詩
天高く、
君よ、
何ものにも捉われない
自由で鎖に縛られた心となって、
飛べ。
人生を半分も過ぎて独りで暮らしていると、案外貯金があるんじゃないのと言ってくる人もいますが、私に限っては全く財運に恵まれず、かと言って浪費してきたわけでもなく、浪費するだけの収入を得たこともなく、こうして不本意ながら短期間の労働を繰り返していると全くお金は貯まらず、同期の友人は公務員で、結婚もして、マンションも持っていて、関東圏に移り住んだのをいいことに鎌倉やらディズニーランドやら行きまくり、食べたい物を存分に食べ、欲しいブランド品やら散財して、それでも尚お金には困らず、私は食べたくとも体質に合わずに食べられない物のほうが多く、なぜこんなに人生とは違うものなのでしょうかね、と最近富みに思うのです。
私は優しい人だと言われます。
自分が痛い思いをしたくないから、花にも烏にも鍋にも優しくしているのですが、一向に私には誰も何物も優しくはしてくれません。牙を突き立てればよいのでしょうか。
私は人間でありながら人間らしい行動をできるだけとらないようにしてきました。
それが間違いなのでしょうか。
殴り、蹴飛ばし、食べたい物を遠くに食べに行き、油を食し、脂を食し、油を塗り、脂を体に溜め、見たいものを存分に遠くへ見に行き、欲しい物を遠くへ買いに行き、沢山の物を自分の中に溜め込み、自分の家に溜め込み、生涯尽きることのない欲にまみれて生きることが、とても人間という生物らしいことなのです。
それでは私の生き方は、あるがままの人間らしさから、かけ離れているのではないでしょうか。
私が我慢し、私が優しくし、全ては理の中にあるのだから、それが本来の姿でよいのだと無理やり押し込めてきた全ての思いと考えは、間違いだったのでしょうか。
正しく生きるとはどういうことでしょうか。
正しく生きるとは、人間らしい生き方をすることではないでしょうか。
欲を抑えて生きることは、人間らしいとは言えないのではないでしょうか。
だから私のこれまでの人生には、不調和と不具合と歪みと不条理が常に生じてきたのではないでしょうか。
これから刃を持って歩いてゆきます。
その道には何があるのでしょうか。
あっという間に岸から落ちるのでしょうか。