―ほしいものはにんげんのし―

狂人の詩

2015-10-16 | うた

隣人の記録:

 

わずかきのうの事を思い出せない。

互いに示し合わせていたのなら笑える。

外に出たら、咳をしよう。

最初は男だった。

これまで一度も咳をする音は聴いたことがないので

不自然であると断定する。

次は女。

女が咳き込むことも聴いたことがないので

何を考えているかなど、考えはしないが

あまりにも愚かしいのでもしやと疑う。

常識は無いが、もしかしたら並み以下の馬鹿かもしれない。

確信する。

全てに一貫性が無い。これが重要。

咳をしたのはわずか二日間だけ。

その前までは、

私も他人のことなどどうでもよいので記録的に覚えてはいないが

トイレかどこかの扉を強く閉める行為だったはず。

その前は、わざわざ玄関まで行って玄関の高い段差を降りて

玄関扉を開けて強く閉める行為。やはり扉が鍵か。

ちなみにほとんど鍵は閉めない。

玄関の扉と平行して、窓も叩きつけるように閉める。

叩きつけ過ぎて窓が完全には閉まらずはね返り、また閉めていた。

咳以外の行為は全て女の仕業である。

男は無関心なのか馬鹿馬鹿しいと思っているのか

しかしこの二日間の咳行為は男が手始めだった。

しかしもう今日は無かった。

その代わり、他人の車に乗せてもらっているのにも関わらず

三十分くらいアイドリングをし、エアコンをかけ、

18時になったら降りてきた。車から家の玄関までの距離において

咳はなし。もうやめたのか。一貫性のない人間達だ。

どうせなら石を投げ、窓を破り、指を差して笑えばいいのに。

 

窓際に張り付き、耳をそばだてる。

反応に対してはダイレクトに反応する。

故に耳をそばだてていると確定できる。

男が仕事から帰ってきても、玄関の明かりはつけない女。

真っ暗なのに。

でも夜の10時に三歳児を連れて外出する際には

玄関の、まるで呪いのような赤い光をつける。

 

夜中の2時半に女は起きていた。

私が起きた気配に反応し、電気を消した。

何故?

朝方の4時に女は起きていた。

また私が起きた気配に気づいたらしく、電気を消した。

寝ないのだろうか。

寝ない女の、わざわざ玄関まで降りてきて扉を開け強く叩きつけて閉め、

そして内でも外でも激しく叫ぶ女の子供は

やはり叫ぶようになった。

そんなことは言わずとも知れた道なので驚かない。

女と男の家には男児もいたはずだが、最近は存在を聞かない。

実際に生きている音が何もしない。

学校へは女が車で送る。時間にして1分半の距離。始業ぎりぎりに。

帰りも迎えに行く。しかし下車し、家の中へ入るまでの足音が一向に聞こえない。

足が無いのかとも思う。しかし私は耳をそばだてないので

そこにある情報だけでこれらを全て推測す。

情報とは全て音のみである。姿を見たことは一度もない。

見たいとは思わないから。見たくないものは見ない。

見ないほうがいい。見たくもない。不快になる。

不快なものは欠片もいらない。

 

一貫性がないので、咳はもう復活しないだろう。

しかし一貫性がない故に、時々思い出したように

嫌いな猫に石を投げる。比喩である。

石を実際に投げるくらいなら、いわゆるいじめられっ子は死なない。

私なら、たとえ己の拳が砕けようとも、害成す相手には容赦はしない。

己の命を脅かすものは親であろうときのうまでは親友と確認し合った仲でも

ぶちのめす。条理である。仔猫でも当たり前にある本能である。

一貫性のない行動というものは私には欠片も理解できないので

当たり前の条理を隣人に当てはめてはいけない。

しかし馬鹿なのは確実なので、これからも一貫性のない馬鹿な行動は出てくるだろう。

常にしてやりたいであろうことは認識済みである。

第三者に告げ口をして、叱ってもらいたいのだ。

自分で石を投げる勇気と思考力と肝っ玉がないから。

つけいるネタを、耳をそばだてて探り、第三者に告げ口する。

自分達は被害者だと。

結局は他者がどうなっても、自分達は一向に満足できないのに。

過剰に食べ、病気になっても食べる人達と同じように。

満足はしないし、一貫性のない行動も発言も

自分の意志でやめられるものではないし、

果てはないけれど、他者をいじめることだけは一生懸命やる。

他人の道にすでに連なっているが、気付いた時には

(気付けばの話だが)年老いている。ただ時間だけが経っている。

 

咳の奇行もそうだが、最近は特におかしな行動が増えてきた。

叫ぶようになった子供は来年小学校に上がる年のはずである。

幼稚園にも保育園にも行っている様子はないが。待機児童ではない。

そんな歳までずっと女と家の中で常に居た。

幼児を夜中に車で連れまわすのは以前からのことだが

社会性を欠片も身につけずに、いきなり小学生になれるものだろうか。

しかし他人の事なのでどうでもいい。なるようになるだろう。