―ほしいものはにんげんのし―

2017-04-11 | うた

他人の前でさめざめと泣いてみせる母親は

毎日子供に対して、汚い言葉で罵倒する。

さめざめと泣いてみせるような母親が、子供に対してあんな

あんな暴言を吐くのだろうか。そんなタマじゃない。

さめざめとそんな。とんでもない。子供を罵倒するような親は

欠片も救われない。情けなどかけられない。敬われない。

子供を汚い言葉で罵倒する親は、子供をよごしている。

子供に汚物を塗りたくって、その汚物は親の身からはみ出したもので

だからそんな親の子供は不幸だ。きっと一生不幸だ。

楽しいことがあっても

きっと心の地盤は親の汚泥で固まっている。それが基盤と基準になる。

親に親の汚泥を塗りたくられた子供は一生不幸だ。

だから赤ん坊の頃から今でも変わらず、あんな奇声を。

他人をバットで殴り、他人の前で死んでいるかの如く硬直する。

子供の未来だのとほざく前に、今目の前の子供を罵倒するのをやめろ。

子供たちにもう未来は無い。親がこんなにもよごした。

よごされた心はきれいにはならない。なぜならば

子供の心は親が作る。親がいなければ身近な環境が。

子供の心は親が作る。美しさも尊さも、醜い想念も。

そうした基盤から、子供は己の心を徐々に実らせていく。

良くも悪くも。太った心、憎悪しかない心、弱すぎて折れた枝だけの心。

我欲を満たすだけの心。自分では何もできない心。

 

こんな世界にはもう施す処置は無い。無い。

試練は乗り越える為に与えられるのではなく

自ら落とし穴に入りにいく恍惚の為だけにある。

試練は与えられたものではなく、自ら招いた欲求、我執。

この恐ろしい世界を

生き延びて

まわりを見渡せば、

きっとわずかに散らばっているのは薬とプラスチック製品。

人間は残っていない。ぐちゃと潰れたそれらしき汚物が汚泥に溶けてまざって。

汚いものがあるのなら

それは人間の心そのものだ。

汚いものが、その辺にたくさん。身の内にもたくさん。

もうたくさんだ。