たかが私にも たかが私でも~ゲッターズK的競馬~

地方競馬は応援するものではなく馬券を買うもの

種牡馬検定の場となりえず何がGⅠか

2011-02-14 14:41:20 | 競馬諸々
 競馬シーンに己を投影する面があるとするならば、今の競馬はなんと奥行きのないことか、裾野の狭いことか。社台一色、サンデーサイレンス系一色にかなりの比率で塗りつぶされてしまっている。懐古主義ではなくて、昔の競馬シーンにはそろぞれにバラエティに富んだバックボーンがあったように思う。十人十色。様々な人々が様々な角度から思いをかけやすかった。
 中央のダート競馬。言い方は悪くなってしまうが、昔ははきだめというか、芝で失格の烙印を押された馬たちのよりどころのようなところがあった。札幌記念など、ダート重賞もあったのだが、しかしそれは能力検定の場とは言えなかった。実績を重なれば待っているのは斤量、酷量との戦いだけ。そういったシーンもある人にとっては何かを投影しやすい場だったりはするのだが、我が国の血の成熟度、内国産不遇の時代ともあいまって、検定のない馬たちはただただ走り続ける、稼ぎ続けるしかなかった。
 このあたりの問題提起はたとえば競馬通信誌上でも書いたことがあったはずだ。
 フェブラリーSももともとはフェブラリーハンデキャップ。GⅠの定量戦になったのは1997年だったと思う。地方重賞の交流であるとか、ダート重賞路線が整備されだした。これには当時の時代背景も踏まえてもろ手の拍手だったわけだが…。
 しかし、そこから10年以上がたちながら、ブルーコンコルドもサクセスブロッケンも種牡馬になれないという現状がある。
 ダート一流馬が種牡馬になれなくて、何がGⅠだ。
 ダート路線にはまだ可能性がある。裾野を広げられる可能性がある。ダート3冠路線であるとか、ダート馬の存在意義、ステイタスを上げていく手立てはまだまだ残されているはずだ。


岡部幸雄GI全集 第14回 フェブラリーS シンコウウインディ



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