おじいクボマ~ル@青空保育園 since 2023

定年前に大学教授から保育園長に転身した「おじい」のブログです。誰にでも開放していますので、ご投稿も歓迎です!

子どもをダシに使って良いのかな? by 久保田

2017-10-08 05:35:42 | 自由投稿
 昨日、JR三島駅の前を通りかかった時、幼い子どもたちの必死そうな大声が聞こえた。
 「なんだなんだ?」と思って耳をそばだてたら、「赤い羽根にご協力をお願いしや~す」とのこと。あ、そうか、今年もまた「赤い羽根」募金のシーズンになったのだ。
 傍らには、「赤い羽根共同募金」を書かれた幟旗を持ったオトナが三・四名立っていて、別の幟には「子供会連合会」と書いてある。自分もかつて子供会の役員経験があるからピンときたのと同時に、「おかしくね?」という強烈な感覚が生じた。
 オトナたちが募金を呼びかける声がないのだ。子どもたちは声を張り上げ「お願いしやーすっ!」とやっているのに、オトナは横でニヤニヤしているだけ(失礼だったらすみません!)に見えたからだ。
 募金活動に限らず、色々なイベント等で人寄せのために≪子どもをダシに使う≫という場面を目撃しないか。子どもが必死になって何かしていれば、親だけじゃなくオトナはついつい誘き寄せられてしまうのだ。
 良いことだと思うよ、基本的にそれは。それこそ、「子ども・子育て支援」の原点や原型となる僕たちの感覚だからね。しかし、それを悪用とまでは言わないが、子どもを利用して人集めしようとオトナが企むのはちょっとなぁ、と、思う。
 自分だって子ども時分に、色々な行事に駆り出された。交通安全パレード・防火週間パレード・三島大社のお祭りパレード・人権週間パレード・・・ 考えてみたら、その意味もよくわからないまま土曜日や日曜日をつぶされていた。
 極めつけは、「天皇・皇后が車に乗って国道を通るから、日の丸や校旗をトップに全員集合!」がかけられた時だ。ガタイが大きい僕は校旗を持たされ、二時間以上前から国道脇に立たされていた。そして、車内がどうなっているのかわからない車が目の前を通り過ぎた。三秒もかからなかった。僕が天皇や天皇制に対して「変じゃね?」と思い始めたのは、おそらくこの事件からだ。
 子どもには子どもの生活や時間があり、それを自分の意思で自由に過ごす権利がある。行事やイベントの大切さや盛り上げたがる気持ちもわかるけど、そのために子どもたちをダシに使うのは止めたい。なんてこと、思いませんか? 
 保育園の運動会みたいに、彼らが心底自分で楽しんでいるような行事は別としてさ。
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発達障害の診断 by ブラック無糖 with 久保田のリライト

2017-10-08 05:07:39 | 自由投稿
※ 身長や体重と違って、人間の精神世界は可視化することが極めて困難だ。だからこそ、発達障害・学習障害・精神障害・知的障害などはシロウトが軽々に判断できるものではない。「私はこう思う」の積み重ねにより、(とりあえず)正しい診断が下されるのだと思う。そんなことを再考させられる投稿でした。

 大学生初めての夏休み、私は沖縄県の宮古島に旅行に行った。私が泊まった宿はリビングが共用だったため、そこで出会った人と色々な話をしたり、食事をすることがあった。そこで4歳と5歳の年子の子を育てるシングルマザーの方から聞いた話がとても印象に残り、考えさせられた。
 二人はとても人懐っこくやんちゃで、元気な男の子達だった。私にとても懐いていて、宿にいる間たくさん遊んだが、その弟君が保育園で発達障害の診断を受けることを勧められているというのだ。私と遊んでいる間、そのような診断を受けることが必要だと感じた瞬間は全く無かったが、保育士から見ると、周りの子より突出してやんちゃだと集団で見たときに教育しづらいということもあり、診断を勧められる事があるとお母さんはいう。きっと教育者から見るとそれだけではないのかもしれないが、母親から話を聞くと、教育者の勝手で決められているなと感じてしまった。
 乳児期の発達過程の中で、極端な活動性の低さ、外界の刺激に対する無関心さ、親に対する愛着形成の不全さや発語の遅れ、始歩の遅れなどが見られる場合、発達障害が疑われるそうだが、そのどれにも該当していなかった。教育者はなにを根拠に診断を勧めたのだろうか。また、このような事はよくある事なのだろうか。実際に現場に出ないと見えない事もあるが、この事について自分も考えたいと思った。何か知っている事がある人は教えて欲しいと思う。

↓ ≪久保田のリライト≫
 宮古島で泊った宿で、4歳と5歳の子どもを育てるシングルマザーと出会った。リビングを共用する所だったので、その他の人とも話や食事を一緒にした。二人の男の子は、人懐こくやんちゃで元気で、私にも懐いてくれ、たくさん遊んだ。
 ところで、弟くんは保育園から「『発達障害』の診断を受けるように」と言われているようだ。一緒に遊んでいる限り、私にはそんな必要は微塵も感じられなかったが、「保育士さんからは、『集団内での保育が難しい』と映るらしい」と、母親は語った。
 「やんちゃで元気」は、視点を変えると「突出している」になってしまう。もち論、専門家である保育士さんの判断を全面否定する気はないが、オトナの見方で勝手に決められているという感覚は否めない。活動性の低さ、外界の刺激に対する無関心、父母との愛着形成の不完全、言語発達の遅れ等の「発達障害」の特徴は、私からすればどれも彼に該当しない。
 だからこそ、「発達障害」の診断や対応の難しさがある。診る側の視点で子どもの評価が大きく変わるということは、珍しいのか日常茶飯事なのか。もっと多くの子どもたちと接する中で、「発達障害」についての知見を広げていきたい。
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時間の流れにブレーキを by Pちゃん(久保田リライト)

2017-10-08 04:30:57 | 自由投稿
※ さすがはPちゃん、なかなかの文章だと思います。書き慣れてきたかな・・・ 文章的にスリム化したら、380字くらいになった。どこに贅肉が付いているかは、各自で判断されたい。

 いつしか蝉の声は聞こえなくなり、着る服の厚さも増してきた。まだ暑いと思い半袖Tシャツで外出し、寒くて上着を取りに戻ったこともある。夏から冬に向かう時の流れは、これほど早い。
 小学生時代は一日が長く、毎日が新しい発見に満ちて輝いていた。大学生となった今は毎日が同じことのくり返しで、そういう発見の日々ははるか遠い。昨日との違いと言えば、大学での授業科目と放課後の用事くらいなものだ。時間の流れがやたらと速い。
 時間の流れをゆっくり楽しむには、意識的に新しいことをやってみると良いらしい。小学生時代に戻れば良いのだ。同じことのくり返しでは、ただ単に日々をやり過ごすだけだ。そのやり方を変えてみるのも一計だろう。
 生活リズムや習慣を見直し、新たな気持ちで後期と取り組みたい。過ぎて行くだけの私の時間に、少しだけでもブレーキをかけたい。

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