城郭探訪

yamaziro

広瀬氏館 近江国(長浜)

2016年03月22日 | 居館

本殿背後の土塁神社の北側の堀痕

お城のデータ

所在地:長浜市室町  map:http://yahoo.jp/YF2fCH

現 状:神社・公園・広場・竹藪

区 分:居館

築城期:鎌倉期

築城者:広瀬氏

遺 構:土塁痕?堀痕?

目標地:日枝神社

駐車場:日枝神社横に駐車場可

訪城日:2016.3.20

お城の概要

室町の北端に位置し、大辰巳村の日枝神社と併合された日枝神社の西隣にあって、現在は室町の自治公園になっている地を広瀬兵庫介の屋敷と伝える。公園の北側には数本の溝跡が残っている竹薮があり、公園は土盛りしてあって屋敷跡について詳しくは分からない。

広瀬氏館は、室地区ある日枝神社から西隣の自治公園一帯にかけて築かれていた方形単郭の居館。

公園造成時に、館の遺構などは消滅したか?。神社本殿の裏に土塁痕?公園の北の竹藪内に土塁痕、日枝神社の北側に堀痕の水路。

お城の歴史

『佐々木南北諸氏帳』に、「坂田郡 室 住 佐々木浅井隋兵 広瀬兵庫」の名を記す。広瀬氏館は、築城年代は定かでないが広瀬氏によって築かれた。

 広瀬氏は元来岐阜の広瀬村出身で、天正10年の本能寺の変後、明智光秀の襲来に備えて広瀬兵庫介は「長浜城にいた羽柴秀吉の女房たちを美濃へ避難させた」と言い、その功績として伊吹町甲津原・浅井町高山・木之本町杉野の地で500石を宛がわれている。また、同族らしき者に文禄元年秀吉の馬廻衆として肥前名護屋城に駐屯した広瀬加兵衛がいる。

長浜城博物館より

4.関ヶ原合戦図絵巻

  

1.羽柴秀吉・秀勝連署宛行状 広瀬兵庫助宛

 天正10年6月19日付天正10年(1582)6月2日、本能寺の変がおこり、織田信長は自刃する。当時、秀吉は、信長の中国攻めの司令官として備中高松城攻略の最中であったが、本拠の長浜城内には秀吉の母「なか」と妻「おね」ら秀吉の家族が居住していた。
 信長自刃の凶報は翌日には長浜城にも届き、おね、なか、そして木下家定(おねの兄)らは難を逃れるため、長浜城を出て身を隠すことを計画する。この逃避行に際し、道中の警護を任されたのが、本書の宛名にある「広瀬兵庫助」である。広瀬家は代々美濃国の土豪で、兵庫助はその分家の飛騨国広瀬家の出身と伝わっている。なお、この人選は称名寺(長浜市尊勝寺町所在)の僧・性慶(せいきょう)の進言であったという。
 おね達一行は性慶とともに長浜城を出発し、東草野谷から曲谷・甲津原のルートをとり、新穂峠を越え美濃国広瀬村(岐阜県揖斐郡揖斐川町広瀬)にある兵庫助の館に匿われた。時を同じくして、明智光秀方の京極高次、阿閉貞大らが長浜城を占拠するが、6月13日の山崎合戦で秀吉が光秀を破ったことで降伏。秀吉は17日に帰城し、おね達も19日には無事帰城している。本書は、秀吉とその養子・秀勝(信長4男)が、秀吉家族を西美濃に逃した恩賞として、兵庫助に対し高山(長浜市高山町)・甲津原(米原市甲津原)・杉野(長浜市木之本町杉野)の地で、500石を宛行(あてが)った文書である。なお、同じくこの功績のあった性慶にも恩賞が与えられている。
【縦17.1㎝×横48.6㎝】

9.大坂夏の陣図

2.羽柴秀吉書状 広瀬兵庫助宛 天正11年11月12日付

天正11年(1583)4月、賤ヶ岳合戦で柴田勝家を破り、信長の後継者の地位を確立した秀吉は、この戦いで功績のあった家臣に所領を与えた。本書は、「広瀬兵庫助」が広瀬(岐阜県揖斐郡揖斐川町坂内広瀬)2ヶ村を秀吉が兵庫助に安堵した文書。

広瀬は、羽根・西・北の3ヶ村で構成されるので、この時兵庫助に与えられたのはこのうちの2ヶ村と考えられる。詳細は、美濃を本拠とする秀吉家臣である池田恒興・稲葉一鉄に伝達するとある。
【縦19.3㎝×横43.5㎝】

 ★詫びと削除【織田信長から拝領した(誤報)】⇒子孫の方より指摘で削除しました【広瀬兵庫助歴史館】http://blogs.yahoo.co.jp/pvhu3515

【広瀬兵庫助伝】詳しくは、
http://blogs.yahoo.co.jp/pvhu3515 http://cocologhonobono.cocolog-nifty.com/blog/ http://blog.goo.ne.jp/pvhu3515 などへ。


日枝神社

拝殿

本殿

本殿背後の鎮守の森日枝神社の北側の堀痕

自治公園ぼ北ぼ竹藪

竹藪の西の石仏公園から竹藪竹藪に土塁か? 公園の南東の竹・・遺構か?公園の北の竹藪

日枝神社東側に駐車

滋賀県教育委員会および長浜市教育委員会によって調査
広瀬氏館跡は中世の館跡とされる遺跡、発掘調査の記録はなく配置などは不明。

室町城居立城は中世の城跡とされる遺跡。発掘調査の記録はなく配置などは不明。 

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、長浜城博物館、【広瀬兵庫助歴史館】、遺跡ウォーカー、 長浜市埋蔵文化財調査資料第140集 室遺跡第72次調査報告書  

 本日の訪問ありがとうございす!!


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