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日本の景観を探る

幼い頃、見た自然の風景、山、川、野、樹木、草花を求め歩き、今も残る季節の風情を、田舎の集落に探し,その記録を残す。

唐津城を撮る

2009-07-30 08:27:26 | 昨日(過日)の風景


今回は、唐津の続きで唐津城を。

「唐津城」は、秀吉が朝鮮への侵略戦争の基地として、唐津に近い肥前名護屋(現鎮西町、呼子町)に5ヶ月で築城させた「名護屋城」を
秀吉が没し、その後この城を解体資材を用いて、慶長13年(1608)築城されたのが、ここ「唐津城」とのこと。
その後、時代は流れ、明治の廃藩置県によって廃城となったが、昭和41年(1966)
に現在のものに、「模擬築城」されたものとのこと。

築城されている位置が、唐津湾に面しており、国指定特別名勝・日本三大松原の
「虹の松原」との関係から、別名・舞鶴城とも呼ばれている。

昭和の再築城とのことで、まだ石垣も天守閣も新過ぎる感あり。





城より、前方の樹木のほうが年輪を感じる。







まー、最近再築城した、良くある日本の城のイメージ。

ただ、この城の建っている位置が良く、遠く眺めるこの城と周辺の景色は、被写体としては、高い位置にあると思う。
次回以降、お披露目したい。



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唐津の石垣通り

2009-07-29 05:44:47 | 昨日(過日)の風景


唐津は、九州の北西部に位置する。
この地は大陸文化の影響を受けて来た地区であるが、日本の古来の風景をも残した街だ。

玄界灘、唐津湾を北に構える唐津市(昔でいえば唐津藩)、唐津城を頂点とした城下町でもある。

この石垣は、唐津湾の西の浜沿いの唐津城に向う海辺の遊歩道であるが、なんともこの石垣の古さを見ても、昔にタイムスリップしたように感じた。

遠く、一部見えるのが唐津城である。





道路を歩く、人に股旅の姿をさせたら、東映映画最盛期のシーンになるだろうか、アスファルト道路の処理が必要だが。








遠く、唐津城の全貌が見えてきた。








この通り沿いにある、老舗旅館の武家屋敷門。
「唐津藩武家屋敷之門」との掲示があったが。
「唐津に現存する数少ない武家屋敷門の一つで、慶長7年初代藩主寺沢公が名護屋城の解体資材を以って唐津城を構築した折、藩家老屋敷の門として建造されたもの。
この門の巴瓦唐草瓦の形模様が、各個異なって居るのは名護屋城が急造の為、築城資材を各地から寄せ集めた事に起因する。
慶長時代の面影を残す貴重の門と言える。」(説明掲示板抜粋)


この和風旅館、「生州料理」と看板を掲げているが、玄界灘で揚がった旬の魚介類を生簀から取り出し、料理してもらい食したらなんとも優雅な時間を過ごせるだろう。
そして、その膳の前に和服の若い瀟洒な美人が居たらと、思うと???。
これも、夢の世界だけの話か?。


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遅れ紫陽花の版

2009-07-26 16:09:15 | 目に留まった被写体


烏山線鴻野山の近くこぶしヶ丘のニュウタウン近くに、紫陽花の咲いた小道があった。
若干満開の時期を外れた7月初旬であったが、紫陽花の花の美しさを思い知らされた。

紫陽花はもともと日本原産地(東南アジアの説もあり)で、中国に渡り、ヨーロッパで改良を重ね、
今のような紫陽花になって、日本に逆輸入したとの説が多い。

紫陽花の名の由来を調べ、万葉集などで表現されたものを羅列すると、「味狭藍」「安治佐為」「安知佐井」「安豆佐為」と続く。

アジサイに何か漢名をあてはめる必要に迫られたとき、唐の詩人白楽天の詩の中から日本のアジサイとは、
全く別植物の「紫陽花」を当ててしまったとのこと。


写真は、小川沿いに紫陽花を植えた小道、遠くに烏山線の気動車が走っていた。




紫陽花の小道、これが両側なら最高だが。




紫陽花の色の変化は、不思議だ。
紫陽花の花言葉は、「移り気」「心変わり」これも紫陽花の花の変化からか?




団地の入口に咲く、紫陽花の花。
紫陽花には、「一家だんらん」「家族の結びつき」を象徴する花でもあるという人もいる。
多くの家族が住む、団地の入口には最適な花か?






紫陽花の葉の上で、何を思うか? 「トンボ」と「青カエル」。
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日曜特版;烏山線を撮る(鴻野山駅)

2009-07-26 11:54:57 | 目に留まった被写体


この鴻野山駅からは、駅の所在地が旧南那須町になる。

鴻野山駅周辺は、東に農家が点在する、西側の山手にはこぶしが丘と称する新興団地があり、
そこに住む学生、サラリーマンが、毎朝毎晩この鴻野山駅を利用して、県都宇都宮に通う。

この鴻野山には、源義家が、奥州征伐を終えて都に帰る途中、強大な富と力を持つ長者の後患を恐れ、
焼き滅ぼした・・・・という「長者伝説」が残され、
地面から「焼き米」が拾える長者ケ平遺跡がある。
付近には、伝説にまつわる地名も数多く残されており、数年前からの発掘調査によって、大規模な建物郡などが発見され、
考古学上注目を集めているとのこと。
また、隣接して奈良・平安時代の道幅10メートル近い東山道も見つかっており、
古代の道路跡が現在も小道として「東山道」の表示を見かける。







旧県道1号線(最近この右側の東の山の手にバイパスが開通された)と平行に走る烏山線。
鴻野山駅を発車して、烏山にむか気動車、駅舎もなく、当然無人駅、田圃と小川の中を通過していく。





電車でないので、電柱及び架線もないので、煩わしくなく写真に撮るには、汽車と同じく気動車もそのものを美しく撮れる、
良くこの気動車をターゲットに、ロケーションの良い場所で、カメラを向けている人に会う。
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唐津市 旧高取邸

2009-07-25 09:58:52 | 昨日(過日)の風景


前回のとちぎSC追っかけで、大宰府等福岡の近くの観光スポットを見てきたので、今回は佐賀県の唐津まで足を伸ばした。

佐賀県唐津といっても、福岡空港から、福岡市交通局の電車に乗り、姪浜駅を通過し(ここからはJR九州)唐津まで乗り合わせがよければ、1時間30分程度で行ける、福岡からは割りに近いスポットである。

佐賀は焼き物で有名で、伊万里焼、有田焼、佐賀焼きなど、この唐津には唐津焼がある。(まだ焼き物に興味がないのでうんちくは語れない)

今回は、平成10年に国の重要文化財に指定された「旧高取邸」と唐津城を廻ってきた。

まずは、この「旧高取邸」建築家や大工などが知と技を終結させ、5年に渡る保存修理工事によりよみがえったもの。

明治期に数々の炭鉱を開き、日本で最初の炭鉱技術者として石炭産業をリードした高取伊好(1850~1927)の邸宅で、約2300坪の敷地に建つのは、居住スペースとしての居室棟と、迎賓間的な役割を果たした大広間棟、和風建築でありながら随所に洋風スタイルが取り入れられている、和洋折衷的な趣もある建物郡である。

建物の中も、高取伊好の富と趣味を活かし、能舞台や、杉戸絵などこの方面に興味のある人には一見の価値ある文化財が沢山あるようだ。

今回は、時間もなかったので、庭を中心に廻ってきた。




入口付近から見た、和風の建物と、マントルピースの煙突が目を惹く迎賓館としての洋風の建物。







メインの玄関と和風の2階建て建物、用途は何か分らない、外部と境を作る薄黄色の漆喰の塀がこの地の特色か?。





庭の外側の外周道路から撮った、庭と邸宅。(この写真は実は左右逆の写真??)






とにかく、この屋敷内の庭の黒松が立派で、手入れが非常に行き届いていた。







敷地が広い事もあり、庭木がそれぞれ活き活きして活着している。
飛び石も自然に配置されていて、余裕のある庭だ。







庭の外のほうからの写真であるが、多分邸宅のほうから見る庭も、この黒松の眺めも立派で、来賓を楽しませたことだろう。





黒松が多かったが、南国に多いソテツやその他の植物、灯篭を含め置物なども良い配置でおいてあり、自分が今まで見てきた庭の中でも上位の位置に入る。

再度時間を作ってゆっくり鑑賞したいが、約束は出来ないことか?。
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博多川端商店街2

2009-07-22 05:32:36 | 昨日(過日)の風景


この川端の商店街が大変美しく、にぎわっていたので続編で投稿する。

博多は、福岡市の別称で福岡都市圏の別称でもある。(博多市というのは存在しないが博多区というのはある。)

また福岡市のセンター(最寄の)JR駅は博多駅である。

博多区というのは、中世に商業都市として栄えた、九州北部の港湾都市で、現在の博多湾に面する一帯を示す。

さて、このお店、商店街の中でも大変美しく、博多人形がショーウインドウに整然と飾られていた。

博多人形は、福岡県の伝統工芸品で、福岡市の博多地区で作られてきたとのこと。
博多人形は、200年ほどの歴史があるそうで、1900年のパリ万博博覧会に出品され、話題になったとのこと。

自分は、人形のコレクトはしないので、人形単体の写真も撮るのを忘れてきた。





次がぜんざい広場、商店街の隙間に広場があり、担ぎ山笠が置いてあり、それを鑑賞しながら、観光客がぜんざいを食べていた。









ぜんざい広場に、置かれていた担ぎ(こうは呼ばないらしいが)山笠が置いてあった、これを「いなせな」若い衆(男女)が、担いで町を練り歩くのだろう。





ぜんざい広場を抜けると、すぐ川に抜ける。
さすが、福岡博多の都市を流れる川である、大変水もきれいで、何よりも川岸が護岸され、市民の憩いの場所として充分な環境整備であった。

川の名前は、知らないが博多の町を別の角度から(日本を代表する夜の歓楽街)有名にしている、「那珂川」の「中洲」を作る分流と見てきた。

とにかく、この周辺が宵闇迫れば、赤い灯、青い灯のにぎやかところで、「博多チョンガ」の楽しみなところ。

「自分のようなおじさんでも、きれいな若いおねーさんから声がかかった」は、無かった話で、「年はとりたくない」と思った。
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日曜特版;烏山線を撮る(仁井田駅)

2009-07-19 06:32:54 | 昨日(過日)の風景


県道101号線沿いの、高根沢宝積寺から、下野花岡を過ぎ、仁井田地区の中心地にこの仁井田駅がある。

下野花岡に比べ、駅舎はありそれなりの田舎の駅としての設えはある、ただほとんど無人の駅に近く、時間帯によっては、メインの入口でなく、
駅舎の横の補助入口から出入りするようだ。

駅の線路を挟んで、栃木県立「高根沢商業高校」がある。






駅前の街道(県道101号線)の仁井田駅前の交差点から、仁井田駅舎方面を見る。

仁井田の地区もこの周辺だけが、昔からある商店街で足利銀行の支店もあるが、
最近は烏山方面のメイン街道はバイパス化され、
どこにもあるような寂れた街になりつつある。





構内のプラットホームの端から、宇都宮及び宝積寺方面を見る、線路の右に「高根沢商業高校」ある。






子ども会の作ったであろう、「花壇」に繁殖力の強い「篠竹」が勢い良く伸びていた、駅前広場も寂れた感がある。





余禄になるが、仁井田駅をウェブでサーチすると、高知県のJR四国線にあった。
その駅の写真を拝借した。

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博多川端通り

2009-07-18 05:38:50 | 目に留まった被写体


櫛田神社の西(?)側の鳥居の外に博多川に沿って、博多川端通り(川端商店街)のアーケード通路がある。

通路の両側には、地元の小売の商店がにぎやかに営業している。

新興の複合商業施設、キャナルシテイと博多リバレインを結ぶ歩行専用のアーケード通路である。
南北の巨大な複合商業施設と共存化を図る、これからの地元商店街の活き方の指針となるかもしれない。(祇園花笠の時季のにぎあいもあると思うが)






通路をはみ出して、陳列された雑多な商品がお祭りの雰囲気を加速している感じを受けた。





アーケード内の通路に、鎮座(?)している、飾り山笠。
アーケードの丸天井に触るかと思えるほど、ぴったり感の大きさで(多分飾り山笠のほうが先で、アーケードの天井高さを会わせて作ったのではないかと思わせる???)あった。







位置関係を、webでサーチした地図を添付する。
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博多櫛田神社

2009-07-15 05:45:56 | 目に留まった被写体


過日(7月11日)、栃木SCの追っかけで福岡・博多に行ってきた。
試合は、雨の中健闘(?)むなしく0-1で負け、栃木SCの自称「解説者」といわれる人の、この試合の評価はいろいろだが、自分はこのカテゴリーに新規参入した年は、この程度の戦績しか残せないと思っている。
それほど、簡単に勝てるカテゴリーではないと思うし、どこも選手を補強して、訓練・練習し望んでいるのに、JFLで2位のチームがそう簡単に勝てるわけが無い、全ての試合がそうではないが、かなり善戦している試合も見える。

さて、この博多は昨年にはじめて訪れて、今回は2回目であるが、ちょうど博多祇園山笠の始まっている途中で、この奉納神事の神社「櫛田神社」はにぎあっていた。
この櫛田神社は、博多の総鎮守とのことで、地元の人は「櫛田さん」と呼んでいる。





鳥居の後方に立派な山門(?)があり、祭りの設えが施されており、これから祭りのクライマックスに導く準備がされていた。

大きな祭りのちょうちんが目を惹いた。





良くは知らないが、境内の庭には、周りに鉄パイプ仮設の桟敷が出来ており、竿棒(清道旗と言うらしい)が、筵の袋で固められ、立っていたが、町から出だした山笠の山車がこの周りを廻って、観衆の歓喜を浴び、担ぎ子が勢いづいて、博多の町に練りだして行くのだろう。






神社の境内に、常設(?)されている山笠、重要文化財の表示がされていた、写真よりも紀やびらかな山笠で、大変立派なものである。
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日曜特版;烏山線を撮る(下野花岡)

2009-07-12 21:07:03 | 目に留まった被写体



JR烏山線を宝積寺から烏山まで、七福神の駅神の由来を謳った看板を表示し、探っていこう。

下野花岡と名ずけられたこの駅は、高根沢町に所在し、その次の仁井田そしてスタートの宝積寺と含め、この小さな田舎地区の地方沿線とは言え、3っのJRの駅が同じ町にあるのも珍しい。
よく、田舎の駅には「下野」(栃木を表す)とか「常陸」(茨城のある位置を表す)が着いている駅名を見ることがあるが、花岡だけでなく下野を付けたのは何か。

この地区は、穀倉田園地区で、すぐ近くに「麒麟麦酒」の栃木工場がある。
ビール麦の生産量は知らないが、鬼怒川の砂地を浸透したきれいな水は多分うまいビールの要因かも知れない。




駅構内に停車する、緑のラインの入った気動車。






たまたま、列車を撮ろうとシャターをきったら、地元の若い女性が降りてきた、「ごめんなさい」の挨拶を発したら、相手も「ごめんなさい」と返してきた。
スタイルの良い美人だった。







この踏み切りは、宝積寺側の氏家と芳賀を結ぶ県道を仕切る。
制止バー(本当の呼び名が分らない)が垂直に立っている姿は何か異様に見えた。





線路の脇の紫陽花の花。
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