近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
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平成29年12月11日 志賀直哉「灰色の月」研究発表

2017-12-20 10:04:58 | Weblog
 こんにちは。
12月11日に行われました、志賀直哉「灰色の月」研究発表についてご報告いたします。
発表者は二年望月くん、一年坂さん、岡部さんです。
司会は前回に引き続き三年長谷川です。

 今回の発表は、主に「私」の語りのあり方と、少年工が体現する〈死〉という禁忌に着目したものでした。
 「私」の語りは、一見客観的事実の列挙に思われますが、その実主観的な面が多分に含まれています。発表者は、「見たものを精確に描きだすことは、自身の精神状態を精確に描きだすことでもある」と述べました。また、自己の感覚がそのまま対象への評価につながる点を指摘しました。
 次に、敗戦後の食糧難とそれによる救いようのない死の予兆は人々にとって暗黙の了解であり、口にされることのない「タブー(禁忌)」であると述べました。この〈タブー〉は、「私」による描写と、乗客同士の会話から意味付けされていきます。先行研究史において特に着目されていた、「私」が少年工を突き返す場面では、このような〈タブー)を身体に有する「少年工を身体で受け止めることを、反射的に拒否してしまった」のではないかと述べました。
 また、最後に日付を明記することで、終戦直後であることを伝え、「一つの歴史的事実として語り収められる」と述べました。タイトルである「灰色の月」は〈タブー〉を照らし出すものであり、山手線の周回と照応して繰り返し続けるものであるとしました。また「作品自体が敗戦直後の状況を語る身体記号」を有しているとしました。
 他に、同時代の受容を考えるとき、当時老大家である志賀直哉の作品であるということを無視しきれないという意見も出ました。

 質疑応答では、先生からは、時代背景の補足説明をいただきました。終戦により職を失った少年工の置かれた立場、行き場をなくした人が集まる場としての上野地下道・上野公園、住所がないため配給を受けることができない浮浪者、闇市などの非合法な手段に出なければ生きていけない実状などをお話しいただきました。前回に引き続き、時代背景の理解の大切さを考え直すことができました。
 また、主観・客観の把握についてや、作家の情報を読み込むことの正当性について指摘がなされました。

 更新が遅れてしまい申し訳ございません。
 今年最後の例会は原民喜「夏の花」研究発表です。第二次世界大戦を別の観点から捉えた作品として、「灰色の月」と併せて考えていきたいと思います。

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