愛詩
他人の前で己の子供を激しく罵るのです。
他人がいれば、他人が見ていれば尚の事激しく罵るのです。
母親にお前は馬鹿かと言われたら、子供はどんなふうになるのでしょう。
どんな道を辿るのでしょう。
子供を馬鹿と罵るのなら、その親ももれなく馬鹿ですが
その親は自分の親にもっとも大切なものを教えてもらわなかった為、
未来永劫鏡に向かって馬鹿と叫ぶのです。
なぜ自分の子供をまるで自慢するかのように馬鹿と罵るのでしょう。
子供を叱りつける様がかっこいいとでも思っているのでしょうか。
そうでしょう。
他人が見ていれば見ているほど激しく大声で、子供を罵るのです。
なぜでしょう。この問いに答えられる人がいるとは思いません。
良識はなんでしょうか。戦争をしないことがいいことでしょうか。
戦争は悪ではなく、欲です。よだれを垂らしている犬ならぬ人の様子です。
戦争のことなどどうでもよいのです。
雌犬は毎日子供を叱ります。子供は狂って毎日暴れます。
皆が狂乱した為、もう誰が吠えているのか分かりません。
規模は違えど、毎日戦争が起きているのです。家という中で。外でも。
まずは海を見ず、己の手の平を見ましょう。
己の姿は見れないのですから、せめて手の平を見ましょう。
手も顔も胴体も何もかも、己の内側を映していないものはありません。
一生同じものはありません。健康的な表面、病的な顔色、匂い、瞬きの間隔。
毎日手入れを怠らなかったのに、ボロボロに崩れてやがて剥がれ落ちました。
肌も心も、毎日手を出すと、当然崩れ落ちます。
一生懸命抗おうと、あがなうのです。あらゆる欲は満足に達しません。
何をどこまですれば、戦争をしなくなるのでしょうか。母親は子供を罵らなくなるのでしょうか。
未来未来と言うけれど、己の今の姿を確認できなければ未来などありません。
明日のことを考えるのは人間だけ。未来は無い。明日は無い。
だって毎日母親が同じように子供を罵るのだもの。毎日同じように。
きのうと何が違う。それとも毎朝になれば、ゼロにリセットされるのか。
免罪か。毎日母親に罵られて、時は降り積もり、そして子供はどうなるのか。
明日を夢見ると言うのなら、楽しみだ。こんな楽しみはない。
しかしできるだけ関わらないように毎日注意するのだ。
ただ見ているだけならば、人は神にでもなれる。