城郭探訪

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千町城  近江国(大津)

2015年12月25日 | 丘陵城

お城のデータ

所在地:大津市石山千町 map:http://yahoo.jp/uElcj0

区 分:丘陵城

現 状:山林(大平山トンネルの上)

遺 構:土塁、平担な突起部、櫓台

築城期:織豊期

築城者:

城 主:

標 高:170m  上水道施設管理道路より比高差:40m

目標地:北千町バス停

駐車場:路上駐車

訪城日:2015.12.23

お城の概要

城跡は、大平山団地の南、石山寺辺町と千町四丁目にまたがる東西に細長い丘陵上にある。高速道路の石山トンネルの上に位置し、大津市企業局の上水タンクの管理道路を利用して、城址直下に車で横付けできる。

高さ0.5~1.0m、幅1.2mの土塁のような土盛りが、東西に長く続いている。また、土塁の東端よりには、平担な突起部が南に向かって認められ、櫓跡か。

 城跡の南側には、石山から京都の笠取・醍醐へ抜ける岩間越えの道が通り、北側は、同じく石山から京都の陀羅谷に抜ける道あり近江国と山城国をつなぐ二本の間道をおさえる位置にある。

大津市の南部、石山と南郷に挟まれた地域。瀬田川に面した地域で町内の中心を東西に流れる千丈川は、古くから蛍の名所で小林一茶が「和睦せよ 石山蛍 瀬田蛍」と詠んだように、昔は多数のホタルが団子状になってぶつかり合う「ホタル合戦」がよく見られたという。

 遠方の鉄塔の右の頂部

歴 史

天正年間(1573~1597)に織田信長の家臣だった小野将監義政が、神崎郡伊庭村(現・東近江市能登川伊庭町)から移住し一千町の新田を開いたのが、地名の由来とされる。

他にも、源平争乱の戦場になったことが、由来との伝承もある。赤川という地名が残っており、戦乱で川が赤く染まったから、との伝承もある。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、おおつの城、大津かんきょう宝箱

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