
(滋賀県甲賀市水口町)
関から霧の中を走り、近江国に入ると雨もやみ、曇りの空模様となった。
貴生川で乗り換え、近江鉄道線に初めて乗る。西武鉄道グループながら、ローカルイメージ濃厚で、田舎の市電といった感じだ。
東海道五十番目の宿、水口(みなくち)に到着。
ここも平成大合併により一昨年訪れた信楽町と共に甲賀市となった。町には、広い道路があまりなく狭い路地をかき分けながら車が走るといった感じである。途中、山車を格納してある建物があった。扉が開かないので裏のコミュニティーセンターに入り、地元のご婦人に伺ってみると、案内してくれた。毎年4月には町内幾つもの曳山が街道筋を繰り出すのだという。巨大な曳山を見て、失礼しようとすると、休んでいってくださいとのことで、寄らせて頂いた。昔ながらの味という餅団子をご馳走になりながら、いろいろな話しに花を咲かせた。この町は干瓢(かんぴょう)が特産で、宿場町であり城下町であることがわかった。普段はこの施設は閉まっているとのことで、運がいいそうである。また、来年の祭りには是非お会いしましょうとのことで、お別れをした。
町の資料が公民館にあるということなので、東海道を少し西進しながら向かう。
街道当時の面影は少なくなりつつあるようだが、風情は残していた。そして公民館でもお話しと資料を提供して頂いた。合併の影響であろうか、少々手入れの悪い水口公園に隣接する歴史民俗資料館を訪れ、国児童文学創始者といわれる巌谷一六・小波記念室と曳山、考古資料等が展示されていた。
最後に水口城を訪れたが、閉門してしまっていたので外観だけとし、来年の祭りと合わせ、次回とすることとし、甲賀水口を後にした。
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