項目A 公務員組織の不合理 → 解体、小さな政府
A-1 高齢者が元気に活躍する社会システム
項目C 国境をなくすために → 歴史
項目D 国境をなくすために → 国際間の問題
(冊子『国境をなくすために』の送り状は2007年10月22日にあります)
(ブログ『国境をなくすために』の趣旨は2008年10月15日にあります)
今朝は、巨大な月がまん丸く、見えました。 18日に降った雪が道の端や屋根にまだ残っている朝6時45分ごろ、あわてて撮った写真です。 東京は氷点下2度の快晴とか、東京へ通勤のために駅まで車で送った帰り道の運転で、遠くの山の雪が薄いオレンジ色に染まり、近くの枯れた木々も赤く霞み、もっともっと遠い地方都市は美しい風景がいっぱいの季節です。
とは言え、今は強い寒気が来ていて、長崎や奄美大島まで雪で大わらわです。 雪かきは都市の場合、踏みつけずに新雪のうちにサーっとかきよせて、労力を使わずに危険をなくしておくに限ります。 腰を痛めるので作業は30分くらいで休まなければなりません。 40歳のころ、東京から3年間の金沢へ転勤生活をしたことで、私は住む土地が変わった時の大きな学習を体験しました。 ちょうど’56豪雪’(昭和56年)のころでした。
このブログは「戦争をしないために国境をなくす」というテーマです。 ISのテロ行為により中東のほうで戦いが続いているニュースが繰り返し報道されています。 ヨーロッパの難民問題も日本ではわかりにくく、アラビア、月の砂漠、イスラム教、石油など、とびとびの知識と今では天を衝く高層建築群とターバンと髭の人々を思い浮かべる程度です。 日本が、芸者、刀とサムライ、電化製品と想定されているのと同じです。 最近になって、日本の文化を評価するテレビ番組が盛んですが。
約150年前の明治時代の日本の人口は3000万人と言われます。 明治維新により江戸時代のサムライが100万人くらい行方知れずだそうです(戊辰戦争もありましたが、海外へ行った人も多いはずと私は思っています)。 NHK朝ドラ『あさが来た』で庶民側の日常生活変化を知らせていますが、薩長政府の明治維新政府は江戸時代のことを都合よく取捨選択した教科書知識にまとめてしまい、今では学校で教えられたことが本物の歴史だと大方の人が信じ込んでいます。 最近は薩長明治政府のいけなかったところを平気で述べるようになりました。 ほとんど闇に葬られていた幕末の歴史が研究されるようになり、興味深いところです。
明治政府の廃藩置県は、ものすごい勢いで社会の仕組みを実質的に変えたことに驚きます。 276の藩は、江戸時代徳川政権の下で、各殿様を中心に他藩への交通も不自由なままそれぞれの自治で賢いエコ生活ができていたと思われます。 例えば、大奥の女性の衣類や持ち物が出入り業者に払い下げられ全国へ流行を発信したなど、無駄のないうまいやり方を様々に考えていたのでしょう。 そして、見事な工芸品を創り出していたのでしょう。 明治政府は下級武士が主体なので、文化面はめちゃめちゃに踏みにじられました。 しかし、人々の生活のなかでは、細々と伝えられた知識や習慣や礼儀が生きていて、それらを見直す風潮になっているのが現在です。
一方で明治政府の廃藩置県は、日本をやみくもに一つにしたので日本列島の中で戦争をしようと思う人はいないのです。 よく見ると本当は、東京、大阪、名古屋、それぞれの気風が違うことがわかってきます。 価値観も違うのです。 しかし、それぞれがグループとなって争いをしようとは誰も思いません。 それくらい、もはや人々はぐちゃぐちゃにまざってしまっているからです。
中東もヨーロッパも、民族国家の考え方を持ち出すと、戦争好きの一部の人に利用されてしまうのでしょう。 宗教や民族のそれぞれのリーダー(日本でのかつての藩主=殿様が廃藩置県で動けなかった)を中心に動かないように、地球を日本列島にみたてて、世界の国々(藩)がたちあがってくだされば、戦争をなくしながら、人々の文化を保持して、気持ちよく生活できる、できるにちがいないと思うのです。
A-1 高齢者が元気に活躍する社会システム
項目C 国境をなくすために → 歴史
項目D 国境をなくすために → 国際間の問題
(冊子『国境をなくすために』の送り状は2007年10月22日にあります)
(ブログ『国境をなくすために』の趣旨は2008年10月15日にあります)
今朝は、巨大な月がまん丸く、見えました。 18日に降った雪が道の端や屋根にまだ残っている朝6時45分ごろ、あわてて撮った写真です。 東京は氷点下2度の快晴とか、東京へ通勤のために駅まで車で送った帰り道の運転で、遠くの山の雪が薄いオレンジ色に染まり、近くの枯れた木々も赤く霞み、もっともっと遠い地方都市は美しい風景がいっぱいの季節です。
とは言え、今は強い寒気が来ていて、長崎や奄美大島まで雪で大わらわです。 雪かきは都市の場合、踏みつけずに新雪のうちにサーっとかきよせて、労力を使わずに危険をなくしておくに限ります。 腰を痛めるので作業は30分くらいで休まなければなりません。 40歳のころ、東京から3年間の金沢へ転勤生活をしたことで、私は住む土地が変わった時の大きな学習を体験しました。 ちょうど’56豪雪’(昭和56年)のころでした。
このブログは「戦争をしないために国境をなくす」というテーマです。 ISのテロ行為により中東のほうで戦いが続いているニュースが繰り返し報道されています。 ヨーロッパの難民問題も日本ではわかりにくく、アラビア、月の砂漠、イスラム教、石油など、とびとびの知識と今では天を衝く高層建築群とターバンと髭の人々を思い浮かべる程度です。 日本が、芸者、刀とサムライ、電化製品と想定されているのと同じです。 最近になって、日本の文化を評価するテレビ番組が盛んですが。
約150年前の明治時代の日本の人口は3000万人と言われます。 明治維新により江戸時代のサムライが100万人くらい行方知れずだそうです(戊辰戦争もありましたが、海外へ行った人も多いはずと私は思っています)。 NHK朝ドラ『あさが来た』で庶民側の日常生活変化を知らせていますが、薩長政府の明治維新政府は江戸時代のことを都合よく取捨選択した教科書知識にまとめてしまい、今では学校で教えられたことが本物の歴史だと大方の人が信じ込んでいます。 最近は薩長明治政府のいけなかったところを平気で述べるようになりました。 ほとんど闇に葬られていた幕末の歴史が研究されるようになり、興味深いところです。
明治政府の廃藩置県は、ものすごい勢いで社会の仕組みを実質的に変えたことに驚きます。 276の藩は、江戸時代徳川政権の下で、各殿様を中心に他藩への交通も不自由なままそれぞれの自治で賢いエコ生活ができていたと思われます。 例えば、大奥の女性の衣類や持ち物が出入り業者に払い下げられ全国へ流行を発信したなど、無駄のないうまいやり方を様々に考えていたのでしょう。 そして、見事な工芸品を創り出していたのでしょう。 明治政府は下級武士が主体なので、文化面はめちゃめちゃに踏みにじられました。 しかし、人々の生活のなかでは、細々と伝えられた知識や習慣や礼儀が生きていて、それらを見直す風潮になっているのが現在です。
一方で明治政府の廃藩置県は、日本をやみくもに一つにしたので日本列島の中で戦争をしようと思う人はいないのです。 よく見ると本当は、東京、大阪、名古屋、それぞれの気風が違うことがわかってきます。 価値観も違うのです。 しかし、それぞれがグループとなって争いをしようとは誰も思いません。 それくらい、もはや人々はぐちゃぐちゃにまざってしまっているからです。
中東もヨーロッパも、民族国家の考え方を持ち出すと、戦争好きの一部の人に利用されてしまうのでしょう。 宗教や民族のそれぞれのリーダー(日本でのかつての藩主=殿様が廃藩置県で動けなかった)を中心に動かないように、地球を日本列島にみたてて、世界の国々(藩)がたちあがってくだされば、戦争をなくしながら、人々の文化を保持して、気持ちよく生活できる、できるにちがいないと思うのです。