畑を掘り、木を彫り、石を刻り、の自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

「優しさ」は「優しくない」

2017-01-06 08:45:49 | 日記


「あなたの叔父さんは、一度だって手荒なことをしたことがなかったわ。
いつもいつも優しかったわ。
でもね、本当には優しくなかったのよ。
それが分かったのは、ずっとずっと後のことだったわ」

「ね、わたしがあなとの叔父さんを恨んでいるのは、あの人は女に何の注意もしないという
ことよ。
ねえ、考えてみて頂戴。わたしが〇〇と一緒になったのは17歳のときよ。
17歳の娘が、しかも田舎出の娘が何を知っているというのでしょう?
(中略)
どうしてお酒をやめろと言ってくれなかったのでしょう。
どうしてお金は大切にしなければならないと言ってくれなかったのでしょう。
節度というものが分からないのが女なのよ」
やがて夫の教育放棄により「立派な悪妻」へ。

親の監督責任。

親が子を、あるいは夫(妻)が妻(夫)を、更には先生が生徒を、上役が部下を
「正しい」タイミングで叱り、節度を教えるのは実に難しい。
その理由ははっきりしている。
叱るよりも、優しくしている方がはるかに楽だからである。

鹿島 茂氏の本に上記の如く全く同感の著述がありました。
お正月には息子や娘が子供(小生からすれば孫)を連れて帰省してきました。

みんな元気な顔を見せてくれました。
そして
「こういうことが出来れば、こういう習慣をつければ更にステップアップする」
と思っても、相手に素直に受け入れなければアドバイスは発することによる気まずさ
だけが残り、それが自分に降りかかってくるだけです。

相手に受け入れられるタイミング、話し方を熟慮し、家内とも相談することになります。
特に小学生高学年以降の孫へのアドバイスには少し、かなり気を遣います。
夫々の家庭における教育方針もあるからです。

「アドバイスの先送り」は避けたいですし、それぞれの家庭内にほんのちょっとだけでも
踏み入れることは難しいものです。

元気な顔を見て、後は見て観ないふりをできれば楽ですが。
生きている間に長年の経験を経た老人の知恵を、と少し考えた新年でした。