とね日記

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現代の熱力学:白井光雲

2013年01月03日 23時03分22秒 | 物理学、数学
現代の熱力学:白井光雲

内容紹介
工学・物理学の分野へ進もうとする人への,教える立場からではなく,使う立場からの熱力学の教科書。熱力学は成熟した分野であり,ともすれば,古くさい,廃れたというイメージをもたれがちであるが,実際には,広域な領域で熱力学の知識が必要とされている。本書では,熱力学の教科書に多くみられるような抽象的な概念の説明のみに終始するのではなく,工学的応用や環境問題などの実際の問題を実例として取り上げ解説する。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
白井光雲
1983年千葉大学大学院理学研究科修了。現在、大阪大学産業科学研究所准教授。専攻は物性理論


理数系書籍のレビュー記事は本書で202冊目。

寒いから熱力学というわけではない。「量子力学は世界を記述できるか:佐藤文隆」という記事に書いたように、昨年末からエントロピーやエネルギー、可逆性と不可逆性の問題に関心を持っているので、いったん原点に戻って考えるために熱力学の教科書を読んでみたのだ。どうせなら新しい教科書をということで検索して見つかったのが本書である。2011年3月に出版されたばかりだ。教科書としては大きいB5サイズで309ページある。熱力学だから赤い表紙なのだろうとか、著者は書道家のようなお名前だなと思いながら注文した。

フェルミ熱力学」のような名著や良書がたくさんあるにもかかわらず、熱力学を敬遠する人は多い。それはおそらく次のようなイメージがあるからだろう。

- 学問として成熟しているので古臭い印象がある。
- 偏微分を使った似たような式がでてくるので混乱する。
- エンタルピーやエントロピー、自由エネルギーの意味や意義がわかりにくく、何をどう使ってよいのか迷う。
- 平衡状態や準静的過程、熱浴など理想的な条件を前提にするので実用性に乏しい。
- 熱力学は統計力学への橋渡しとしての意義しか感じられない。

著者の白井先生は学生時代に数学が得意だったこともあり、偏微分を使った熱力学には自信をもっていらっしゃったそうだ。しかし、実際の問題を解決しようとすると学んだことは全く役に立たなかったことに愕然とされたという。「500℃の鉄はエネルギー資源としてどれくらい活用できるか?」という問いにすら答えられなかったからだ。英語は学んだものの英会話はできないという状態だ。

大学を出て30年経ち、教壇で教える立場になった先生はこのような状況が全く変わっていないことにお気づきになる。工学の分野の洋書では実用的な熱力学の教科書がすでに数多く出版されているので、物理の教科書として実用的な熱力学の入門書を書けないだろうか?ということで完成させたのが本書なのだ。

このように本書は「実用熱力学」、「応用熱力学」の教科書なのだが、最終的に採用した「現代の熱力学」というタイトルには、先生の意気込みがもうひとつこめられている。

近年、エネルギー問題や環境問題、耐熱素材の研究など熱力学はさまざまな分野で必要になってきている。最先端の物理学はなにも素粒子物理やナノテクノロジーばかりではない。高度な非平衡熱力学を持ち出さなくても、大学初年度で学ぶ古典熱力学を使って解決できる問題はたくさんあるのだ。そもそも熱力学は現象論にもとづく経験科学である。現代の物理学に要請される最先端のありとあらゆるテーマが熱力学を使って解決できることを学生に示したい。そういうお気持ちが「現代の熱力学」というタイトルにこめられているのだ。

本書の目次はこの記事のいちばん下を参照いただきたい。そして本書の概要は、白井先生による次のページでお読みになることができる。

白井光雲著 「現代の熱力学」 (共立出版,2011)
http://www.cmp.sanken.osaka-u.ac.jp/~koun/therm/therm.html

本書の全体の構成は熱力学第0法則から第1、第2法則という既存の教科書が採っている順番に従っている。各章は次のように4つの部分から構成されている。

1)基礎概念、基本となる法則や式を紹介する部分
2)例題と解答を紹介しながらテーマを掘り下げて解説する部分
3)章のテーマに沿ったさまざまな演習問題を提示。ヒントや考え方、回答を示しているのが半数くらいある。
4)章のテーマに沿った興味深い話題を紹介

例題や演習問題として取り上げられる内容は、ボイラーやタービンなど工学的なものにとどまらず、発電や蓄電、車の燃費、電子レンジやエアコン、隕石や宇宙工学、気象現象や地球物理学、人体の熱、バクテリアの運動、化学反応などありとあらゆる範囲をカバーし、どれも魅力的な問題ばかりだ。「こんな問題も解けてしまうのか!」と感心させられっぱなしだった。さらに超伝導の問題まで紹介されているのには驚かされた。

例題や演習問題は具体的な数値を与えて解くものばかりだ。計算に必要な測定に基づく数値は巻末の表に示されている。例題や演習問題が非常に多いのも本書の特徴だ。

特に印象に残った興味深い問題を章ごとに紹介しよう。

第1章:風車の問題:直径12メートルの風車がある。これが平均風速10メートル/秒の地域に設置されたとして、その最大出力を求めよ。

第2章:ガラス板の温度差:厚さ3ミリメートルのガラスの窓がある。その熱伝導度はκ=1.2×10^(-2)W/(K・cm)である。このガラスを通して室内から室外へ熱流 J=0.01W/cm^2が横切る。このときのガラス板の両面の間でできる温度差ΔTを求めよ。

第3章:スペースシャトルの断熱:スペースシャトル表面の断熱材としてNASAではシリカのファイバーによる特殊な耐火レンガを用いている。これは1200℃でも非常に低い熱伝導度κ=0.5W/(K・m)を保つ。表面温度を1200℃として、この耐火レンガはどれだけの厚さであれば内側の温度を50℃に保てるか?スペースシャトルを半径a=1.5mの球として考えよ。

第4章:太陽電池の効率と電力:地球表面からは太陽は6000℃の高温熱源とみなせ、表面積あたり1.3kW/m^2のエネルギーを降り注いでいる。地表上で動作する太陽電池の理論上の最大効率を求めよ。我々の使っている電卓が表面積10cm^2の理想的な太陽電池で動かされるとして、得られる最大電力を求めよ。

第5章:燃料の価値:燃焼熱にはさまざまなものがある。同じ燃焼熱Q=100kJとなるように燃やす量を調整することができる。同じ量の燃焼熱を発生してもそのエネルギー資源としての価値は同じではない。燃焼温度が違うからである。燃焼温度がT=1500℃とT=500℃のものではどちらが利用価値が高いか?

第6章:スケーターによる氷点降下:スケーターが履くスケート靴のエッジの下では、その圧力のため氷点は下がっている。スケート靴のエッジは幅1ミリメートル、長さ25センチメートル、スケーターの体重を60キログラムとして氷点がどれくらい下がっているかを求めよ。

第7章:真水を得るためのコスト:海水を電気ヒーターで蒸発させて真水1リットルを得るための電力コストと、逆浸透膜を利用して真水1リットルを得るための電力コストを比較せよ。ただし逆浸透法のエネルギー効率を50パーセントとする。


熱力学第二法則、つまり可逆過程と不可逆過程の説明も興味深かった。第二法則については多くのページが割かれている。

通常可逆過程というと惑星の運動や真空中での振り子の運動を思い浮かべる。熱伝導は元に戻すことができない不可逆過程の代表的な例で、ほとんどの自然現象は不可逆過程である。しかし、可逆な物理現象はいくらでもあることを本書は教えてくれた。

たとえば水の蒸発である。蒸発した水の温度を下げれば水蒸気は水に戻る。ひとつひとつの水分子は元にもどる可逆運動をしているわけではないが、全体的な状況としては可逆なのだという説明がなされている。熱現象の中には可逆過程とみなされる例がこのほかにもいくつもあり、本書では具体的な計算を示しながら解説されている。

理論的な計算結果と実際の測定値が一致しない例についても本書では紹介されている。たとえばごくありきたりな「水」がその代表例だ。水分子は分極をおこし、液体の水は「クラスター」と呼ばれる塊で構成されていることや、水が凍ってできる結晶は何種類もあることなどがその原因だ。日常いちばん馴染み深い「水」が極めてユニークな性質をもつ存在だということが計算上でも確かめられたのが興味深かった。

このように本書は斬新でいいことづくめのような気もするが、2つほど気になった点があった。

1つは大学1、2年で初めて熱力学を学ぶ学生にはハードルが高すぎると思った。各章の冒頭で基礎概念や法則、式などが紹介されているが、あっさりしすぎていて初学者には理解しにくい気がする。この部分は通常の熱力学の教科書のように順序立てて説明したほうが入りやすい。初めて学ぶ方には「フェルミ熱力学」または「熱力学を学ぶ人のために:芦田正巳」(PDF)と合わせてお読みになることを僕はお勧めしたい。

2つ目は演習問題のすべてに解答が与えられていない点だ。白井先生のお気持ちとしては、実際に自分で手を動かして計算してほしいということなのだろうが、計算結果が正しいのかどうかがわからない。問題の数が多いだけに答え合わせができないというフラストレーションが残ってしまう。この点については解答本として出版されるか、ネット上に解説と解答を掲載してほしいと思った。


本書は特に既存の教科書で熱力学をひととおり学んだ方にお勧めしたい。熱力学に対するイメージがこれまでとは全く違うものになることだろう。

本書の各章末には和書、洋書を問わず参考文献が紹介されているが、全体を通じての参考文献、さらに勉強を進める際に役立つ本ような次の本が紹介されている。

熱力学および統計物理入門〈上〉:H.B.キャレン
熱力学および統計物理入門〈下〉:H.B.キャレン
図説 基礎熱力学
図説 応用熱力学
熱物理学:チャーレス・キッテル, ハーバート・クレーマー
熱物理学・統計物理学演習―キッテルの理解を深めるために
現代熱力学―熱機関から散逸構造へ:イリヤ プリゴジン, ディリプ コンデプディ
図解 熱力学の学び方(第2版):北山直方」:お勧め!白井先生はこの本ではじめて熱力学の現実の計算力が養われたそうだ。(紹介記事


本との出会いは一期一会である。今回は素晴らしい本と巡り会えてとてもうれしかった。

関連ページ:

フェルミ熱力学:エンリコ・フェルミ
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/216e71aa30d5376730170863b5f9070a

熱力学―現代的な視点から(田崎 晴明著)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/b4897aa001b274d176c3d676f691ced2

はじめて学ぶ物理 [熱力学]: 野田学
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/357c6de68655e6d435fa47909f8b055a


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現代の熱力学:白井光雲


注意:(*)マークの箇所は大学の半期の授業では省ける項目

はじめに

第0章:熱力学の目的

第1章:熱力学の諸概念
- 状態量
-- 示量性、示強性
- エネルギー、熱、仕事
-- 内部エネルギー
-- 熱
-- 仕事
-- 状態量でない量
- 熱平衡
-- 熱的相互作用
-- 熱力学第0法則
-- 温度スケール
- 単位
●Topics:さまざまなエネルギーの比較

第2章:簡単な物質の性質
- 理想気体の状態方程式
- 熱運動
-- エネルギー等分配則
- 理想気体の内部エネルギー
-- 内部エネルギー
-- 状態方程式の微視的理論
-- 物質の静的性質
-- 比熱
- 理想気体における種々の熱力学過程
- ファン・デル・ワールス気体(*)
- 物質の相(*)
-- 水の相転移
-- 蒸気圧
- 動的性質(*)
-- 乱雑な運動とエネルギーの緩和
-- 物質の動的性質
●Topics:熱雑音
●Topics:生物におけるゆらぎ

第3章:熱力学第一法則
- 第一法則
- 準静的過程
-- 状態量が定義できる条件
- 定常状態(*)
-- パワーのつりあい
-- 熱伝導
- エンタルピー
- 開放系(*)
-- 開放系でのエンタルピーの役割
-- 流れのある系
-- 絞り過程--ジュール・トムソン効果
-- 工業的応用例
●Topics:反応速度

第4章:熱力学第二法則
- 熱機関
-- 熱機関の必要性
-- 熱機関の例
-- 熱効率
- 可逆過程、不可逆過程
-- 熱力学的可逆性
-- 可逆性、不可逆性についてのさらなる議論
- 第二法則
-- カルノー機関
-- 第二法則の表し方
-- 冷凍機関
-- 実際の熱効率と内的可逆機関(*)
●Topics:スピーカーで冷凍?

第5章:エントロピー
- エントロピー
-- 状態量としてのエントロピー
-- エントロピー増大則
-- エントロピーによる過程の記述
- エントロピーの計算
-- 可逆過程で結ぶ
-- エントロピーのつりあい(*)
- 理想気体の計算
-- 同種分子からなる気体
-- 混合エントロピー
- エントロピーの物理的意味
●Topics:ナノテクノロジー--ゆらぎを制する爪歯

第6章:第二法則の発展(*)
- エントロピー増大則とエネルギー極値の法則
-- Uの最小化
-- Fの最小化
-- Gの最小化
- 化学ポテンシャル
-- 2つの相の平衡
-- 化学平衡
-- 反応熱、親和力
-- 反応の濃度依存
-- ファン・デル・ワールス気体のエントロピー
- 平衡状態への回復
-- エントロピー生成の最小化
-- 電流分布の問題
- 熱力学第三法則
-- ネルンストの定理
-- 第三法則の証拠
-- 第三法則の破れ
- エントロピーの絶対値
-- エントロピーの測定
-- 具体例
●Topics:CO2問題

第7章:第二法則の工学的応用
- 最大仕事の原理
-- 不可逆性の評価
- 熱機関の第二法則からの解析(*)
-- ランキン機関はなぜカルノー機関にしないのか?
-- ランキン機関の詳細検討
- 化学反応における可逆過程
-- 燃料電池
-- 電気化学反応におけるΔGの測定
- 濃度差の利用
-- 混合過程
-- 浸透による仕事
-- 分離・精錬過程
●Topics:デジタルコンピュータの限界

第8章:統計力学序論(*)
- 孤立系の統計
-- 微視的状態を数える
-- 統計力学の基本過程
- 熱浴と相互作用する系
-- ボルツマンの原理
- エントロピーの統計力学的解釈
- エネルギー等分配則
- エネルギーのゆらぎ
- 水素分子の回転運動

参考文献

付録A:物理定数表

付録B:多変数関数解析

付録C:数値テーブル

索引
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4 コメント

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化学以外で、、、 (通りすがり60歳元電気技師)
2013-01-05 20:00:54
私も熱力学を習ったけど、なんの役に立つのかいまだにわかりません。
返信する
Re: 化学以外で、、 (とね)
2013-01-05 20:09:19
元電気技師さま

コメントありがとうございます。
そうですよね。この本を読むまでは僕もそう思っていました。せいぜいタービンやボイラーを設計するときに使うのだと思っていました。
でも、この本を読んで熱力学の適用範囲がきわめて広いことに気が付きました。記事ではごく一部を紹介していますが、ぜひ図書館か書店で立ち読みしてみてください。
返信する
電子も粒子 (つくばねの和歌)
2014-06-29 07:09:46
 熱力学を難解にしているのはニュートン力学との対比で学問の導入を行わないことに起因している。
同じ質点系の力学なのになぜにこんなに違うのかをわかり易く述べる必要があるのに、それを歴史的発展経緯と法則を押し付ける形がとられるのが普通であり、ここでこの学問が何をいっているのかわからなくなる人が多く出る。
 また、経験から積み上げた印象を十分作り上げた後、すこし遅れて、その背後にある数理を「統計力学」として説明し始めるが大多数のファン獲得に失敗した後なので、その数理に追いつく人間が減少する。
 あるいは物質化学で執拗に出てくるexp(-Q/RT)といわれる、アレニウス式(ボルツマン因子)をまたへんてこなラグランジュの未定乗数法で導出しようとするが、こんなものは大気の高度に対する圧力分布の依存性をモデルとして導出するほうがわかりやすい。
 意図的に学問をわかりにくくさせている原因は、国威発揚や宗教的信念を学問に持ち込んでいることにあるのかもしれないが、もしもそうであったら合理性はない。
 ニュートン力学と違うこの質点系の力学はやたらと天文学的に多い質点の挙動を運動量や位置ではなく圧力、温度で語るのだが、何故そうなっているのかを初学者に語るわかりやすいコンセプトが欠落しているのは間違いない。
 それは等確率の原理というコンセプトを導入するしかないと思っている。これはニュートンの明快な確実性の原理と対極な不確実性の原理であり、簡単に言うと未来の運動挙動がまったくわからない粒子群でも、多大な集合体であれば、数学の技法で無限大で漸近する関数群を用いて統計量として予測が可能になるのが物質(原子の甚だ多数の集合体)や統計処理的な人間社会などの基本的性質だという話である。
 等確率の原理は、まさに一瞬先は闇と思える状態を、見事に予測できるシステムに描き出すこともできるし、統計学で中心原理とみなされる、正規分布は等確率の原理から導出される拡散方程式の解であるという金科玉条主義を破壊することができるし、さまざまな産業で日々苦戦するエンジニアの主要課題の一つであるバラツキの原因の本質が理解でき、変な確率密度関数も信じないし、だからといって正規分布に強制的に当てはめることもない合理的なバラツキの制御の態度を身につけたエンジニアができる。そのとっかかりが等確率の原理なのです。
返信する
Re: 電子も粒子 (とね)
2014-06-29 09:24:18
つくばねの和歌さま

コメントいただき、ありがとうございます。
熱力学がなぜ今のような学問体系、難解な学問体系になったかは山本義隆先生がお書きになった「熱学思想の史的展開〈1〉~〈3〉」をお読みになるとよくわかると思います。
返信する

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