国境をなくすために

戦争をしない地球の平和を求めるには、国境をなくすことが必要と考えました。コミュニティガーデン方式を提案します。

小攘夷と大攘夷

2006-09-28 10:12:57 | Weblog
  項目A 公務員組織の不合理 → 解体、小さな政府

日本人はもともと鎖国(1639~1853、214年)をしていて、‘日本は神国’と思っていたのに150年ほど前のペリー来航で黒船に驚き、江戸幕府は日米和親条約で開国しました。 通商も必要という流れになり、勅許(天皇の許し)をめぐって反対勢力が台頭して条約を破棄せよという京都側の命令に、いまさら撤回できぬと国内は紛糾しました。

江戸時代には鎖国といっても、江戸幕府の長崎出島におけるオランダと清(中国)との交易、長州の朝鮮との交易、薩摩の琉球を経て清国(中国)ほかとの交易、松前のロシアもと、正式や密貿易やがあった! 鎖国を止めて横浜に西洋諸国との交易が始まったということだと思うのです。 そこに経済の変動が生じて国内は攘夷の思想が吹き荒れたのです。

小攘夷は、見かけた外国船や外国人に斬りかかること、でもそれではいけない、大攘夷で富国強兵をして外国の長所を採用し、外国にひけをとらぬ武力をもって対峙しようということになりました。 それが明治維新、明治政府でしょう。 だから、外国の研究成果だけを、そこに至る過程を学ばずに模倣することが平気でした。 その考え方は日露戦争でおしまいにすればよかったのに、方針を知らない国民は軍国主義に進み61年前に敗戦して都市は焦土と化し、アメリカに慰められて生き返り成長してきた人々が今の日本人です。

戦後の経済復興は、公務員組織がリードする多分に大攘夷感覚を利用したものでした。 しかし、もはや、大攘夷で外国を見返そうなんていう考え方は古くて通用しません。 21世紀は、戦争も国境もない平和で豊かな地球を求めるときです。 明治維新以来引きずってきた公務員組織の特権的考え方は、ヒョイと顔を出す大攘夷思想に毒されて方向を誤ります。 公務員組織は解体して小さな政府で出直すべきですと思います。 国をまとめられるのは、今ある公務員組織の力ではないと思う。
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医療費負担ゼロは、誰が負担?

2006-09-26 14:58:39 | Weblog
  項目B コミュニティ・ガーデンの利点や活動

他の区でも行われているところがあるというけれど、世田谷区では現在小学3年までの子供の医療費負担を中学3年までに引き上げるために3億円を計上するという。

医療費をゼロにするわけではないので、医者は何の負担もしていなくて、健全な人が納めている税金が黙って使われる。 医療費が支払えない人に対して医療関係者が改善する意欲はなく、組織はそのままの体制で残り、こういうことは改革にはつながらない。

以前は老人福祉保険のようなものが練馬区にあって、高齢者がこれはいいと入会するので、赤字経営は垂れ流しで区の負担が増えるという驚いた福祉政策があった。 ひどいと言ったら、止める方向だといわれたことがある。

公務員組織がからんで自らを利する単純な算数計算による税金をあてにした運営姿勢について、人々が早く気付いてほしい。 公務員組織をなくして、コミュニティ・ガーデン方式にすることは、近隣の交流で自律的健康増進策が含まれるのです。 余計な回路や人手は不用になります。 お医者さんも、もっと楽しい存在になると思う。
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インターネットで世界が変わる

2006-09-25 08:31:10 | Weblog
項目B コミュニティ・ガーデンの利点や活動の方法
 項目D 国境をなくすために → 国際間の問題

世界中でインターネットを使っていない人が50億人。 世界のネットユーザーは10億人で、今のところ人口の16%の人が情報をやりとりしている。

日本のネット環境は、安くて便利で、私のようなワープロのタイピスト技術程度しかなくてもブログ発信ができるなんて本当にめぐまれている。 電話で問い合わせてカットの取り込みも教えてもらいました。 しかしながら、一方では、幼児を除けば60%の人がすぐそこにあるインターネットを使えないでいる。

話の角度を変えますが、「国家が成立して以来、国民に余計なことを知らせない、その情報格差こそが権力維持の本質だった」と、インターネットの父ヴィントン・サーフ氏と日経ビジネス編集長のインタビュー記事にでていました。 

戦争をなくすために国境をなくそうと思ったのですが、世界中に飛び交うインターネットの情報で国境がなしくずし的に消えてゆくことは、もうすぐです。 そうなったときには、公務員組織の体制は間違っていて対応しないに決まっています。 コミュニティ・ガーデンならば、そこに皆で使える一台のコンピュータがあってみよう見真似で皆が覚えていって、情報格差の人は急激に減ってゆくはずなのです。

インターネットによる変化は津波のようにやってきて、海岸へたどりついたときには巨大な破壊力で一気に一つにまとまった地球を実現させるでしょう。 準備をして待ち構える態勢で破壊の被害を出さないようにすればよいわけです。 高齢社会は日本に一番はじめにやって来るのだから、コミュニティ・ガーデン方式のモデルケースとして着手してほしい。
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戦争で解決するの?

2006-09-24 14:34:55 | Weblog
       項目C 国境をなくすために → 歴史

‘アルカイダは失うものは無いけれど未来がある’と、誰かに操られている相手とアメリカが戦うことは大変です。

一般的な日本人の私は、冠婚で神道に葬祭で仏教にもお世話になるけれど、生活は儒教の教えで暮らしてきたらしい。 らしいというのは、親の生活態度を真似しているだけで、それは、江戸幕府が儒教を生活信条にして封建社会を維持した時代が受け継がれてきているからと思う。

百科事典の「儒教」を見ると、五倫五常 三綱五倫(君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友)の身分血縁的関係をあるべき人倫秩序とし、人間関係を支える必要な道徳が五常(仁・義・礼・智・信)であり・・・、礼(文化)の学習と仁(徳)の修養が〈修己〉の眼目・・・、と難しいのですが、この当たりだと思うのです。

江戸時代以来の生活習慣の上に、戦後は男女同権と民主主義が取り入れられたのです。 とはいえ、日本の女性は、もともと天照大神がいらしたごとく歴史的に家を支える力を発揮しています。 ここが明治時代に来日した外国人が感心するところです。 多くの一般家庭でも、外向きには男性、家の中は女性に任せておけば、円満で堅実と言われてきました。

キリスト教と儒教との食い違いについて学問的には研究されているのだと思いますが、一般的には行動の側面では理解されていません。 生活場面での食い違いは、民主主義だけですと親と子は対等ですし、別個人でもあるし、日本的感覚は通用しないことになります。 親でもどこかの人とかわりないということになってしまいます。 封建社会のように、ご恩と奉公のつながりではありませんが、精神的な形で日本人には強く残っているのです。

親子の間で特別な事情で絶交や断絶が生じると、それがベスト策だとしても心の中では精神的に社会的に葛藤を続けなければならない覚悟が必要です。 キリスト教の場合は敵と味方の分類ですから、ドライです。

世界は西暦2006年ですが、日本では皇紀2666年で神武天皇から数える言い方があります。 韓国でも中国でもそれぞれ国の始まりを置いていて、4000年代に入っているらしいのです。 ユダヤ教は5000年で、今日(9月20日)は元旦だそうです。 それで、「それぞれの相手の国がどのような考え方を経てきたのか」、「どういう時代にどういう考え方を取り入れてきたのか」を、お互いに了解できる研究が始まっているらしいのです。

アメリカは勝者として日本を見るので、君臣の関係で日本人はうけつけますが、対イスラムには通用しないということではないかと感じました。 アメリカ人は努力して勝ち取った自由と言いますが、そういう価値観は負けたほうの人権を無視していることになるので、あまりよいことではないと思うようになりました。 もちろん、努力は尊いことです。
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番外篇

2006-09-20 11:50:26 | Weblog
九州では強い台風で被害がでているときでしたが、乗鞍から上高地のトレッキングの旅行をしました。 15日早朝、5:40ころの10分間くらいに乗鞍連峰が真っ赤に染まってくっきりとあらわれました。 宿の窓から写真を撮りました。 火の山、北斎の赤富士、高い山ではこういう現象があるのですね。 初めて見ました。

小泉首相の退陣で、改革はなくなるのでしょうか? なんだか力が抜けてゆきそう、国境や戦争をなくすことは官僚たちにはできそうもありません。 昭和30年から36年に私は、中学生・高校生でした。 世の中は神武景気(昭和30年~)、岩戸景気(昭和34年~)のころです。 昭和34年にオリンピックを目指していた三浦雄一郎さんは、選手より役員の人数が多いことに疑問をもち、要望を生意気だと言われて自分は2名の選手に選ばれていたのに選手失格・アマチュア資格剥奪で永久追放となり、今考えても理不尽と述べていられます。 47年前に体験されたことが今でも起きていて、個人は50年位で活動期を終えても入れ替わって別の人が同じことを繰り返す・・・。 合理派と感情派、それぞれの考えが一致すればよいけれど、現実社会では多数決で物事が決まるしかない・・・。 科学の発展に比べて人類のあゆみは遅々として何百年何千年の時間がかかる・・・。 生かされているという幸せに感謝しながら、精一杯に生きる。 その上で力の無い個人が命のある限り炎を燃やし続けなければと思うのは何なのでしょうか?


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