城郭探訪

yamaziro

木戸山城(城尾山城)  近江国(大津・志賀)

2016年04月25日 | 山城
 

お城のデータ

別 称:城尾山城

所在地:大津市(旧滋賀郡志賀町)木戸字畑山

現 状:山林

区 分:山城

築城期:室町期

築城者:田中坊定成

城 主:田中坊定成・佐野秀方(のち十乗坊栄有) 

遺 構:土塁、堀切、帯郭、武者隠し、畝状竪堀

標 高:469.8m  比高差:294m

目標地:木戸山登山口

駐車場:木戸山登山口周辺空き地に路上駐車

訪城日:2016.4.23

お城の概要

 比良山中腹に張り出す尾根の付け根に部分に位置し、尾根筋上約150mに亘って広がっているが、明瞭に遺構が残るのは、最高所の主郭部と尾先部の段郭で中間部は明瞭性に欠ける。
 主郭部は南を除く三方を土塁に囲繞された小じんまりした主郭(17m×11m)に、南から西側に続く帯郭と東側にも帯郭が付帯している。北側は堀切で遮断され、南側切岸上部の主郭一段下に武者隠しが設けられ横矢を効かした防備を固めている。

 城内道は北の尾根越え道から東側帯郭に入り、南へ回り込み主郭に入ったようである。なお、主郭部から死角となる眼下を見張るため、尾先に見張台が設けられたと思われる。
この城跡で目を引く特異な遺構がある。木戸越道から分岐して堀切を通過し荒川方面に下る尾根越え道の西斜面部分90m間で、5、6ケ所もの屈曲が設けられ、また、道の脇には栗石を石塁状に積み上げ、その溝内を通路としている。

お城の歴史

『近江輿地志略』の木戸村の「木戸古城跡」荒川木戸村の間、西の山にあり。今其名を城の尾(木戸山城)といふ。里民傳云。十乗坊といふ者在城すと。木戸十乗坊が事は『武家中興盛衰記補』のもあり。或云ふ木戸越前守在城せしと。信長と朝倉戦争の時は、朝倉方田子左近兵衛氏久といふ者居住す。」と記す。

 延暦寺隆盛の頃に田中坊定成が木戸庄を分領し、堡塞を築いて住したとされるのが、この城跡とされる。元亀の兵乱には、六角氏に属した佐野秀方(のち十乗坊栄有と号した)が在城、籠城した。

 元亀二年織田信長の比叡山焼打の累を受け、翌三年樹下神社の社殿が焼失した。当時織田軍に追われて山中に遁世していた木戸城主佐野十乗坊秀方元亀4年(1573)には朝倉方の馬場兵部丞や多胡宗右衛門尉も守備に就いたようであるが、落城して諸氏は山中に隠れたと伝えられる

道案内

木戸集落の樹下神社前に案内柱がある。(安養寺)~湖西バイパスへ、林道の入口付近に駐車し、林道(木戸峠へ通じる登山道)を登って行くと大きな砂防ダムを二つ通り過ぎ、その先Ⅰ00m程進むと右手にピンクのビニールテープ巻いた檜を、右に分岐して尾根に向かう山道がある、尾根に出た右手が主郭。

一つ目と次の砂防ダムを間に右手に目印のテープがあるが、そこから山道に入り尾根に出て尾根筋を登って行っても城跡に到達できる。

木戸集落の樹下神社前の木戸山城への案内柱

木戸集落の登山道マップ前から琵琶湖

車は湖西道路バイパスのガードに駐車して

 

林道は車は無理です          一つ目砂防ダム  砂防ダムの間は、広い林道?(レスキューポイントだった) 

  二つ目砂防ダム

林道に脇の檜にピンクのビニールテープを右に、城道です。

      懸け上げ土塁の土が流げれて石塁に?         

主郭に到着、右が主郭! 

                             

下城します

   下城時に気づく?【武者隠しか?】上からの【横矢】か・・・銃座・弓座・礫石を投げる・砕石を落とす?

  k 登山道の下り。

帰り道に気付いたが、砂防ダムの間に、登城路あった!搦め手道かも?

 ピンクのビニールテープの目印 

  砂防ダムの間は、広い林道?(レスキューポイントだった)

帰り道、砂防ダム間にビューポイント・・・堅田方面

   下の砂防ダムにレスキューポイントの表示

                

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、遺跡ウォーカー、近江輿地志略』『武家中興盛衰記補』

  本日の訪問ありがとうございす!!


最新の画像もっと見る