くなる」と表現する。「首が座る」という日本語をまだ知らなかった中学生の時、たまたま母語での言い方を使ってしまい、担任に指摘されて恥ずかしかった。
 他にも例えば、カンボジア語の「食べる」という動詞には日本語の「食べる」と「飲む」という二つの意味があり、うっかり「水を食べる」などと言おうものなら、とんだ笑い者になりそうだ。家で両親と話す時はカンボジア語のことが多い。そのため、外でついカンボジア語の意味で日本語を話してしまうと、思わぬ恥をかく。もち論、逆の場合もある。日本語の方に慣れてしまっているため、親戚とカンボジア語で話す時に口が回らなくなることがあるし、日本語とカンボジア語が混じってしまうこともある。
 日本語には五つの母音しかないが、カンボジア語には23もある。日本人には同じように聞こえようが、微妙に違う。子音と母音を組み合わせるため、言葉の習得は非常に難しい。日本で育った私は、カンボジア語を話せても読み書きとなると小学生のレベルだ。日本語は発音が少ない分、同音異義語が多くなる。これは、外国人にとっての日本語学習に大きな障害となる。イントネーションと文脈から正しい意味をとらえるのは、本当に難しい。「日本語は、同じ言葉なのに意味が違うからわかりにくい。カンボジア語には違う意味の同じ言葉なんてないからわかりやすい。」と、母がよく言っていた。
 私は、二ヶ国語を話せるという意味では確かにバイリンガルだ。しかし、上述のようにどちらも習得し切れていない「ダブルリミテッド(以前は、セミリンガルと呼ばれた)」でもある。この事実は、色々な場面での自信のなさや消極性や受け身的態度に繋がっている。そんな私が、くぼた組の7期生になった。私は、自分の珍しい経験を活かし、いわゆる多文化共生教育に興味関心を持っている。卒業研究では是非、国際理解教育・異文化理解教育・多文化共生教育という一連の流れを、インクルージョンという考え方とも関わらせながら探るため、一般の父母たちの多文化共生教育に対する態度や意見を明らかにしていきたい。
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リライトするも何も… by 久保田

2016-02-27 06:17:59 | 一般向け連絡
 UMA君の投稿をリライトさせてもらったのだが、元々の文が短いし、主旨がもう一つ不鮮明なので、こんなに短くなってしまった…

 親に、死んだ金魚を食べさせられたという16歳少女のニュースをテレビで観た。
 金魚!、しかも、死骸!というだけで驚きだが、彼女の年齢が16歳ということにも愕然となった。
 16歳といえば、自分で考え行動できるはずの年齢だろうし、親に反抗する年代でもある。
 その子が虐待を受け続けていたということはおそらく、どうしても逃れられない状況にあったのだろう。
 誰もこの子を助けられなかったという事実に、私は一番の問題を感じた。
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テキーラ・フルハシ・ジュンキートの原稿をリライトすると…

2016-02-27 06:02:33 | 一般向け連絡
 テキーラ古橋さんの投稿を、久保田流にリライトしてみた。原文には少々贅肉が多いように思えたので、ライザップ(笑)してみたのだが、どうだろうね?

 保育実習生として、児童養護施設で二週間生活してきた。職員の方々の丁寧な指導を受けながら、そして、「お姉さん」と呼ばれながら多くの子どもたちとの関わりを持て、とても有意義な実習をさせていただいた。
 とりわけ、職員の方との話し合いの時間、つまり、実習生にとっての貴重な学習機会が嬉しく、事例に基づく入所時自立支援計画の立案や発表を楽しませてもらった。
 その中で私は、「実親による虐待」ばかりに最初気を取られていたが、実は、その実親の生育歴や親戚関係など、より広い視野を持たねばならないことを知った。実親による虐待という事実の背景や経緯を知って初めて、今後の支援が進められなければならない。
 参観させていただいた児童養護施設と児童相談所の両スタッフによる入所予定児に関する会議では、事後の実父母との関係のあり方・児童養護施設へのなじませ方・スタッフの子どもとの関わり方などが活発に話し合われ、児童養護の実践現場の大変さや各機関との連携協力の重要性を体験的に学べた。
 情報の共有、「子ども優先」の考え方、(オトナが)「お手本をやって見せる」ことの大事さを胸に、子どもたちから「カッコイイ」と思ってもらえる保育者を目指したい。
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鎖骨を折ったK子さん by 久保田

2016-02-26 06:36:55 | エッセイ
 珍しい方から、久しぶりにメイルをいただいた。僕よりちょっとだけお姉さんのK子さん。もうかなり前だが、ニューヨークの国連本部などを見学するツアーや、ネパールの子どもたちに文房具をお届けするプロジェクト等で、海外にもご一緒させていただいたことがある。そう言えば、このブログを読んでくれているとも書かれたあった。
 昨年の暮れ、(自慢の?)鎖骨を骨折してしまったとかで、全治まで半年以上のリハビリ生活を強いられるのだとか。同情というか心配の極みだ。大丈夫だろうか…
 彼女はナース。面白い経歴をもつ人で、途中からナースになった。息子さんを育てながらの彼女が看護学校に通っている時、非常勤講師としてロクでもない話をしに行っていたのが僕である。密度や頻度は薄いけど、おつき合いはもう、随分長いことになっている
 そのK子さんが、次の人生を考えるためにシニアのための講座に出かけようとしている。大したものだと思う。本気で「勉強したい!」と思うのは、現役学生ではなく、むしろ、仕事や人生経験をある程度積んできた人たちなのかもしれないね。
 毎年末にシクラメンを贈ってくれるK子さんと、たまには会いたくなった。そして、このブログへの登場をお願いしてみようかとも思っている。
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「施設実習」感謝の意とともに… byジュンキート

2016-02-25 00:39:05 | 自由投稿
 保育実習Ⅱとして、児童養護施設に二週間宿泊した。職員の方は丁寧に指導をしてくださり、多くの子どもとも関わることができた。皆から「お姉さん」と呼ばれ、とても良い環境の中で実習をさせていただいた。
 私の行った実習先では、子どもとの関わりの他に、職員の方とのお話の時間、言い換えれば実習生の勉強の時間を作っていただいた。事例をもとに、子どもの入所時自立支援計画を考え、発表を行った。私は、なぜその子どもが入所することになったのか、という質問に「実親からの虐待」という所ばかりに目を向けていた。しかし実際は、実親が育ってきたルーツや親戚との関係など、さらに視野を広く持ち、考えていかなければいけないことが分かった。実親が虐待をしてしまったことは事実ではあるが、なぜそうなってしまったのか、その経緯を重視し、今後の支援に向けて進めていく必要性を学ぶことができた。
 また、児童相談所の職員と児童養護施設の職員との、「入所予定の子どもについての会議」も拝聴した。今後の実親との関係をどうしていくか、施設にどう抵抗なく馴染んでもらうか、職員はその子どもに対し、どう接していくかなど様々な視点から多くの意見が飛び交った。子どもが一人、施設入所するのにも何度も会議が行われ、様々な機関との連携が必須なのだということを改めて知った。
 職員の方が大切にしていたことは、情報共有、そして第一に子どものことを考えることであった。言って聞かせるだけでなく、大人の行動を手本として見せる姿勢を教えていただいた。私も子どもから、「こんな大人になりたい」と思ってもらえるかっこいい保育者を目指していく。
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最近の虐待のニュースをみて。

2016-02-24 20:42:54 | 自由投稿
テレビをみていると16歳の女の子が金魚の死骸を食べさせらるという虐待を親からうけていたというニュースをみた。私は、このニュースを見たときとても衝撃を受けた。
ひとつは、親が子供に金魚の死骸を食べさせていたこと。なぜ、わざわざ金魚を食べさせないといけなかったのか、そして、どうして死んでいるものを子供に食べさせようと考えたのか。私には理解ができない。
もうひとつは、16歳の小さいとはいえない年齢の女の子が親にまだ虐待を受けていることだ。16歳にもなれば自分の意志で考え行動することが可能である年頃だし、親に反抗する年頃でもあると考える。そんな、年頃の子が虐待を受けるということは昔から虐待をされていて親には絶対に反抗することができない状況にあったと考えられる。昔から虐待されていた女の子を誰も助けることが出来なかったというのが私にとっては1番考えなくてはいけないことだと思った。
この事件をきっかけに少しでも虐待する親が考え直してくれることを望むし、虐待されている子供が少しでも誰かから手を差し伸べて助けられることを願う。

1513077 樋上
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バイリンガル?セミリンガル?byりこぴん

2016-02-24 16:39:08 | 一般向け連絡
私は赤ちゃんの、首がすわることを首が硬いと、言ったことがある。浅学だった中学生の頃の私は「首がすわる」という言葉を知らなかった。それもあるが私の祖国(カンボジア)では、「首がすわる」ことを直訳すると首が硬くなるというのだ。当時の私は、そのまま硬くなると言ったのだ。それを聞いた担任の先生に指摘された時はとても恥ずかしかった。
他にも、例えば「食べる」という言葉は固形物を食するという意味がある。「飲む」は水分を取るときに使う。しかし私の祖国では、食べるという言葉一つで、食べる飲むの2つを意味する言葉がある。もしも日本語で、水を食べるなんて言ったらとんだ笑い者になってしまう。
両親と話す時はカンボジア語のことが多いためらうっかりカンボジア語の意味で日本語を話すと、恥をかくことがある。これは、逆の場合も同様だ。日本語に慣れているために、親戚とカンボジア語で話すと、口が回らなくなることもある。また、日本語と、カンボジア語を混ぜて話すこともある。
日本語は5つの母音を元に50音でできているが、カンボジア語は母音が23もある。大抵の人は同じように聞こえるが、微妙に発音が違うのだ。子音と母音を組み合わせて使うため、言葉を習得するのは非常に難しい。実際問題私はカンボジア語を話せても読み書きは小学生レベルだ。
これはオマケだが、「日本語は同じ言葉なのに意味が違うからわかりにくい、カンボジア語は同じ言葉なんてないからわかりやすいわ。」と前に母が言っていた事がある。
日本語は音が少ない分、同音異義語が多い。発音する音が少ない分、同じ言葉ができてしまうのだろうか。これらは外国人にとっては日本語を覚える上で本当に厄介となる。イントネーションと文脈から正しい意味を捉えるのは本当に難しい。
そんななか、私は2ヶ国語を話せるというバイリンガルである反面、上記の様にどちらの言葉も習得しきれないという「ダブルリミテッド(前はセミリンガルと言われていた)」に悩まされていた頃があったのだ。
そんなこんなで外国にルーツを持つ私は、久保田ゼミ7期生となった。私にはこういった経験もあり、多文化共生教育に対する親の意識関心について卒業研究をしていきたいとおもっている。
だいぶ遅い投稿となったが、これを自己紹介に代えさせてもらおう。
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バイリンガル?セミリンガル?byりこぴん

2016-02-24 16:39:08 | 一般向け連絡
私は赤ちゃんの、首がすわることを首が硬いと、言ったことがある。浅学だった中学生の頃の私は「首がすわる」という言葉を知らなかった。それもあるが私の祖国(カンボジア)では、「首がすわる」ことを直訳すると首が硬くなるというのだ。当時の私は、そのまま硬くなると言ったのだ。それを聞いた担任の先生に指摘された時はとても恥ずかしかった。
他にも、例えば「食べる」という言葉は固形物を食するという意味がある。「飲む」は水分を取るときに使う。しかし私の祖国では、食べるという言葉一つで、食べる飲むの2つを意味する言葉がある。もしも日本語で、水を食べるなんて言ったらとんだ笑い者になってしまう。
両親と話す時はカンボジア語のことが多いためらうっかりカンボジア語の意味で日本語を話すと、恥をかくことがある。これは、逆の場合も同様だ。日本語に慣れているために、親戚とカンボジア語で話すと、口が回らなくなることもある。また、日本語と、カンボジア語を混ぜて話すこともある。
日本語は5つの母音を元に50音でできているが、カンボジア語は母音が23もある。大抵の人は同じように聞こえるが、微妙に発音が違うのだ。子音と母音を組み合わせて使うため、言葉を習得するのは非常に難しい。実際問題私はカンボジア語を話せても読み書きは小学生レベルだ。
これはオマケだが、「日本語は同じ言葉なのに意味が違うからわかりにくい、カンボジア語は同じ言葉なんてないからわかりやすいわ。」と前に母が言っていた事がある。
日本語は音が少ない分、同音異義語が多い。発音する音が少ない分、同じ言葉ができてしまうのだろうか。これらは外国人にとっては日本語を覚える上で本当に厄介となる。イントネーションと文脈から正しい意味を捉えるのは本当に難しい。
そんななか、私は2ヶ国語を話せるというバイリンガルである反面、上記の様にどちらの言葉も習得しきれないという「ダブルリミテッド(前はセミリンガルと言われていた)」に悩まされていた頃があったのだ。
そんなこんなで外国にルーツを持つ私は、久保田ゼミ7期生となった。私にはこういった経験もあり、多文化共生教育に対する親の意識関心について卒業研究をしていきたいとおもっている。
だいぶ遅い投稿となったが、これを自己紹介に代えさせてもらおう。
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ロブスター君の原稿をダイエットしてみた by 久保田

2016-02-20 04:44:06 | 一般向け連絡
 ちょっと文章的贅肉が多いなと思ったので、ロブスター原稿をライザップ(笑)させてもらった。どうだろう?
 
 ワサビをつけた唐揚げを4歳児に食べさせたとして、28歳の保育士が再逮捕された。過日、保育園児の口に粘着テープを貼り、それをいきなり剥がすという暴行の容疑で逮捕されていた人物である。彼女のスマートフォンには暴行の様子が動画で残されているといい、「言う事をきかないので、遊び半分で辛い物を食べさせた」とも供述しているそうだ。
 父母に代わって子どもの命を預かる保育士にあるまじき行為であることは言うまでもないが、保育室へのスマホの持ち込み、保育中の動画の撮影、同室していた他の保育士の無関心、園長や主任の監督責任など、不信感は募るばかりだ。
 保育所や保育士不足が、「保育の質」の低下を生じていることは否定できない。「保育の質」とはすなわち、保育士の資質能力不足に他ならない。それにしても、このような論外な保育士の出現を抑制する方法はないものか。
 例えば、保育所では4歳児30人に対し1名の保育士がつくというルールがあるが、それを3名に増やしてみるのはどうだろう。人件費という大きな課題は残るが、少なくとも保育の密度を上げることはできる。もち論、その場合は保育士間での連携協力関係の確立が前提条件である。
 保育室・託児室に余計なものを持ち込まないのは言うまでもなく、園長や主任が積極的に保育士の様子を見て回ることも必要だろう。保育士の保育に違和感や疑問を持った時、当の保育士にその意向を質すのは当然だ。第三者による観察や評価ならば、より客観的なふり返りが可能で、改善点があればすぐに改善することも可能である。
 保育士による子どもに対する暴行や虐待は絶対にあってはならない。それを防止するためには先ず、保育士たちがこのことを再度、肝に銘じる必要があるだろう。


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