―ほしいものはにんげんのし―

2014-05-22 | うた

何故こんなに痛いのだろう。

私は傷つくことには慣れている。

いつも傷ついている。

傷つくのは慣れている。

傷つけられるのには慣れているのに

他者を傷つけるとこんなに痛いものか。

何故こんなに痛いのか。

傷つくことに慣れてしまって

でも傷つけることがこんなに痛いなんて。

他者は毛ほども感じていない。

他者を傷つけるとこんなに自分も痛いのか。

傷つくことには慣れているのに、

自分が傷つくことよりも痛い。

自分を憐れんでいるだけか。

他者を傷つけたように見えて、

そんな気がしていて実は

これっぽっちも傷つけていないのか。

何故こんなに心が痛いのか。

本当に痛いのは自分の心か。

 

頭の中がぐるぐる回って。

いつか誰かを傷つけても、己は何も痛くない

そんな人間になりたい。

 


2014-05-21 | うた

私はまともな話をしたいのだ。

誰もまともな話などしていない。できないのか。

どうしてそんなに大声を張り上げる。

どいつもこいつも大音声で、負けじと絶叫になっている。

うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。

私はまともな話がしたいんだ。ただまともな話を

まともに話すことはもうすでに、人間には無理なのか。

どうしてそんなに大声を出す。あちらで大声を出し、こちらはもっと大音声で怒鳴る。

もっと小さな声で話してくれ。無理だろうが。

なぜあれほどまでに大声なのか。

戦争の始まりはまずこれである。大声。

相手の言っていることが聞こえないから、こちらはもっと大声で怒鳴る。

もっともっと大きくなる。そして殺し合う。汚物と脂と人工物のみがそこに残る。

大声を出せば戦争になる。

だから戦争を回避する方法は簡単。

小さな声で話してみてくれ。常にずっと小さな声で。

小さくても相手にきちんと聞こえる小さな声で。

そうしたら戦争は起こらない。大声になるから戦争になる。

 

私はまともな話がしたいんだ。

どうして人間はそれができなくなってしまったんだ。

まともな話はつまらないから?

面白くもないことでゲラゲラ大勢で笑わなければならないから?

義務?責務?債務?責任?

人の成す技が素晴らしいと誉めそやすのなら

まともな話をやってみてくれ。全ての時間で。

 


2014-05-18 | うた

どうして笑えようか。

未来を約束された貴方達と。

敷かれた道を見ることができる貴方達と。

笑えない。どうして笑えようか。

私は全てを失うことを約束されたのである。

貴方達は未来の道を示され、約束されたのである。

どうして私が笑えようか。笑わなくてはならないのか。

貴方達と。

どうして笑うことを強制するのか。

今更私をどうしようと。

明日には、いや、私が視界から消えたその瞬間から

私のことなど雨粒ほども、いや、霧粒ほども感じない、

記憶に残らないくせに。

そうか、最後に私を辱めたいのか。

これ以上なく、みじめな姿を

さらして指差して、ゲラゲラ笑いたいのか。

哀れでみじめで、愚かで醜くくて、自分達の優越を誇れる為に

そんなに私を奈落よりも深い底に落としたいのか。

他者をいたぶることで、なぜそんなに自分の存在を確認しなければならないのか。

そんなに己の存在は己にとって稀薄なのか。なんと哀れな。

今日も私はいたぶられた。みじめな姿をよりみじめに見えるように晒された。

私が無になればいいのである。こんな風に感じるから私の心は痛いのだ。

無になれば、何もみじめなことも痛いこともない。

あの笑っていた人達など知るものか。霧になって消えることもできない。

私は霧になる。そして再び雨となって落ちる。

無となって霧となって、雨になって川に落ち下る。

大海に出るのは怖いから、そして未来永劫霧となる。

無になるのだ。

一緒に笑う必要などない。

分かってはいるけれども。

それでも私はまだ心があるから。

痛くて痛くてたまらない心があるから。

無になりたくて、なれなくて悔しくて

一緒に笑えなくて笑いたくなくて辱められ。

今更何を。

こんな小さな虫さえもどうにかしたいのか人間は。

 

未来の道を約束された人間と

未来を全て失った人間と

相容れることはない。

未来永劫。

たとえ最後の一人になっても。

 


愛の詩

2014-05-15 | うた

私は世界一の恐がりです。

もはや恐いものなどありません。

小石にけつまずいて、それで倒れて死ぬのなら

それまでのことなのでしょう。

神様は救ってくれません。

救ってくれるのなら、人はこんなに苦悩しません。

信じられるものなどありません。何も信じてはなりません。

突然訪れる、小石にけつまずいて倒れる死、

それで良いのだと思います。

 

私は何が怖いのか分かりません。

地面に伏せて、頭を抱えて震えているので何も見えません。

もう嫌です。頭が痛くてたまらないのです。

何が怖いのでしょうか。

他人を傷つけるということは、自分を傷つけるということです。

自分にはね返って、何倍もひどい傷を負うのです。

それが恐いのでしょうか。

 

私は壊れません。壊れることを許されません。

小石にけつまずいて、倒れて意識が途切れる瞬間まで、否、

それ以後も壊れることを許されていません。

ギリギリと歯を噛みしめながら、

目は二度と閉じることがないくらい見開いて見開いて、

死の世界へすべり込むその瞬間まで

まざまざと現実を見せつけられ

壊れることを許されず

生あるうちのもっとも苦しい時間を存分に味わうのです。

 

本当に恐いこととは何でしょうか。

愛を失うことも、呼吸が止まることも

ただほんとちょっと痛いだけ。

本当に怖いこととは何ですか?

 


2014-05-14 | うた

やはり私は優しいのだろうか。

相手の心情を考えて、心を傷めて苦悩している。

自分の時間なのに

他人の心を考えている。

私は優しいんだと言われた。

私のせいで他者が傷つくのは嫌だ、

傷ついてほしくないと思ったから。

そう思うのは優しいからではなく、至極当然なことではなかろうか。

他者は私が思うほど、決して考えてはいない。

私は考え過ぎて命を縮め、病に侵されている。

他人は考えない。

他人の心など、全く気にしない己になりたかった。

私は優しいのではない。優しくなどない。

世界一の愚か者なだけだ。

他人のことで泣く。なんと愚かだ。