(愛知県清須市 2005年10月30日)
清洲城下の外町として栄えた須ヶ口は、美濃路沿いの町であり、津島街道(上街道)の分岐点でもある。
今年の七夕、清洲町と西枇杷島町、そして須ヶ口の新川町が合併し、清須市となった。
洲(須)は川の州、須賀(ヶ)は砂地を表し、何れにせよ川に影響された地ということがわかる。
町の一部が空襲の被害を受けたが、町の区画は往時の名残が見られる。
町の南、上街道沿いの堀江山長谷院には多宝塔があり、天保五年(1834)尾張徳川家斉朝が寄進したものという。同じく寄進された仁王門は焼失し、今は簡素な仁王門が建つ。
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降り立ったこともありません。
身近なところでも知らないことが多すぎる私。
私も一度しか降りたことはありません。
それもほんの一時間ほど。