国境をなくすために

戦争をしない地球の平和を求めるには、国境をなくすことが必要と考えました。コミュニティガーデン方式を提案します。

厳しさが必要

2015-02-09 11:40:25 | Weblog
項目A 公務員組織の不合理 → 解体、小さな政府
     (冊子『国境をなくすために』の送り状は2007年10月22日にあります)
     (ブログ『国境をなくすために』の趣旨は2008年10月15日にあります)

元柏崎市立博物館長が、漁師が使っていた海辺の小屋のレポートを作成した新聞記事を読みました。 私は50年以上も前に西伊豆の海岸を友人達と歩いていて、泳げそうだということで、あの小屋で着替えようということになった時、皆すごい冒険をしている感じでした。 海の中では浜近くなのにカラフルな魚をみつけて熱帯魚がいると大騒ぎでした。 わきまえと厳しさがのどかに存在した時代だったと思います。

忙しい漁期には、自宅とは別に簡素な小屋が海辺にあって、北海道のアイヌの番屋では共同で漁師たちが過ごす大きな立派なものがあるなど、賢いなーと思います。 現代社会は、歴史や伝統を踏みにじりすぎているとつくづく思います。 日本人は多くの人がよく学習をしているのに、それとは別といわぬばかりの公務員組織がつくりあげた社会システムによって、活かされないという悲しさがありすぎます。 それであって、外務省職員の語学力と外国の風土について民間に劣っているのではないかとさえ思います。 それぞれの国の考え方を踏まえて職務にあたってもらいたい、税金でまかされている仕事を充分にこなしているのだろうかと疑問を持ちます。 留学制度は人数をそろえるだけで、効果や、むしろ逆効果を生じるなどに責任的感覚はあるのだろうかと危ぶみます。 他の官庁でも尊大なままで、誰も彼も官民でその力を利用して、日常生活に及ぼす悪影響の部分を省みず、それが財政赤字を増大させていると私は思います。 口に出せばウルサイ黙れということになってしまう状況でしょう。

自然体で工夫する心や知恵が日本にはあふれていたと今さらながら知るのです。 コンピュータが無かった時代に、サムライがちょんまげの下の頭の中でソロバンを使いながら成分計算をあっという間にして、アメリカ人をびっくりさせたように、今でも多くの日本人の能力は外見ではわからないまま充分に利用されない、発揮されないことを現代政治のあり方に対して考える必要があると思います。

戦後、名古屋から東京へ来たばかりの母が外から帰ってきて「金しだいの世の中だ・・・」となんともいえない顔で言ったのを覚えているのです。 戦後70年もたった今、核家族が当たり前になり、人々は失った知恵のもとで不合理な生活を強いられながら雑誌やテレビで学習中といえます。 対外国には、外務省がルールや必要な知識を提供するべきと私は以前から感じていました。 美容師さんがハワイへ行っていきなり財布をすられたらしく、もうイヤと言ったのですが、外国旅行を奨励するについて、予防注射の他に注意事項をペーパーテストするくらいは必要と昔、思ったのです。
コメント
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