古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

乳がん

2009-06-23 19:39:04 | 乳がん
病気になって見えてきたものもある。
どうしようもなかったこともあるが、自分がこれほど前向きに病気と向かい合うような性格だったかなと思うこともある。

[闘病中のユーモア話」(2)

(その1)病気自慢
同級生から電話がかかった。

同級生の一人が肺がんで亡くなった。
同窓会の会長に電話したら、会長は仕事が忙しいのでおまえさんに電話してとのことだった。
おまえさんに電話しておけば、同級生への連絡やお供えなどみんな段取りしてくれるからと言われたから、頼むわ。

私、乳がんで手術して今、抗がん剤の治療中なの。これまではやってきたけど
今だけは出来ないから他の人にやってもらって。お葬式にも参列できない。

そうか、それはたいへんだ。
だれかに頼むからいいわ。大事にせよ。

有難う。次のはっぱ年(64歳)の同窓会までには頑張って元気になって、またお世話をするから今回は頼むわ。
でも、もしもダメだったら線香の1本でも立てに来なさいよー。

そんなこと言うならわしも言うけど、この前の還暦の同窓会のあと、わし死に掛けたんだぞ。
心筋梗塞で危なかったんだぞ。
がんはジワジワだけど、心臓は一発でコロリだぞ。

それは大変だったね。
還暦の時の、お祓いの包みが少なかったかもしれないよ。
はっぱ年の時は、会費を上げてもっとたくさん包んでしっかり拝んでもらおうよ。


乳がん

2009-06-21 12:10:57 | 乳がん
古里の暮らしを伝えるという当初の目的とは少しずれますが今回は
「闘病中のユーモア話」(1)

平成20年4月末、乳がんと診断された。
1年後の検査では今のところ、再発は見つからなかった。

いろいろ経過も書きたいが、経験者のブログも沢山ある。
私が今、いいたいことはただ一つ。私の場合は役に立たなかったが、
それでも「乳がん検診に行ってください」と叫びたい。

(その1)頭髪
抗がん剤治療のため、頭から体から毛が全部抜けた。
頭は、家ではバンダナふうにしたり毛糸の帽子をかぶったりし、外出時はかつらをつけた。
暑い時、寒い時今までと感じ方が全く違う。頭髪の断熱性はすごいものがある。

元の同僚で頭髪の薄い方にその話をした。その答え。
「おまえは急に抜けたからそう感じるんじゃないか。わしは何年がかりで薄くなったから、顔の面といっしょで、鍛えられてそれほどでもないで」
なるほど。

(その2)パソコン
病院で、いつもの診察室がいっぱいなので今日はこちらの部屋へ来てくださいと
案内され、椅子に座った。
「変わったことはありませんか」の問いに、私は、お医者さんは忙しいし、話すことを忘れてもいけないと準備していたメモを読んだ。
お医者さんはうなづいて聞いておられた。
かなりしてから「そんなに一度に言われても覚えられません」と言われ、「何のことかな」と思ったら、
「パソコンがまだ立ち上がっていません」
パソコンより私が椅子から立ち上がりそうだった。
ようやくパソコンが立ち上がったら、さすがお医者さんは頭が良い。
それまで私が話したことを聞き返しもせず、みんな打ち込まれた。

(その3)千の風になって
闘病中、「千の風になって」という歌が流行し、大切な人を亡くされた方はこの歌でずいぶん慰められるだろうなと思った。

しかし私は夫に言った。
私が死んでから、風になったり雪になったりしてべったり付いていたら、あなたは嫌うでしょう。
私はお墓の中でじっとしていてあげるからね。

夫の反応・・・「そうしてくれ。おまえはわしのことをよく分かっている」
きっと私のことを心配はしているとは思うのだけれど、そんなそぶりを見せないで夫は好きなように動き回っている。

(その4)樹
私と同じころ手術をされた方が亡くなった。
その方のご主人が植えられたと思われる桜の幼木を、夫と散歩中に公園で見つけた。
わたしには、それがまるで奥様を偲んでおられるように思えた。
夫に、「もし私を偲んで樹を植えるとすれば私には何の樹を植えてくれるの」と尋ねた。
一瞬の間をおいて、夫はすぐ答えた。
「花の木(お盆に仏さんにたてる実のついた木)か、しぶ木」
てっきり何か花の樹・・・例えば木蓮とか、梅とか想像していた私はびっくり。
「なんでそんな仏さんにお供えする樹なの」
夫、いわく。「おまえは実用的なものが好きだから」

私の反応・・・夫は私のことをよく分かっている。
畑に作る花だって仏さんにお供えできる切花が多い。
参りました。

(その5)体重
治療中、吐き気があったりして体重は上下しながらも変わらなかった。
治療が終わってから、体重を落とすようにこころがけた。
体の脂肪が女性ホルモンを出すのに関係しているので、私の場合やせた方がいいと、以前から判ってはいた。
ちょっと心がけたら、思った以上に体重が落ち3ヶ月で6キロ落ちた。

診察の時、「なにか変わったことがありましたか」とお医者さんに聞かれ、
「体重が6キロ落ちました」と言ったら、「それは優秀です。講演でもお願いしましょうか。
太られる方が多くて困っています」と言われた。
うれしくなって、いろんな人にしゃべっていた。

あるお医者さんの奥さんがひとこと。
『主人は「患者さんも時々おだてることも必要」と言ってるよ』





2009-06-18 22:43:48 | 日々の暮らし
今夜、蛍を見に行きました。
安来市上吉田町(かみよしだ)という地区です。

夜8時ころからぼつぼつ飛ぶようになり、幻想的な光景でした。
川の流れの音とともに、蛍の光をぼんやり見ていると
とても心が癒されました。

安めのデジカメや携帯電話では写真に写らず、この光景を目に焼き付けて帰りました。

十年位前に見たときより、数は減っている感じでしたが、
地元の方のご苦労に頭が下がる思いです。

これからも、季節の移ろいを楽しみながら過ごそうと思った帰り道でした。

ちまきの季節

2009-06-12 22:30:41 | ちまき・笹巻き
私の好きなちまきの季節になりました。

1年前は、1年後のこの季節を生きて迎えられるだろうかなどと、と思ったりしていましたが、
皆さんのおかげで元気になり、今年は無理をしない程度に笹まき作りを楽しんでいます。
主人は笹採りの他に、今年は笹をさばく(竹の軸と葉を分ける)作業を手伝ってくれました。

ちまきのことを載せたいと思います。

2005年(H17年)6月22日 日本海新聞「潮流」より

[季節の香りの中で」

 私は、3月末に退職し念願の晴耕雨読の日々を送っている。
わが家では、ひと月遅れの節句の時期を迎えると、笹(ささ)巻きを作るのが習慣となっている。

 母に教わりながら家内が手伝っていた時期を経て、いつしか趣味を兼ねた家内の仕事になった。

 今年は、私が退職したので自動的に笹まき作りの協力をすることになり、5月末に笹の様子を見に家内と大山(だいせん)山麓に出かけた。
3月末の冷え込みのせいか例年より幾分生育が遅れ気味であったが、とりあえず大きめの若葉を節のところでポキンポキンと折り、ひと抱え家に持ち帰る。

 それから先は家内の独壇場になり、私は食べる人に専念することになる。
作り方は「ちまき」(芳賀文子著)によると「日本各地のちまきのなかで、今までに見たこともない美しさと勢いを感じさせる」と、紹介されている安来市広瀬町の故岩坂房子さんと同じ本巻き(かんざし巻き)という手法である。

 その作業をじっくり見ていると、笹をさばく、団子をこねる。そして串に刺した団子を柔らかな笹の葉で包み、さらに笹の葉4枚で包み込んでいきイ草でとめる。
なかなか手の込んだ洗練された技である。

 笹のまだ開いていない棒状の部分と開いた葉、そして竹串、ごく小さい葉は飾りにと笹のほとんどを使い切る。また、イ草は穂の部分をかんざしのようにおしゃれに使う。
 団子を、笹でこのように美しく包むという技を見ると、自然の恵みを生かすという先人の創意工夫、知恵に関心してしまう。

 ゆで上がった笹まきは、早速神仏にお供えする。それからやっと私の口に入る。

 笹巻きは少し覚まし、やおら頭部のイ草を横に抜き、包み込まれた笹をはぎ取る。すると笹の香りと湯気の中から竹串に刺された白い団子が現れる。

 これを小皿に用意した砂糖じょうゆにちょいとつけて口に入れると、ほのかの笹の香りとともに団子の柔らかな歯ごたえ、しっとりとした素朴な甘みが口中に広がる。食べるとなぜか「柱のきずはおととしの」と、歌った子供のころに帰るような思いがする。

 兄弟、友人、知人、と年々差し上げる先が増えていくようだが、喜んでもらえるのが家内は何よりうれしい様子である。
商売にすると多少生活の足しになるのでは、などと見ていてからかったりもするが、故郷を離れた方からのうれしそうな声を聞くとき、私もほのぼのとした気持ちになる。

 また、少なくなってきたとはいえ、今もこの地方の各家庭にいろいろな巻き方が伝承されていることを知り、これからもぜひ子どもたちに伝えていってほしいと願う。
 なお、カタラ(サルトリイバラ)の葉で包んだ、カタラ餅も節句の行事と結びついて作られている。
甘い物の少なかった子供のころ、小豆で作られたカタラ餅はおやつの逸品であった。笹まきを食べながらカタラ餅も食べたいなーと甘党の私はつぶやいている。

 知人から退職時にいただいた色紙には「生活は質素に、志は高く」とある。
語るべき志はないけれど質素な中に心豊かな生活を家内とともに過ごそうと、笹とカタラの葉を採りに山へ向う今日このごろである。