城郭探訪

yamaziro

石山砦 近江国(大津)

2015年12月25日 | 

公園化され、瀬田城・瀬田川と膳所城・粟津・石山への見張り。羅漢山の中腹に未完成の砦(詰め城)が残る。

お城のデータ

所在地:大津市石山寺1丁目 map:http://yahoo.jp/MGiwvy

区 分:砦(羅漢山の中腹に未完成の砦(詰め城)が残る。)

現 状:公園・森林

遺 構:築城途中の土塁・平削地・竪堀

築城期:織豊期

築城者:山岡景友(山岡光浄院)

城 主:山岡景友(山岡光浄院)

標 高:190m  100m

目標地:羅漢山公園

駐車場:羅漢山公園駐車場

訪城日:2015.12.24

お城の概要

石山寺の背後の羅漢山頂の北側に羅漢山公園がある。羅漢山から尾根続の北頂部は歩道・階段・公園化され平削地(頂部遺構)は破壊さているが、歩道(ハイキングコース)添いには、曲郭跡や土塁が残る。頂部の平削された公園部から、更に北へ下りる平削地・竪堀・堀切の一部が残る。破壊されたか、普請途中の遺構明確に確認できる。

頂部の平削地(公園)

北東へ下りる

歴 史

『信長公記』巻六 元亀四年

異見十七ヶ条 公方様御謀叛 

 公方様は和談の交渉に対するに、兵をもって報いた。近江堅田の山岡光浄院景友・磯貝新右衛門と渡辺党へ内々に命を下し、かれらに兵を挙げさせたのである。かれらは今堅田に人数を入れ、一向一揆と結んで石山に足懸かりの砦を築いた。これに対し、信長公はすぐさま柴田勝家・明智光秀・丹羽長秀・蜂屋頼隆の四人を鎮圧に向かわせた。 

石山・今堅田攻められ候事の条

 軍勢は2月20日に出立し、24日には瀬田を渡って石山の砦へ取りかかった。砦には山岡光浄院が伊賀・甲賀の衆を率いて在城していたが、砦が普請半ばで守りがたく、26日には降伏して石山を退散した。砦は即刻破却された。 今堅田の攻略は29日朝から開始された。東の湖上からは明智光秀が軍船をそろえて城西方へ攻め寄せ、陸からは丹羽長秀・蜂屋頼隆の両名が城南を攻め立てた。そして午刻頃に明智勢が攻め口を破って城内へ押し入り、敵兵数多を斬り捨てて砦は落ちた。これによって志賀郡の過半は相鎮まり、明智光秀が坂本に入城した。柴田・蜂屋・丹羽の三将は岐阜へ帰陣した。

山岡景友 天文9年(1540年)、守護六角氏家臣の山岡景之の四男として生まれる。はじめは領内にあった三井寺光浄院の住持となり、暹慶(せんけい)と号した。義昭の命で還俗し山岡景友と名乗り、幕府より山城半国の守護に任じられた(翌年には義昭と織田信長の関係が決裂した)。

 

 信長包囲網が敷かれ信長と義昭の戦いが始まると、他の兄弟が織田氏方に付くなか、景友は義昭に従い近江・石山城に立て籠もって抗戦した。しかし、元亀4年(1573)2月26日に織田家臣の柴田勝家に攻められ、織田方に付いた兄・景隆の説得を受けて降伏・開城した。織田家へ仕官後は兄らとともに佐久間信盛の与力となったが、佐久間信盛追放後に高野山へ信盛を訪ねている。

 

1572年(元亀3年)信長は足利義昭に十七条の意見書を送りつけます。その内容については激しく義昭を叱責するものでした。今までは表面的には友好関係を保っていた二人でしたが、ここで対立は決定的となります。しかし、この時期信長は浅井・朝倉・武田・松永などの包囲網に苦しんでおり、窮地に陥った信長は義昭と講和を結ぼうとします。

 

  村井貞勝・島田秀満・日乗などを遣わしますが、信長を滅ぼせるチャンスを掴んだ義昭はこの要求を突っぱね、近江の石山に砦を作り兵を入れ、また今堅田の砦にも兵を入れます。1573年(元亀4年)2月20日、信長は柴田勝家・明智光秀・丹羽長秀・蜂屋頼降らに攻撃を命じます。2月24日まず山岡景友の守る石山砦を攻撃します。この砦はまだ完成しておらず、すぐに陥落してしまいます。この際廃城となったようです。
またこの城は存続し続け、1582年(天正10年)山岡景猶は兄・景隆とともに、本能寺の変を起こした明智軍と戦闘し、この城は灰燼に帰し廃城となったという説もあります。

 

  信長は1576年(天正4年)11月21日内大臣に昇任します。その後石山寺の塔頭世尊院に行き、山岡美作守(景隆)・玉林(景猶)の接待を受け二日間鷹狩りをしています。また、1577年(天正5年)7月12日近衛前久の子である信基の元服式が信長の京での館である二条御新造で行われ、信長は元服式の後、安土城へと帰る途中の13日また山岡美作守(景隆)の所に立ち寄り一泊しています。

 

 

 

頂部の公園から、戻る(駐車場へ戻りの写真)スマホで現在地駐車スペースは、100台位可

石山砦・・・遠望(月見橋から)

羅漢山公園への侵入口http://yahoo.jp/RupCFa

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、信長公記、ウィキペディア、レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

                本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝!!


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