昨日、JR三島駅の前を通りかかった時、幼い子どもたちの必死そうな大声が聞こえた。
「なんだなんだ?」と思って耳をそばだてたら、「赤い羽根にご協力をお願いしや~す」とのこと。あ、そうか、今年もまた「赤い羽根」募金のシーズンになったのだ。
傍らには、「赤い羽根共同募金」を書かれた幟旗を持ったオトナが三・四名立っていて、別の幟には「子供会連合会」と書いてある。自分もかつて子供会の役員経験があるからピンときたのと同時に、「おかしくね?」という強烈な感覚が生じた。
オトナたちが募金を呼びかける声がないのだ。子どもたちは声を張り上げ「お願いしやーすっ!」とやっているのに、オトナは横でニヤニヤしているだけ(失礼だったらすみません!)に見えたからだ。
募金活動に限らず、色々なイベント等で人寄せのために≪子どもをダシに使う≫という場面を目撃しないか。子どもが必死になって何かしていれば、親だけじゃなくオトナはついつい誘き寄せられてしまうのだ。
良いことだと思うよ、基本的にそれは。それこそ、「子ども・子育て支援」の原点や原型となる僕たちの感覚だからね。しかし、それを悪用とまでは言わないが、子どもを利用して人集めしようとオトナが企むのはちょっとなぁ、と、思う。
自分だって子ども時分に、色々な行事に駆り出された。交通安全パレード・防火週間パレード・三島大社のお祭りパレード・人権週間パレード・・・ 考えてみたら、その意味もよくわからないまま土曜日や日曜日をつぶされていた。
極めつけは、「天皇・皇后が車に乗って国道を通るから、日の丸や校旗をトップに全員集合!」がかけられた時だ。ガタイが大きい僕は校旗を持たされ、二時間以上前から国道脇に立たされていた。そして、車内がどうなっているのかわからない車が目の前を通り過ぎた。三秒もかからなかった。僕が天皇や天皇制に対して「変じゃね?」と思い始めたのは、おそらくこの事件からだ。
子どもには子どもの生活や時間があり、それを自分の意思で自由に過ごす権利がある。行事やイベントの大切さや盛り上げたがる気持ちもわかるけど、そのために子どもたちをダシに使うのは止めたい。なんてこと、思いませんか?
保育園の運動会みたいに、彼らが心底自分で楽しんでいるような行事は別としてさ。
「なんだなんだ?」と思って耳をそばだてたら、「赤い羽根にご協力をお願いしや~す」とのこと。あ、そうか、今年もまた「赤い羽根」募金のシーズンになったのだ。
傍らには、「赤い羽根共同募金」を書かれた幟旗を持ったオトナが三・四名立っていて、別の幟には「子供会連合会」と書いてある。自分もかつて子供会の役員経験があるからピンときたのと同時に、「おかしくね?」という強烈な感覚が生じた。
オトナたちが募金を呼びかける声がないのだ。子どもたちは声を張り上げ「お願いしやーすっ!」とやっているのに、オトナは横でニヤニヤしているだけ(失礼だったらすみません!)に見えたからだ。
募金活動に限らず、色々なイベント等で人寄せのために≪子どもをダシに使う≫という場面を目撃しないか。子どもが必死になって何かしていれば、親だけじゃなくオトナはついつい誘き寄せられてしまうのだ。
良いことだと思うよ、基本的にそれは。それこそ、「子ども・子育て支援」の原点や原型となる僕たちの感覚だからね。しかし、それを悪用とまでは言わないが、子どもを利用して人集めしようとオトナが企むのはちょっとなぁ、と、思う。
自分だって子ども時分に、色々な行事に駆り出された。交通安全パレード・防火週間パレード・三島大社のお祭りパレード・人権週間パレード・・・ 考えてみたら、その意味もよくわからないまま土曜日や日曜日をつぶされていた。
極めつけは、「天皇・皇后が車に乗って国道を通るから、日の丸や校旗をトップに全員集合!」がかけられた時だ。ガタイが大きい僕は校旗を持たされ、二時間以上前から国道脇に立たされていた。そして、車内がどうなっているのかわからない車が目の前を通り過ぎた。三秒もかからなかった。僕が天皇や天皇制に対して「変じゃね?」と思い始めたのは、おそらくこの事件からだ。
子どもには子どもの生活や時間があり、それを自分の意思で自由に過ごす権利がある。行事やイベントの大切さや盛り上げたがる気持ちもわかるけど、そのために子どもたちをダシに使うのは止めたい。なんてこと、思いませんか?
保育園の運動会みたいに、彼らが心底自分で楽しんでいるような行事は別としてさ。